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赤穂事件でおっかねえと思ったのは、吉良の首級を上げた浪士たちは泉岳寺に直行せず、いったん空地に...

赤穂事件でおっかねえと思ったのは、吉良の首級を上げた浪士たちは泉岳寺に直行せず、いったん空地に集合して上杉家の討手を迎撃すべく待ち構えていたことですね。

襲撃は一方的だったけど、大石は上杉家との市街戦で切り死にするところまで事前想定に含めていた。

@tsukasafumio

あと恐いのは薙刀で抵抗した吉良義周が武林唯七に斬られて昏倒した時、不破数衛門が薙刀の銀造りで義周と知りながらそのまま放置したこと。

義央の養子で実孫の吉良家当主なのに、とどめを刺していない。狙うのは上野介の首級、という大石の指示が不破のような狂犬クラスにまで徹底してる。

@tsukasafumio

吉良邸討ち入りは同士の統率や襲撃隊編成、情報収集、武器の選定と交戦規定の策定、さらに資金管理まで、周到な調査と準備で緻密に立案され、ほとんど破綻なく遂行された「軍事作戦」なんですよね。

@tsukasafumio

是非はさておき、戦士としての極めて高度な任務遂行能力を目の当たりにした幕閣や武士たちの衝撃はいかばかりか。

武士である限り、この襲撃の見事さ、戦士としての才は否定できない。それを全く否定したら、そもそも何で武士が支配階級やってるのかという話になる。

@tsukasafumio

武断から文治へ、自力救済から公権力による法執行へという歴史の流れの最終局面で「武士とは何なのか」を突きつける形で赤穂事件は起き、時代に波紋を投げかけました。

現代の理非では簡単に断じ難い、この時代の価値観の問題がそこにありました。

@tsukasafumio