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東浩紀「『言論の自由』と『被害者のケア』の論争の落とし所を探さぬ人たち」

かといって被害者も永遠に弱者というわけではない。被害者が弱者性を利用して過剰に加害者を攻撃すれば、関係はすぐ反転する。女性蔑視は許されないが、かといって署名を集め活動停止に追い込むのもやりすぎかもしれない。ネットではいま中傷された北村氏に同情すべきだという一派と職を追われた呉座氏に同情すべきだという一派が激しい論争を繰り広げているが、結局のところこの手の問題はどこかで折り合いをつけるしかない。本来はそのような落とし所を探ることこそ人文的な教養人の役割のはずだ。

ところが現実はそこからとても遠い。本稿執筆時点で論争はこじれにこじれ、もはや出発点の両氏の声すら掻き消されている。SNSでは耳を疑うような罵詈(ばり)雑言が飛び交い、そこには多くの大学人が実名で参加している。声高に正義を叫ぶひとばかりが目立ち、だれひとり調停役を買って出ないこの状況こそ、現代における人文知の失墜を反映している。