■ 1. 「ハッカーの呪縛」からの解放
- 新多真琴(あらたま)氏が2023年3月のYAPCで行った講演「あの日ハッカーに憧れた自分が、『ハッカーの呪縛』から解き放たれるまで」は大きな反響を呼んだ
- 新卒で入社したDeNA時代に自らにかけた「ハッカーの呪い」とは、技術で突き抜けなければならないという強迫観念であった
- この講演はエンジニアとして「技術で突き抜ける」以外の道を示す内容で、多くの人が救われる思いをした
■ 2. 現在のキャリア
- DeNA退社後は二つの企業を経て、Cake.jpで若くしてCTOを経験した
- 現在はLayerXでエンジニアリングマネージャーを務めている
- 音大卒で、プログラミングを学び始めたのは大学生になってからというユニークなキャリアである
- メディア出演の機会も多く、自分を客観視している印象だが、キャリア初期は「自分を見る鏡が磨かれていなすぎて、虚像を見ていた気がする」と語る
■ 3. 自己分析能力の獲得
- 自己分析が得意になったのはここ6、7年くらいで、以前はもっとぼんやり生きていた
- 紆余曲折を経て、自分とちゃんと向き合った方が自分にとってもいい人生にできるし、関わる人に対してもいいものを渡せると気づいた
- きっかけ: 以前いた会社で思ったほど評価されないと感じ、すごく頑張ってプロダクトにいい影響を与えたはずなのに意外と評価されないと思った
- 気づき: 「結果を出していれば評価は後からついてくるでしょ」というのはすごく傲慢な物言いで、評価する側がどう評価したらいいのかを判断するための材料まで含めて渡すことが被評価者としての義務である
■ 4. 評価のされ方の学習
- 改善策:
- 「期が締まるまでにここまで打ち上げます」という宣言をする
- 月ごとに振り返りつつ、実際に期が締まるタイミングで「もともと言っていたところにこれくらいオンしました」「あとこのくらいでした」「この部分はこういう評価になりますよね」というところまでまとめて渡すようにした
- そうしたら結果がついてくるようになった
- きっかけ: VPoEに「マネージャーという仕事をたいして知らなくない?」と言われ、マネージャーとは何かを調べ出した
- 学習過程: 本を読んだり、メンバーレイヤーでもできそうなマネジメントスキルやリーダーシップを発揮しようとやってみた
■ 5. DeNA時代の新人メンター経験
- 新卒2、3年目のときに下の代のメンターをやることになったが全然うまくいかなかった
- ずっと新卒に「正論パンチ」しまくって、お互い険悪になった
- 原因: 自己肯定感も全然なかったので、自分のできることはみんなもできることと思ってしまっていた。その尺度で話してしまうと「なんでこんなこともできないの?」みたいなことを言ってしまった
- マネジメントに関して改めてインプットし始めたタイミングで、初めてそのときに抱えた傷を自分でちゃんと解釈して落とし込めるようになった
■ 6. DeNA時代の「化け物」との比較
- DeNA時代のあの環境には「化け物」がいっぱいいたため、ずっと一番下だと思っていた
- 何をやっても自分は最下層だと感じていたが、実際はそれなりに働いていて評価もされていた
- しかしそれを客観的にキャッチできていなかった
- 自分の中のイメージとギャップ: 技術的に突き抜けていないといけないと考えていた
- 周りには突き抜けた人たちがいっぱいおり、彼らを見て何かを捨てることなく差を縮めようとするが全然縮まらなかった
■ 7. 評価のギャップ
- 周りからの実際の評価:
- 周りは別に突き抜けることなんて求めていなかった
- むしろプロジェクトを前に進めることや周りを巻き込むこと、何とかして物事をうまく行かせる力があるという評価をされていた
- 当時の認識: 「そんなものはやったら誰でもできるじゃん」と思っていた。プロジェクトマネジメントみたいなことを任されるのはたいして期待されていないからだろうと思っていた
- ひねくれていた状態であった
