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読みました。オープンレターの差出人には知人も多く、趣旨にも概ね賛同しますが、やはりオープンレター...

読みました。オープンレターの差出人には知人も多く、趣旨にも概ね賛同しますが、やはりオープンレターと署名形式との整合性のなさ、「文化」の批判と個人批判が曖昧に混ざっていたこと、そしてこの理由での公開停止という判断には批判的です。関係者の真摯な議論を望みます。

女性差別的な文化を脱するために - お知らせ

@solar1964

関係者のなかでの議論、です。もちろん一枚岩ではないはずだし、それなりに内部でも議論はあったはず。「文化」批判の方法や手段としてこうしたオープンレターが今後も相応しいか検討してほしいです。

@solar1964

言うまでもなく「批判」は本来、攻撃や全否定を意味しない。無条件に全肯定せず対象を批判的に検討するのがアカデミアやメディアの役割で、いかなる批判も直ちに攻撃とするのは「運動」。オープンレターの「文化」批判も、そのような「運動」ではなかったはず、との理解です。

@solar1964

これは別スレにしますが、「公開書簡」はふつう、名宛人の応答を求めて行なわれる(その圧力をかけるために公開する)。千余人の賛同者も呼びかけ側であり名宛人ではなかったとすれば、あのオープンレターは本当は誰のどのような応答を求めていたのか。まだそのモヤモヤは残る。

@solar1964

そのようなオープンレターという手法もまた一つの「文化」であり、批判的な眼差しにさらされる必要はあろうかと思う。そこへの批判を直ちに「攻撃」とするような「文化」もまた。文化批判とはそういう営みと理解しています。

@solar1964