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ヒトは(おそらく本能的に)イジメが大好きなんだけど、イジメが良くないものだという理性も持ち合わせて...

ヒトは(おそらく本能的に)イジメが大好きなんだけど、イジメが良くないものだという理性も持ち合わせている。なので、頭の切れる人ほど「俺たちのイジメは良いイジメ!あいつらのイジメは悪いイジメ!」という理屈をうまく組み立てて、賛同者を募ろうとする。

@rootport

暴力は正義感の欠如ではなく、その過剰によって起きる。

大抵の暴力犯罪の犯人は、自分自身の正義を実現するために暴力を振るう。「侮辱されたら報いを与えるべきだ」とか「こいつは倫理的に許せないやつだ」と考えて、暴力を振るう。暴力楽しい!悪いこと最高!と考える人は、そんなに多くない。

@rootport

QT「さらに悪いことに、人は生理的嫌悪は容易に道徳嫌悪へと移行しがちで、(※生理的嫌悪を催すような)不衛生なものはイコール、下劣で軽蔑に値すると見做してしまう」――ピンカー『暴力の人類史』上p315

@rootport

QT「(※註:学校のような)規律・訓練の施設は、いわば《下位の刑罰制度(アンフラ・ペナリテ)》をうちたてるのであり、法律によって空白のまま放置されている空間部分を碁盤割にして取り締まって…本来の処罰制度の対象とされなかったある種の行為全体を規定して罰する」――フーコー『監獄の誕生』p206

@rootport

法律の外側のルール――つまり社会通念とか常識とかマナーとかモラルとか呼ばれるもの――には、憲法もないし議会制民主主義のような手続きもない。制約がほとんどない。《下位の刑罰制度(アンフラ・ペナリテ)》は、法律よりも気軽に提案できるし、それを使って誰かを攻撃することもできる。

@rootport

私たちは明文化された法律だけでなく、不文律の《下位の刑罰制度(アンフラ・ペナリテ)》に囲まれて生きている。そして、できれば〝取り締まられる側〟ではなく〝取り締まる側〟に立ちたいと思っている。イジメられる側ではなくイジメる側に立ちたいと願っている。内心、イジメられる恐怖に震えながら。

@rootport

〝取り締まる側〟になりたいという欲求。アンフラ・ペナリテを作る側に回りたいという欲求――。

フーコーの世界観から見れば、それは「権力への欲求」と呼べるのではないか。ヒトは、権力が欲しい。イジメられないという安心が欲しい。

@rootport