■ 8. 職人タイプへの憧れの理由
- ひとかどの人間になりたかった
- それがいいとされる価値観だった
- YAPCというPerlハッカーのカンファレンスでいいねとされる人たちはやっぱり技術的に頭一つ抜けていた
- 世の中を文字通り技術で変えにいっている人たちだった
- そういう人たちに憧れてDeNAに入社を決め、ハッカー集団がいる部署に絶対に行きたいと考えた
- 「卒業して配属研修を終えて、もしそこに配属されなかったら辞めます」くらいのことを言っていた
■ 9. オーケストラの指揮者としての役割
- 実際は尖った人たちばかりいてもチームとしては機能せず、まとめる人や間をつなぐ人もやっぱり必要である
- オーケストラの指揮者のような役割を自分はできていたが、そこがチームに足りていないとも思っていなかった
- そのポジションの重要性は全然わかっていなかった
- なにやらありがたがられている、なにやら評価されているらしいことはわかるが、それは自分の実力がないからだという認識が結構長く続いた
- それは退職してからもずっと続いた
■ 10. 仮想敵の問題
- 同年代の仲間でも技術で頭角を表している人はいるので、そういう姿を見てしまうと翻って自分はと思ってしまう
- 仮想敵が強すぎた
■ 11. ピアノと音楽のキャリア
- 幼稚園から始めて中学では合唱部で伴奏をやっていた
- 音楽は自分のアイデンティティだった
- 学校に一人とか学年に一人いるピアノが上手い人だった
- 小学校のときのピアノの先生に「あなたいいわね」「音大附属に行きなさい」と言われて調子に乗って「絶対に音大に行く!」と言ってしまった
- 高校2年くらいまではピアノで食べて行こうと思っていたが、入学した頃からだんだんと陰りが見え始めた
- 音大には「学校に一人いる上手い奴」が全員集まるため、どんなによく見積もっても「中の上」くらいに思えてしまった
- 家庭環境が音楽一色の子たちがたくさんいて、どう頑張ってもその子たちのようには弾けないなと悟った
■ 12. 音大でのピボット
- 初めて今後の人生について考え始めた: 音楽では食っていけないのではないか
- ヤマハの先生になりたいわけでもなく、「ピアノじゃないかも」と思った
- すでに高2高3なので他大を受験するには遅すぎた
- 附属からそのまま上がった大学で何か面白そうな学科を探し、コンピュータを使って作曲する学科があることを発見した
- パソコンが好きだったことと、唯一就職率についての言及があったため、「ここにいけば食いっぱぐれることはなさそう」という邪な気持ちもあり受けて滑り込んだ
■ 13. プログラミングとの出会い
- コンピュータ音楽専修という学科で、コンピュータ技術の発展とともにできるようになった表現を取り入れて音楽創作の新しい姿を模索する
- プログラミング、C言語の基礎科目があり、「ちょっと面白いかもしれない」と思った
- 周りは軒並みぐったりしていて「あれ、楽しいと思うのは私だけ?」と感じた
- そこで初めて「人よりもちょっとできる」というものが見つかり、そこからクリエイティブコーディングに走り始めた
- 卒業制作では音大の卒制に音の出ないアプリを提出するという暴挙に出た
■ 14. インターンとDeNA入社
- 学生時代からGoogleやカヤックなどにインターンに行っていた
- 1年の真ん中頃にはもうプログラミングにハマっていた
- カヤックのインターンでお世話になった社員が誘ってくれたのがYAPCで、そこで当時DeNAで尖った人たちをまとめるマネージャーをしていたhidekさん(木村秀夫さん)の基調講演を聞いた
- hidekさんの話を聞いて「この会社だったら自分も成長できるのではないか」「ここに行きたい!」となった
- ここで憧れが強く形成されてしまったばかりに、この先10年悩まされることになった
■ 15. 挫折の認識
- 当時の自分はピアノや作曲に関する挫折を挫折として認識していなかった
