■ 1. はじめに
- 医師を辞めてAI・スタートアップ界隈に来てからもう少しで3年になる
- 自分自身はAI業界に転身したつもりなのでスタートアップ界隈という認識は薄い
- やっていることはザ・スタートアップである
- 医療AIはほとんど開発していない
- ずっと画像生成、音声合成、大規模言語モデルといったエンタメやディープテックに近い領域で戦ってきた
- toBよりもtoC寄りである
■ 2. 医師から虚構の世界へ
- 医師からこの業界に来て最初に食らった洗礼は言葉の重みの違いであった
- 医療の世界では正確性とエビデンスが命である
- 誇張は患者の死に直結する
- スタートアップの世界:
- 実現していないことを高らかに語ることは嘘ではなくビジョンと呼ばれ称賛される
- できないとは言わず(資金があれば)できると言う
- ピッチは飛ばしてなんぼであり夢は大きければ大きい方がいい
- 実際にスタートアップはある閾値を超えると指数関数的に成長していくから多少の誇張は現実になる
- エンジニアの視点から見るとなんとも夢物語で10年後でも無理だろうというものがワンサカ出てくる
- この真逆のルール「虚構を現実に変えていくゲーム」に慣れるまでには少なからず脳の切り替えが必要であった
■ 3. エアフレンド時代の経験
- 医師を辞めて最初に飛び込んだのはエアフレンドというスタートアップであった
- CEOの圧倒的な熱量に惹かれてジョインした
- 来る日も来る日もアプリの仕様や骨格を煮詰めた
- それは自分にとってまさに青春とも呼べる宝物のような日々であった
- AI/Backendエンジニアとして、PMとして、画像生成AIの研究に没頭した
- ひたすら良いものを作ることにコミットしていた
- 致命的な落とし穴:
- 良いものを作れば勝手にユーザーが集まるというエンジニア特有のナイーブな幻想を抱いていた
- ビジネスとしての骨格よりもプロダクトの美しさを優先してしまったのかなと今振り返ると思う
■ 4. Livetoon時代の挑戦
- その後LivetoonでCTO(最高技術責任者)として活動するようになった
- 現在もAIキャラクターや音声合成(TTS/STS)などの領域でプロダクト開発を続けている
- AIプロダクト開発には別の地獄がある
- それは技術の陳腐化速度が異常だということである
- OpenAIやGoogleが発表するモデルやプロダクトによって数カ月かけた作ったものが一夜にして無価値になる
- 音声合成AIを研究・開発している真っ只中に海外から人間と区別のつかないレベルのAPIが公開され全てが過去の遺物になるなんてこともあり得る
- 昨日の必殺技が今日の標準装備(デフォルト)になり明日にはゴミになる
- この徒労感と戦いながらそれでもなお自社プロダクトとしての価値をどこに見出すか
- 今のAIスタートアップにおけるプロダクト開発はまさにこの巨人の足元で踏み潰されないように城を築くようなヒリヒリする戦いの連続である
- 自分が下した決断も少なからずこういった影響を受けている
- LLMの自社開発・提供に待ったをかけたのも日本語TTSという海外の巨人がまだ来ていないジャンルに投資したのもそういった判断によるものである
■ 5. AI受託開発の実態
- プロダクト開発の苦行を横目に今のAIスタートアップの8割くらいが選んでいる道がある
- それはAI受託開発である
- PoC工場の実態:
- やることはシンプルである
- 大企業からの「これってAIでできないの?」という問いに対しChatGPT等のAPIを裏で回して「ほら、AIでこんな未来が作れます!」とパフォームしPoC(概念検証)を回す
- 2024年頃まではAIというジャンルの先進性だけでそれなりにパイを取ることが可能であった
- 2025年後半になって急に雲行きが怪しくなってきた
- 理由は単純に誰でもできるようになったからである
- プロダクト開発能力を持たないため技術的な参入障壁がない
- 先行者利益など存在せずあるのはリソース勝負だけである
■ 6. 学生インターンの人海戦術
- 技術力で差別化できないとなるとAIのAPIを触れそうな学生インターンを大量投下して馬車馬のごとくPoCを高速回転させる必要がある
- うかうかしていると隣のスタートアップがさらに多くのインターンを投入してくる
