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ヒモみたいなのを飼って30年くらい経つ

小学3年生の頃、どうしても犬を飼いたくて仕方がなかった。

何度親に頼み込んでも、即座に却下される日々。

ある時、俺に天啓が降りてきた

犬を飼えないのなら、ぬいぐるみを飼えばいいじゃない。

ぬいぐるみの犬に、ひもをつけて飼い始めたのだ。

毎朝、ぬいぐるみを引きずって散歩に行く俺。

母親はきっと呆れ顔だったと思う。

それでも、サイヤ人的理論を信奉し、季節が変わるたびに骨を折っていることに比べれば、物を散歩させるくらい、まだマシだったのかもしれない。

地面をずりずり引きずるので、やがてぬいぐるみはボロボロになり、いつしかどこかへ行ってしまった。

にもかかわらず、俺はひもをペットに見立てて散歩を続けた。

正真正銘の「ペット紐」、ヒモ太の誕生である。

手首のスナップをきかせることで、お手やお座りなど簡単な芸を覚えさせることもできた。

また、ヒモ太はひもであるがゆえに、学校にも連れて行ける。

ひもをペットにするという革新的発想。

それは、クラス中の男子の羨望と女子の軽蔑を呼んだ。

男子によるヒモペットブームの到来である。

クラスの男子の中では、ヒモの素材や見た目によって暗黙の格付けがなされ、ビニール紐は最下層、ラメ入りの金の紐を連れた者は最上位に君臨した。

この時ほど、文具屋の息子がヒーローになったことはない。

もっとも、このブームは長く続かなかった。

ペットを学校に連れてきていいのか?

生真面目がすぎる委員長的女子の問題提起によって、これがクラス会の議題にのぼる。

果たしてヒモはペットなのか否か、狂気の話し合いの開始である。

長く混沌とした議論の末、「生き物でないとしても、ペットを学校に連れてきてはいけない」という謎ルールの制定に至る。

しかし、我々は屈しなかった。

物の不足は、心で補えばいい。

男子達は、空想上のペットを連れているフリをしはじめたのだ。

イマジナリーペットである。

俺達は、空想ペットとか、いないペットと呼んでいた。

ある者はドラゴンを飼い、また、ある者は101匹のチワワを飼った。

美少女顔の人面犬7匹を飼っていた彼は、今頃どうしてるだろうか。

我々は、互いに自分のペットの素晴らしさを自慢し合い、時にペット同士の交流も行われた。

俺が空想上のペットとしたのは、ヒモのヒモ太。

今思えば、元々飼いたかった犬にしてもよさそうだが、そうはしなかった。

かつて犬の代替品でしかなかったヒモは、イマジナリーペットになって初めて、本当のペットになったのだ。

空想の中までは、さしもの委員長も介入できない。

幸せな時間は、ずっと続くはずだった。

だが、いかんせん小学生男子のことである。

しばらくすると、みな飽きてきて、空想ペットは話題にあがらなくなってきた。

それでも、俺は、こっそり頭の中でヒモを飼い続けた。

それから三十余年。

風の噂では、委員長は、今では人間のヒモを養っているという。

俺はといえば、ヒモ太を看取り、ヒモ太の子の1人を嫁に出し、もう1人の子とその妻を看取った。

今は、ヒモ太の孫、ヒモ香を飼っている。

いや、本当は、飼ってなんていないのかもしれない。

宇宙は11次元のヒモで出来ているという。

俺が、いや、この世界こそが、ヒモに飼われたイマジナリーな存在なのかもしれないのだから。

https://anond.hatelabo.jp/20220112131313

珠玉の増田文学