- なんならピボットしてやったぜ、みたいな感覚だった
- 「おもしろ重視で全部の話に乗っかっていったら、気づいたらエンジニアになってました」くらいの気持ちだった
- DeNAの最終面接で「これまでにした一番大きな挫折はなんですか?」と聞かれたときも「いや、ないっすね」と答えた
- 「じゃあ高校とか大学のことを振り返ってみましょう」と言われていろいろ話していたら「それって挫折じゃない?」と指摘されて「はっ、そうか!」と気づいた
■ 16. 虚像からの脱却
- 自分を見る鏡が磨かれていなすぎて、虚像を見ていた気がする
- 技術で突き抜けることが求められていることだと思っていた
- 期待に応えられていないとずっと思っていて、それが苦しかった
- 尊敬するマネージャーの先輩もいたが、自分はそうではなく技術で突き抜けることを期待されていると思い込んでいた
- 誰も頼んでいないのに
■ 17. 腹落ちのタイミング
- それが虚像だったと腹落ちさせられたのは2023年3月である
- YAPCで例の講演をしたときである
- 4社目のCake.jpでCTOとして2年くらいやって、事業を前に進めるために必要なことや会社を会社たらしめるために必要なこと、その中でエンジニアが担うべきロールを曲がりなりにも言語化できるようになってきた
- ちょうどYAPCがあるということで、キャリアを振り返ってみようと思った
- 2011年に火を灯してもらったところから今までを振り返って、ハッカー憧れを自分はどういうふうに昇華させていったのかというプロポーザルを出した
■ 18. YAPCでの反響
- 通ってしまったので頑張って話したら想定以上の反響があった
- びっくりしたのは、自分と同じようにもがき苦しんでいる人がこんなにもいるのかということ
- 特に若手の新卒3年目くらいまでの人は、自分なりの価値基準がまだできていないから、周りの強い人たちを見て「自分はこんなに強い人にはなれないのではないか」「この先エンジニアとしてキャリアを歩んでいくのにふさわしくないのではないか」といったことを考えてしまう
- そうやって苦しんでいる人がすごく炙り出された
- かつての自分みたいな人が今でもたくさんいるということと、そういう人たちに対して「こういう価値基準もあるよね」というものを一応お渡しできたという実感ができた
- それで「ああ、やめよう」「もう大丈夫だな、私は」と思った
■ 19. CTOという肩書き
- CTOに就任したときは「やっていることに名前がついただけだな」という感じだった
- 入った段階からそのポジション前提でオファーをもらっていた
- 「CTOになった!」という特別な感慨はない
- ただ、CTOというパスがあると入れる場所が結構あり、それによって得られたコネクションや知見がすごくあるので感謝している
■ 20. LayerXへの転職
- 学生スタートアップをやっていたときの同僚にLayerXのCTOの松本がいた
- 仲は良かったのでその後も年に2回くらいのペースで会って、壁打ちや「最近どう?」みたいな話はずっとしていた
- 前職から「CTO候補としてどうか」というオファーをもらったときに松本に相談したら「あらたまさんはバランサータイプだからたぶんいける」と言われて、なるほど、彼が言うならきっといけるんだろうと思ってオファーを受けた
- 「あのとき背中を押してくれてありがとう、ところでそろそろ」みたいな流れで転職した
- 転職をする際は一緒に働く人を重視する
- きっかけとしては人に誘ってもらって興味を持って、この人「たち」と働きたいになれたら移ってくる
■ 21. 現在の立場とハッカーへの憧れ
- EMという立場になった今でも、ハッカーへの憧れは固執しなくなったというだけで今もある
- あるのも含めて自分だと思えるようになった
- そこに対して手を伸ばし続けるために、技術力、エンジニアリングからすごく離れるみたいなことは今はやりたくないと思っている
- 相対的に割合が減って1割とかになってしまってもそこは手を伸ばし続ける
