このとき始めて、私はこの日本における管理職教育上の大問題を自覚しました。そうなのです。マネージャーとリーダーは本来別物なのです。それなのに、それらを混同して一人の管理職に全て押し付けてしまうので、よほどの逸材でもないかぎり、結局両方とも上手くこなせずに疲弊してしまいます。そんな管理職を見る部下たちは、これは自分にはとても無理だ、と管理職意向を失っていきます。悪循環です。
まず、リーダーという言葉ですが、英語でリーダーというと、大体会社のトップを意味します。要は社長です。社長が率いる経営陣は「リーダーシップチーム」です。つまり、リーダーとは、大きなビジョンを指し示し、そこにみんなを引っ張っていく人、文字通りフォロワーを先導(リード)する人なのです。日本語に訳すなら「指導者」ということになります。国のリーダーのことを「指導者」と言いますよね。あの指導者です。
それに対してマネージャーは、会社組織でいうと係長や課長、部長などといった中間管理職です。数人からなる小グループの長が「リーダー」と呼ばれることは、英語圏のビジネスシーンでは基本ありません。マネージャーはリーダーが示したビジョンを実現すべく、会社から与えられたチームのアウトプットを最大化する役割を担う「管理者」なのです。
この2つを混同することの問題は、最もマネージャー寄りの課長レベルでは、リーダーシップの重圧に押しつぶされてしまうことと、マネージャーとしての技能が育たないこととして顕在化します。まず前者ですが、「チームを引っ張らなくてはならない」と気負い、それが上手くできずに、自分は向いていないと絶望してしまう人が一定数でてくるのです。
そこだけを見て「技術や知識でどうにかなるものではない」と開き直ってしまうと、十分に技術や知識が活きる「管理者」の仕事も根性論に近いもので何とかさせようとする風潮が生まれてしまいます。しかし、目標設定、委任(デリゲーション)、関係づくり(リレート)、ティーチング・コーチングなど、管理者が拠り所にできる知識や技術はかなり確立されており、それらを身につけることでマネージャーの仕事は飛躍的に効率化します。
一番リーダー寄りの経営者のレベルで起こる問題は、マネージャーとして結果を出し評価をされてきた人材が、トップになった途端にリーダーシップで評価されるようになり、急に無能化してしまうことです。リーダーとしての心得や覚悟が養われない状態で、いきなりビジョンを描き人を引っ張れ、と言われても困ってしまうのは当然です。そもそも資質がない場合は、さらに厳しいことになるでしょう。
また、逆にリーダーの資質がある人は、少なからぬケースでとても尖っていたり、対人関係の作り方に問題を抱えていたりします。そういう人は管理されるのも、またするのも苦手だったりするので、係長とか課長のレベルでは活躍できない可能性も往々にしてあります。イーロン・マスク氏が大企業の課長をやっているところを想像してみてください。そこで嫌気が差して組織を飛び出し、起業でもして大成すればいいのですが、変に根気強く組織に残っていたりすると、評価されないで終わるか、せっかくのリーダーシップの源泉に蓋をされてしまうようなことにもなりかねません。
こういう事態を防ぐには、やはりマネージャーとリーダーを分けて考え、それぞれの適性を踏まえて人材を育成していくことが重要なのではないでしょうか。もちろん、両方の資質がある人を相手に、両方を育めればそれがベストです。ただ、マネージャーの適性だけがとても高い人もいれば、逆に適性がリーダー方面にいい意味で歪んでいる人もいます。前者には管理のプロの道を示し、後者には最低限のマネージメント教育と良き協力者をあてがってリーダー教育を施すことで、両者の無駄な挫折を避けて通ることができます。