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無能な同僚と働くということ。

「無能な同僚と働いている」と感じていたのは、僕が無能だったからだ。

仕事はひとりでやっているのではない。特に、僕らがやるようなことは、ひとりではできない、ひとりではやっていない。十人十色、千差万別の野心の集合体としてチームが存在し、それぞれの野心のベクトルの和が「チームの成功」に最大限寄与するようにアレンジするのが、僕のするべき「マネジメント」であったはずだ。

責任感という都合の良い言葉は、他人からしてみれば独り善がりのオナニーにすぎない。責任感を持ってやるのは良いが、他人に「責任感」を要求するのは、自分の行動価値観を都合よく押し付けているに過ぎない。

人は必ずしも「チームの成功」を第一の目的として働いているのではない。人が皆「チームの成功」を第一として働いている、というのはただの思い込み、あるいは願望である。であるがゆえに、「責任感を持つべき」というのは、あるい一つの価値観から導き出された「チーム成功への貢献の一つの解」ではあろうが、自分の考える「責任感」とかいう曖昧なものがあたかも共通の、絶対の動機になりうると履き違えてはいけない。

もし僕がまた「無能な同僚と働いている」と感じることがあれば、本当に無能なのは他の誰でもなく僕であり、あの時から僕は何も進歩していないということになるだろう。