運用を続けていく中でわかったことは、ADRはある種「街の掲示板」のような役割を果たしてくれるのだなということです。突然決定だけが行われるのではなく、コメントを募集するような未決定状態のフェーズから衆目に晒すことができるため、組織内にジワジワと意思決定を浸透させていってくれます。
未熟な状態の設計決定でも、コメントのやり取りを行う中で明確化されていくので、記録も残るし設計も洗練されるし、良いことづくしです。実際にADRで策定された機能であったり、設計上の変更がリリースされた場合も、すでに全体に情報が周知された状態になっており良かったです。
個人的にはADRを過去にも取り入れようとしたことがあったのですが、その時は失敗してしまいました。その失敗の最たる原因は、ADRをソフトウェアと一緒にソースコード管理ツールの管理下においたことです。
結果としてADRは、一つのソフトウェア内にロックインされた形になりました。ADRという会社の共有資産としてはではなく、特定のソフトウェア内の情報になってしまったのです。そのプロジェクトに参加していた人はそれを閲覧できるが、それ以外の人からすれば見に行く動機がありません。ドキュメントが残っていること自体は良いのですが、ソースコード管理ツールを自由自在に操れるのは基本的にはプログラマーです。そのため、ディレクターや関連する他部署の人からは参照しづらいADRになってしまいました。
人から見られることのないドキュメントは、批判を受けないので修正もされずに野放しになります。結果的に、この時のADRは作り始めて数週間で廃れ始めて、そのうち誰もそのドキュメントを参照しなくなりました。