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話しても無駄系フェミツイッタラーへのコメントにカウンセリング行けとかよく見るけど、「被害者」は援助欲求は持ってても、自分が変化することを求めないから、来てもどうにもならない。

「被害者」をやめたい、変わりたいと願う人であればカウンセリングは意味が出てくる。

@aozora_rururu

「被害者」であることが適応的になっちゃってるとやめる必要性を見いだせない。

依存症の治療と一緒で、周囲がちゃんと「被害者」を見捨てて、どん底を味合わないとならない。

ただ、見捨てられた特定の性別の「被害者」は次のイネイブラーを簡単に見つけてくるので、「被害者」をやめられない。

@aozora_rururu

イネイブラーを求める「被害者」は自身が仮初の安心を得るためになりふり構わない行動をするので、そうした態度は身体を求める男性や、特定の思想や搾取構造に利用されやすい。

そんな更なる被害経験を経ても「被害者」はやめられない。

利用価値があるうちは完全に見捨てられることはないから。

@aozora_rururu

存在が他者にとって何の利用価値もないことに気づき、ひとが離れていってはじめて、自身の変化を望める。

特定のパーソナリティが年を経ると落ち着く、とされているのもそれだ。

@aozora_rururu

ただし、現代ではただの害悪被害モンスターでさえ活動家としてのポジションを得られるようになってしまった。

「被害者」として振る舞うことが称賛されるようになった。

それを利用したい連中が群がって「被害者」を求める。

「被害者」となってしまった女性がそこを脱することは、昔より難しい。

@aozora_rururu