ユング派心理分析家のルース・アマンが
"メソッド"と"テクニック"のちがいについて、
「テクニックには魂がない」
と述べていて、非常に合点がいった。
辞書によると
メソッド
組織だった方法、方法論
テクニック
技術、技法、技工
「アレクサンダーテクニーク」の「テクニーク」はテクニックのことで、創始者アレクサンダーはアレクサンダーテクニークとは呼ばず「わたしのワーク」と呼んでいたらしい。
そりゃそうだろう、創始者本人は自分の魂を込めてやっているだろう。まさにアレクサンダー氏のメソッド。
それが「アレクサンダーテクニーク」になったのは、受け継がれたのは技術、技法であって魂ではないということだと思う。
そして、僕はそれが良い!と思う。
アレクサンダーの技法を学んだ一人一人が、それに魂を込めたらそこに現われるのはアレクサンダーメソッドではなく、「その人メソッド」。
それ即ち亜流であることを意味しない。
一方、アレクサンダー「メソッド」を受け継ぐことにこだわると、それをやる人の魂が活き活きしなくなってしまうことはあるように思う。
守破離みたいな感じか