政治経済学部で学んでいる大学生ですが、国際政治学の教授が講義のたびに防衛研究所への批判や当て擦りを口にします。
ウクライナ侵攻以降防衛研究所の研究員の解説をニュースで見ることが増えましたが、それが気に入らないようです。
学者が語るべき分野を国の御用聞きに荒らされているという被害者意識を持っているようで、学生たちにも連帯した問題意識を持つよう呼びかけています。
単位が欲しいので、ほとんどの学生は適当に合わせていますが、内心みんな呆れて白けています。
学者の縄張り争いには関心がありませんし、今の学生世代は熱狂的な愛国主義を持っていませんが、同時に極端な安全保障アレルギーも持っていません。
上の世代の方々に当たり前のように、よくわからない軍事アレルギーや憲法への信仰を共有を求められると、その人たちがなぜ本当にそんなことを信じ込めるのか不思議な気持ちになります。
戦争を知らない若者像は中高年に受けが良いのだと思いますが、若者は戦争は知りませんが、それを非常に恐れていますし、そのために現実的にどうすればいいかは意外と考えていると思います。
戦争を知らない中高年の方が現実離れした綺麗な思想を抱いてしまうのは、結局他人事で現実のリスクとして戦争を恐れていないからではないでしょうか?
同世代とこれからの日本の安全保障を議論したときに感じる切実さを、上の世代の方と議論したときには感じません。
戦争は起きてはいけないと信じて祈っていれば不思議な力が生じて戦争を回避できるぐらいに思ってそうな中高年は多い。
しかし、それは現実逃避なのだ。