- しかもAIの進化は目まぐるしく半年前に納品したPoCはあっという間に陳腐化する
- こうなると最終的にはコネクションゲームになる
- 技術ではなく誰が言っているかが重要になる権威性ゲームの始まりである
- そうなると強いのがドメインに入り込んで顔を売っていた人たちか圧倒的なネームバリューを持っている人たちである
- 後者の場合これはもう当たり前に東大勢(東大発ベンチャー)が圧倒的に強くなる
- 東大発というブランドで受託を取りM&Aによるイグジット(人生のアガリ)を目指すことが一つの勝ちパターンとして定着してしまっている
- 東大発スタートアップ界隈には尊敬する友人や共に戦う仲間がたくさんいる
- 彼らが真剣に技術と向き合っているのを知っているからこそ一部のブランドを騙る層が余計に目に付くのかもしれない
■ 7. 魑魅魍魎なエコシステム
- 真面目にやっている人たちが大半であるがこの歪んだ市場構造にはならず者も集まってくる
- 資金調達至上主義:
- スタートアップの戦闘力は何故か調達額で測られがちである
- シリーズどれくらい?からマウント合戦が始まる
- ロジックの美学:
- まずはやってみなはれとは真逆である
- 妄想ワールドの中でロジックの穴を乳繰り合うコンサル上がりの文化である
- ヤバい奴ら:
- 投資資金を私的に利用し夜の街でフラフラしている
- いつの間にか蒸発する声だけデカい人々である
- 制度ハック勢:
- 売上はほとんど無いが補助金で食いつないでいる会社である
- 最近では東大系の一部もこれに目をつけハックしきっている印象すらある
■ 8. デューデリジェンスの違和感
- 投資家(VC)について触れずにはいられない
- お会いしてきたVCの方々は皆さん本当に人格者で親身になって相談に乗ってくれる優しい方ばかりである
- 起業家の夢を応援したいという熱意も本物だと思う
- しかしいちエンジニアの視点から見ると技術の目利き(デューデリジェンス)という点ではどうしても違和感を感じてしまう瞬間がある
- 彼らは自分でAIモデルを作ったりGPUのエラーログと格闘したりするわけではない
- なのでどうしても判断基準がXのトレンドやChatGPTの派手なアップデート情報そしてわかりやすい権威に寄ってしまう傾向がある
- AIスタートアップに投資するといいつつ実態の調査は殆どできず表層の理解にとどまっている
- 東大発、松尾研出身といったブランドへの信頼が厚いのも理解できる
- しかしその結果として中身の技術的な難易度や独自性よりも安直に回収できそうな受託メインの優等生に資金が流れていないか
- 最近話題になったオルツの上場後の動きなどを見ても実態としてのAI産業を育てることよりもバリュエーションを上げて売り抜けるマネーゲームの側面が強くなっているように感じる
- これは私の観測範囲の偏りに過ぎないのかもしれない
- 本当に技術の本質を見抜きリスクを取って基盤産業を育てようとしている凄い投資家は存在するのに単に私のレベルが不足しているためにそういった方々に巡り会えていないだけなのかもしれない
- そうであれば完全に私の力不足であり精進あるのみである
■ 9. 雲の上のマネーゲーム
- 数千万円の調達やGPUコストに頭を抱えているのとは裏腹に桁違いの資金が動いている世界もある
- Third Intelligenceが初のラウンドで80億円、Sakana AIが追加で200億円調達するニュースがある
- 正直ここらへんはもう自分が生きている世界とはレイヤーが違いすぎて分からない世界である
- 彼らが掲げるAGI(汎用人工知能)や壮大なビジョンが具体的にどうなっていくのか分からない
- 分からないことには口を出さない主義なので深いコメントは避ける
- ただあるところにはあるんだなぁと感じる
- 現場で泥臭くコードを書いている身からするとどこか遠い国の神話を見ているような気分になる
■ 10. おわりに
- 医者を辞めこの世界に飛び込んだ
- そこにあったのは煌びやかな未来というよりは虚構と欲望そして地道な技術の積み上げが混在するカオスな世界であった
- 華やかな資金調達ニュースや東大ブランドの受託ビジネスを横目に見つつたぶん自分は現場で手を動かし続けると思う
- バブルが弾け流行りが去ったあとに残るのは結局のところ誰かの役に立つプロダクトを作れるエンジニアや実行者だと信じているからである