小学3年生の頃、どうしても犬を飼いたくて仕方がなかった。
何度親に頼み込んでも、即座に却下される日々。
ある時、俺に天啓が降りてきた
犬を飼えないのなら、ぬいぐるみを飼えばいいじゃない。
ぬいぐるみの犬に、ひもをつけて飼い始めたのだ。
毎朝、ぬいぐるみを引きずって散歩に行く俺。
母親はきっと呆れ顔だったと思う。
それでも、サイヤ人的理論を信奉し、季節が変わるたびに骨を折っていることに比べれば、物を散歩させるくらい、まだマシだったのかもしれない。
地面をずりずり引きずるので、やがてぬいぐるみはボロボロになり、いつしかどこかへ行ってしまった。
にもかかわらず、俺はひもをペットに見立てて散歩を続けた。
正真正銘の「ペット紐」、ヒモ太の誕生である。
手首のスナップをきかせることで、お手やお座りなど簡単な芸を覚えさせることもできた。
また、ヒモ太はひもであるがゆえに、学校にも連れて行ける。
ひもをペットにするという革新的発想。
それは、クラス中の男子の羨望と女子の軽蔑を呼んだ。
男子によるヒモペットブームの到来である。
クラスの男子の中では、ヒモの素材や見た目によって暗黙の格付けがなされ、ビニール紐は最下層、ラメ入りの金の紐を連れた者は最上位に君臨した。
この時ほど、文具屋の息子がヒーローになったことはない。
もっとも、このブームは長く続かなかった。
ペットを学校に連れてきていいのか?
生真面目がすぎる委員長的女子の問題提起によって、これがクラス会の議題にのぼる。
果たしてヒモはペットなのか否か、狂気の話し合いの開始である。
長く混沌とした議論の末、「生き物でないとしても、ペットを学校に連れてきてはいけない」という謎ルールの制定に至る。
しかし、我々は屈しなかった。
物の不足は、心で補えばいい。
男子達は、空想上のペットを連れているフリをしはじめたのだ。
イマジナリーペットである。
俺達は、空想ペットとか、いないペットと呼んでいた。
ある者はドラゴンを飼い、また、ある者は101匹のチワワを飼った。
美少女顔の人面犬7匹を飼っていた彼は、今頃どうしてるだろうか。
我々は、互いに自分のペットの素晴らしさを自慢し合い、時にペット同士の交流も行われた。
俺が空想上のペットとしたのは、ヒモのヒモ太。
今思えば、元々飼いたかった犬にしてもよさそうだが、そうはしなかった。
かつて犬の代替品でしかなかったヒモは、イマジナリーペットになって初めて、本当のペットになったのだ。
空想の中までは、さしもの委員長も介入できない。
幸せな時間は、ずっと続くはずだった。
だが、いかんせん小学生男子のことである。
しばらくすると、みな飽きてきて、空想ペットは話題にあがらなくなってきた。
それでも、俺は、こっそり頭の中でヒモを飼い続けた。
それから三十余年。
風の噂では、委員長は、今では人間のヒモを養っているという。
俺はといえば、ヒモ太を看取り、ヒモ太の子の1人を嫁に出し、もう1人の子とその妻を看取った。
今は、ヒモ太の孫、ヒモ香を飼っている。
いや、本当は、飼ってなんていないのかもしれない。
宇宙は11次元のヒモで出来ているという。
俺が、いや、この世界こそが、ヒモに飼われたイマジナリーな存在なのかもしれないのだから。
珠玉の増田文学