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弱者男性の生きづらさの本質は、不遇な境遇を「性格が悪いから」などと自己責任に帰せられることなんですよね

弱者男性の生きづらさの本質は、不遇な境遇を「性格が悪いから」などと自己責任に帰せられることなんですよね。メンヘラ女やシンママも基本的に性格はゴミカスですが、性的資本があるのでゴミカス性格でも支援の手が差し伸べられるし自己責任論から守られる。

弱者男性の本当にしんどいのは支援しようにも「性格が悪すぎて支援したら嫌な目に遭わされる」ケースがあること。性格の良し悪しに関係なく支援を届けるにはボランティアではなく福祉の手が必要。

@10anj10

@akihiro_koyama

というか、困窮者の性格が悪いことは当然の前提なんですよ。性格が良ければ(≒魅力があれば)周囲が助けてくれるのが人間社会ですから。「性格の悪い弱者」というのは、「金のない貧乏人」と同じで二重表現に等しい。

@akihiro_koyama

これは要するに、「性格の良さ」という指標ですら性的資本や社会的ステータスに左右されるという話です。ホームレスが空き缶拾ってたらみんな眉を顰めるけど、身なりの良い老婦人が空き缶拾ってたらみんな笑顔になる。金や美貌や地位を持つとひとは「性格が良く」なる。本人は何も変わらなくても。

@akihiro_koyama