『たわわ』が「痴漢行為」だの「性的暴力・性的加害」だのだって表現するのと、呉座先生が「あらゆる弱者に対する差別」をした、みたいなのは同じタイプのものなんだな。いま気づいた。敵だと認識したら過剰な表現をしてもかまわないという判断があるのだろう。
それはおらく、自分たちの発言が、自分たちを応援する人々に届けばそれで十分だからだ。
なんでそんなことになったんだろうな。
またそうした大袈裟で過剰な表現による非難によって、自分の敵たちが過剰な不利益を被っても気にしない。なぜなら悪いやつらだからだ。
とにかく縁を切るのだから、敵の不利益はかまわない。自分たちができもしないことも敵だから要求できる。
ツイフェミ界隈の女性達の特徴として破滅的なコミュニケーション能力の欠如というものがあると思う。
常人であれば、そこまでしない・それ以上やれば完全に敵対する、というラインを軽々と踏み越える。
それは「自分達こそ被害者なのだ。被害者である我々は何をしても許されるのだ」という認知があるのだとは思うが、普通の人間はそんな風には考えない。
一定の社会性やコミュニケーション能力を備えるものであれば、全面戦争など何の利益もない上、自分の評判を下げるだけであることは理解できるからである。
しかし、ツイフェミの人々はそれがわからない。
破滅的なまでにコミュニケーション能力が欠如しているためだ。