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女性が家事を行う表現に噛みつく摩訶不思議な現象について

「男が女を召使いのように使っている」「女性が跪いて給仕している」というように捉える人はいますが、それは誰から見てもそう思うのかと言うと疑問に思いますし、一個人の主観ではないかと思われます。

「お菓子をお土産に持ってきたから、分けてあげよう」と思ったのかもしれませんね。女性が「やらされている」のを露骨に出すものではなく、ポジティブな気持ちで配膳しているかもしれないと考えると、この映像からは「女性蔑視」と決めつけるのは難しいのではないでしょうか?

これは文字通りですが、女性が家事を行う表現に批判的な方々は、家事自体を「やらされているもの」という感じで、ネガティブに考えすぎているように感じられます。

差別に噴き上がる人ほど、己の偏見を開陳しているだけというありがちな構図ということなのだ