この世に「プログラミング言語」という存在が生まれた1950年代にも、「使いものにならない」と述べるプログラマがいたらしい。アセンブラどころか、バイナリでプログラムを組んでいた人々だ。
生成AIの吐くコードを「使いものにならない」というプログラマを見るたびに、この逸話を思い出す。
実際、当時のコンパイラは性能が悪く、マシンパワーも弱々だったので、彼らの言い分には一理も二理もあったようだ。そういうところも、現在の「生成AIが吐くコード」に似ている。内容を理解していないのに改修どうすんねん?保守性は?セキュリティは?ってツッコミ、ぜんぶド正論だ。
プログラミング知識ゼロのぼくは、今のところClaude 3.7 sonnetで生成したコードをo1 proにデバッグさせて、o1 proで生成したコードをClaude 3.7 sonnetにデバッグさせている。分からない用語が出てきたらo3-miniに解説してもらう。(※Geminiは触っていないから分からない)
簡単なJavaScriptのゲームなら、爆速で作れる。あと、画像生成AIで作った膨大な枚数のイラストを整理(※一括で名前変更したりリサイズしたり1枚に繋げたり)するためのプログラムを、Pythonで作ったりしている。
計算機の歴史からいえば、Claude 3.7 sonnetのようなコーディングに強い生成AIは、「BASIC」に似ているかもしれない。当時主流だったFORTRANなどの言語は扱いが難しく、文系の学生でも扱える言語を目指して――コンピューティングの民主化を目指して――BASICは生まれたらしい。
かつてコンピューターは非常に高額な道具で、大学や企業の「電算室」から動かせないものだった。パーソナル(個人用)コンピューターなど夢物語だった。しかし1960年代になると「タイム・シェアリング」という技術が開発され、1台のコンピューターを複数人で同時に使えるようになった。
タイム・シェアリングによってコンピューターにアクセスできる人間が急に増え始めたことも、BASIC誕生の背景にはあるらしい。
どの製品を「世界初のパソコン」と見做すかには議論がある。有力な候補の1つが、Altair 8800だ。このマシンで動作するBASICを開発したところから、ビル・ゲイツはキャリアをスタートした。BASICは(直接的にも間接的にも)たしかにコンピューティングを民主化した。
同じようなコンピューティングの民主化が、生成AIで起きようとしている……と俺は感じる。生成AIが起こすであろう世の中全体の変化から見れば、これはごくわずかな一端かもしれないけど。