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ドラマ『相棒』の脚本家を怒らせた日本のある傾向

太田愛脚本では、キャピタル鉄道という鉄道会社の子会社デイリーハピネスで、天下り役員が大量の退職金を得る中で非正規社員たちが過酷な低賃金重労働を強いられているという告発を、デイリーハピネスの社員が、杉下右京(水谷豊)、冠城亘(反町隆史)に対して行うというものだった。

しかし、実際に放映されたシーンは、ピンク色のハチマキをつけ、プラカードを持った十数人の戯画化されたデモ隊が、杉下と冠城を取り囲むというものだった。この描写に太田愛はブログで、「訴訟を起こした当事者である非正規の店舗のおばさんたちが、あのようにいきり立ったヒステリックな人々として描かれるとは思ってもいませんでした。同時に、今、苦しい立場で闘っておられる方々を傷つけたのではないかと思うと、とても申し訳なく思います。」と述べた。

しかしながら、『相棒スペシャル』の演出は、コメディタッチという言い訳も効かないぐらい、デモ隊を見下した描写だった。当事者が中年女性だからといってピンク色のハチマキで統一するのも、労働運動の歴史や実態に取材していないステレオタイプだといえるだろう。非正規労働の問題を真剣に訴えようとしていた脚本家が愕然とするのも無理はない。

『相棒スペシャル』に限らず、近年の日本のフィクションでは、社会運動、特にデモなどの直接行動をバカにする風潮がある。たとえば最近ドラマ化された『日本沈没』や、東日本大震災の政府対応に取材した映画『シン・ゴジラ』では、危機に対して実務的な対応をとる政府の邪魔をする集団として、市民運動が描かれていた。

これは、海外のドラマや映画ではあまりみない光景かもしれない。映画やドラマの作り手だけでなく、そもそも日本社会が直接行動の意義を認めていない傾向にある。日本以外の諸外国では、直接行動の重要性は失われていない。実際、地球温暖化問題を訴える若者のデモやBLM運動は世の中を変革している。しかし、日本の直接行動の参加者は、国外のそれと比べると一桁二桁少ないのが実情だ。

年末年始のメディアで起きたこの二つの事例は、日本の市民運動に対する攻撃がいかに激しいかを物語っている。しかしそのことで、日本人の政治意識は低いレベルに止まることになり、『相棒スペシャル』にいたっては、その稚拙な表現により物語の一貫性を欠いてしまうという、ドラマそのものの評価を下げることにもなった。こうした攻撃は、権力者や富裕層以外の市民にとっては得がないのだ。

「日本はレベルが低い!」論をぶち上げる前に「何故そうなったのか?」を考えることが大事だと思うんだが。

反政府デモが老人達の趣味に堕しているのは事実だし、過去の学生運動や被差別部落問題などが本来の趣旨から外れた利権や単なる反政府活動の隠れ蓑になっているのもまた事実。

そういった胡散臭さを感じ取られている、その疑念に対して正面から答えない姿勢があるからこそ、それらを茶化す描写がウケるのだ。