■ 1. 経歴と英語公用語化との遭遇
- 筆者は競争を避けて人生/キャリアを歩んできた
- 学生時代は高専受験に失敗し地元の公立工業高校へ進学した
- 大学はAO入試で入学し学力不足により1年留年した
- 就活は不調に終わりインターン先のWeb企業に拾われる形で入社した
- 1社目は外国籍エンジニアが多い環境であった
- 入社時のTOEICは400点台で英語のクラス分けは最下位レベルであった
- 数年間の多国籍チームでの業務を通じTOEICは900点程度に到達した
- スピーキングもCEFR B2レベルに達した
- 2社目は急速に英語公用語化を進める純日本企業であった
- 軽い気持ちで転職したが英語公用語化は言語の違いだけの問題ではなかった
■ 2. 口頭ミーティングにおける英語の壁
- グーグル日本法人初代社長の村上憲郎氏のインタビュー記事に強く同意した
- 英語ができないだけで頭が悪いと判断されるという内容であった
- 外資系では英語ができないとチンパンジー扱いされるという内容であった
- テキストコミュニケーションとリスニングには大きな問題はなかった
- SlackではAIの力も借りてネイティブ級に対応できた
- リスニングで致命的に困ることはなかった
- 口頭のミーティングでは機能不全に陥った
- 高度なエンジニアリングの思考はあっても英語で表現できなかった
- 単語を並べるだけでは議論で相手を説得できなかった
- 英語が流暢に出てこないことでスタートラインに立てなかった
- 間違った技術的判断を見逃すことがあった
- 知性が低いと見なされエンジニアとしての尊厳が削られた
■ 3. 「緩やかな多国籍」と「生存競争」の違い
- 打ちのめされた要因は英語力不足だけではなかった
- 文化の違いとハングリー精神の差が大きな要因であった
- 1社目には緩やかな多国籍の空気があった
- 開発資料やコードレビューは英語だがSlackやミーティングは母国語や通訳を介して行われていた
- 日本語が堪能な中韓の留学生や在日経験の長いエンジニアも多かった
- PdMや役員も多国籍でお互いの文化や言語に歩み寄る空気があった
- 2社目には生存競争の空気があった
- アジア各国から直接採用されたハングリー精神の強いエンジニアが集まっていた
- 彼らは英語を当然のツールとして扱い活躍と昇進に飢えていた
- 圧倒的な熱量で技術を語り自己アピールを行っていた
- 競争を避けて生きてきた筆者にとってこの環境は言語の壁以上に高い障壁であった
■ 4. 英語化の現場に抜け落ちていたもの
- 在宅勤務中に妻からの厳しいフィードバックを受けることが増えた
- 妻は3カ国語を操るマルチリンガルで競争社会を生き抜いてきた人物である
- ミーティング後に内容が伝わっていないという指摘を受けた
- 妻と会社には歩み寄りの有無という違いがあった
- 妻は厳しい一方で大切な場面では筆者の分かる言葉まで降りてきた
- 会社では歩み寄りが構造的に抜け落ちていた
- 日本語中心のビジネスサイドと英語化された開発現場の間に行間が生まれていた
- 仕様を定義するビジネスサイドは日本語中心であった
- 開発現場のみが急速に英語化されていった
- 英語化という挑戦自体は合理的だが見落とされた価値があった
- 日本語を覚えようとする外国人エンジニアを歓迎する価値があった
- 英語が完璧でない日本人エンジニアのドメイン知識を尊重する価値があった
- 言語と文化のすき間を埋める人材は評価されにくかった
- 多少英語が話せる日本人エンジニアや日本語ができる外国人エンジニアがすき間を埋めていた
- 1社目では日本語が流暢な外国人同僚がその点を評価されないと話していた
■ 5. 結論: 自身の選択と組織の今後
- 言語の壁を越えて組織を動かすには努力以外に才能や適性が必要である
- 筆者には才能も生存競争を勝ち抜くハングリー精神もなかった
- 筆者は強者だらけの土俵で戦うことをやめる選択をした
- 日本人エンジニアが母国語で活躍できる企業で生きていくことを決めた
- 2社目の開発現場では日本人エンジニアの割合が30%を切っていた
- 筆者のような人材が限界を悟り離職していった結果と考えられる
- 残される組織には言語化されない空気を読む橋渡し役が失われるという課題がある
- 英語が苦手なビジネスサイドと日本のドメイン知識を持たないエンジニアだけが残る
- 縮小する国内市場から脱するためには英語化という痛みを伴う選択も避けられない現実がある