■ 22. 会社と人の関係性
- 会社って結局人が寄り集まって事を成しているものなので、それをブーストさせるのも棄損させるのも人と人の関係性だと思っている
- 事業に関する戦略をどう立てるかももちろん大事だが、それをどうやり抜けるかも会社がちゃんと成長していくためにはすごく必要なファクター
- そのためには関係性というのが一番テコがかかるところだと思っているし、自分はそこに力を割くことがパワーの全体総量を一番大きくできると考えている
- これからもそういうところに手を当て続けることを考えるんだろうなと思っている
■ 23. 技術書と組織本の読書比率
- 技術書を読むスピードよりも組織などの本を読むスピードの方が早い
- エンジニアリングや技術が自分の中で占める割合が以前より小さくなっているとは言える
- そのことに対する寂しさはあまりない
- たぶんHOWに関するこだわりがそんなにない
- LayerXは割とそういう人が多く、「無法者集団だね」と話している
- 「成果が出るならなんでもいいじゃん」みたいな感じが結構好きである
■ 24. 内発的動機の重要性
- 自己評価を他者に委ねているうちは何をやってもダメだと思う
- それよりは内発的動機に目を向ける機会がもっとあれば良かったと考える
- 内発的動機は「これをやりたいんだ!」という強烈な欲求のようなものとして立ち現れることはそうそうない
- 「これよりはこっちの方が自分は楽しめるな」とか「他の人が発揮していないこだわりを発揮しちゃってるな」とか「他人がやっているこれが許せない!」など、自分の心が動いた瞬間をちゃんと自分でキャッチして、それはなぜなのかを深掘りしていく
- それをよりできるためには誰にどうしたらいいだろうというふうにアクションにつなげていく
- それを繰り返すことで自分自身を認めてあげることにもなるし、多少なりとも評価がついてくるようにもなる
■ 25. やり切ることの重要性
- 音楽に関してもエンジニアリングに関してももしかしたら諦めるのが早過ぎたなと振り返って思う
- ピアノはまあまあやっていたが、もっと頭を使って演奏できたよな、何も考えずに取り組んでいたなと思ってすごく悔しくなったタイミングが数年前にあった
- 作曲に関しても苦手だなんだと言って、やる前から諦めていなかったか
- 基本的にアウトプットの質はインプットの量とそれをどう経験に落とし込めたかの掛け算だと思っている
- それをやってきたかと言えば、やらないうちに諦めていたというのがあって、すごくもったいなかったなと思うし今でも後悔していることの一つ
- 「やり切ったけど、ここまでの高みには届かなかった。だからばっさりやめて次の道を探そう」と言えた方がしこりが残らなくていい
- 自分なりにやり切ることは改めて大事にしたいと思っている
■ 26. 自分がよしとする基準
- 周りからの評価以前に、自分なりにやり切れたと言えるかどうかが大事である
- 自分がよしとすればいい
- 何をもってよしとするかの判断基準が、他者から認められるとか名声を得るとか、他者に依存した自分ではコントロールできないものになってしまうと苦しい
■ 27. コピーバンドの経験
- 最近コピーバンドを始めた
- 飲み会の後に「好きな曲を好きなだけ歌い散らすカラオケをやろう!」となり、その中の一人がめちゃくちゃテンションが上がって「バンドやろう!」と言い出した
- 後日「スタジオを借りました」「課題曲はこれ」「あらたまさんはボーカルね」と言われた
- まさか自分がバンドでボーカルをやるなんて夢にも思わなかったが、せっかくだからやってみようと思ってやってみたらすごく楽しかった
- 昔はそういうアマチュアの活動はただお金が出ていくだけだしなんのためにやるんだろうくらいに思っていたが、集まって何かを一緒に作るという体験自体が何事にも変え難い楽しさとして認識できるんだと飛び込んでみて気づいた
- 10年前だったら間違いなく誘われても「いいです」となっていたと思う