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白饅頭日誌:2月9日「裸の北極星」

2020年代において、インテリ・リベラル系の人びとが目下ご執心の「論敵を瞬時に黙らせる最強レッテルワード」にはいくつかのバリエーションがある。

2010年代後半から、かれらはSNS☆ウォーズにおいて仲間内で使える便利な「棍棒」を一所懸命に開発しその普及に努めてきた。

「十全にただしくなんら矛盾もない自分たちの社会正義にわざわざ異を唱えるのだから、相手はなにか邪な動機があってそうしているに違いないし、そのような人間の発言はもとより虚偽に満ち満ちているのだから、わざわざ我々が耳を貸す必要はない(もっといえば、口をふさいでしまってもそれは自由の制限にはあたらない)」とかれらは疑いもなく考える。

「悪人」にみんなでラベルを貼り付けてリンチしている間は、自分が貼られる側になるかもしれないという恐怖からはとりあえず解放されるからだ。

仲間内で「あんな奴は相手にする価値はない!」とうなずき合うため、強いラベリングを持ち出すたび、自分の言動が「自分にも跳ね返ってこないかな」と想像する力がなくなってしまう。

レッテルを貼って対話拒否する手法、小学生のうんこマン戦術とさほど変わらない。

とはいえ、同情するところがないわけではない。

それこそ何十年も時間を費やして築いてきたポジションが単なる内輪のお遊戯でしかないとバレてしまえば「自分の人生はなんだったのか」という気分になるだろうし、それを認めたくないのは自然な感情である。

それ故に、内輪だけに通用するレッテルや論理で武装し、対話を拒否し、いつまでも終わらないモラトリアムに逃げ込むのは人間として素朴な行動ではあるだろう。

社会の側もそれを理解した上で大学人を特別視することなく、そのような存在として認知してやることが重要である。

つまり、まともに相手をする必要がない。