■ 1. 人物概要
- 「とほほのWWW入門」管理人・杜甫々(とほほ)氏のキャリア回顧録
- 1988年にメーカー系ソフトウェア子会社に入社し、2025年に定年退職(同一会社に38年勤続)
- 1996年にWeb技術解説サイト「とほほのWWW入門」を開設し、現在も運営継続
■ 2. エンジニアになるまで
- 1982年、高校生のときにコモドール社のVIC-1001(マイコン)でコンピュータに初めて触れる
- 大学ではPC-8801、PC-9801、Apple II、パンチカードなど多様な環境でプログラミングを経験
- 当初は中学校理科教師を目指していたが、アルバイトでのプログラミング経験を経てエンジニアに転向
- 1988年(最後の昭和入社として)地元のメーカー系ソフトウェア子会社に就職
■ 3. キャリアの軌跡
- 入社直後:
- 3カ月の新人研修(既知の内容が多く退屈)
- 配属先は開発と研究を半々で行う半研究所的部門
- 自由な雰囲気の中で業務の合間に仮想OSもどきを自作し、先輩に評価される
- 入社3〜6年目:
- プログラマーとして最も充実した時期と自己評価
- 夜遅くまで開発に没頭し、A案・B案を両方実装して比較するなど試行錯誤を重ねる
- 後輩への指導方針として「答えを教えるのではなく調べ方を教える」を習得
- 10年目以降(管理職期):
- 役職上昇とともに管理業務が増加し、第一線の開発からは離れる
- 「上方向(上司・上層部向け報告)・横方向(顧客折衝)・下方向(部下育成)の仕事」を意識するようになる
- 上方向の仕事の割合が多かったと振り返る
- 40歳過ぎ以降(技術専門職期):
- 管理職から技術専門職へ配置換えを希望し実現
- 各プロジェクトへ「流しのアーキテクト」としてアーキテクチャ設計支援・技術支援を担当
- 蓄積したノウハウ集は500項目超に達する
■ 4. 長寿プロジェクトへの思い
- 最初にメインプログラマとして携わったネットワーク管理システムは定年退職時点で35年目を迎えるプロジェクトに成長
- 自ら発案・開発したセキュリティ管理システムは24年目、クラウド管理システムは12年目として継続中
- 携わったプロダクトが世に出て使われ続けることに喜びを感じる
■ 5. 「とほほのWWW入門」の開設と運営
- 管理職となり自身のコーディングが減った時期に、趣味と実益を兼ねて1996年に開設
- 会社固有の秘密・ノウハウは公開しないという条件で会社の許可を得て継続
- 技術を「理解すること」と「説明できること」はレベルが異なるという気づきを運営を通して得る
- 整理・確認・記述のプロセスが深い理解につながる
- 「好きだから続けられる」というサイクル(調べる→まとめる→公開する→反響をもらう)が継続の動機
- 2025年に開設30年目を迎える
■ 6. 同一会社に38年間勤続した理由
- 転職・起業を全く考えなかったわけではない
- 携わったプロジェクトや引き継いでくれた仲間への愛着が転職を思い留まらせた
- 気づけば定年まで勤めていたという自然な結果として捉えている
■ 7. 定年退職と退職後の生活
- 65歳まで延長も可能だったが、60歳で定年退職を選択
- 退職後はプログラミングへ回帰することを主な目標とする
- 退職直後に日本全国陶磁器巡りの旅で気分をリフレッシュした後、プログラミングを再開
- 自分の手でプログラムを仕上げていく達成感を改めて実感
■ 8. AIの台頭への向き合い方
- 当初はAIコーディングアシスタントと張り合おうとしたが、コードの質で完敗と認める
- 退職後に夢見ていた「プログラマーとしての生活」がAIにかっさらわれた感覚を覚える
- 現在の開発スタイル:
- Codexをメインの開発ツールとして使用
- Claude Codeにコードレビューを担当させる
- Gemini、Copilotなども試しながら使い分け
- Copilotは情報源リンクがBingになる点を問題視し「喧嘩別れ中」
- AIが書いたコードにアーキテクチャ面の修正を指示する役割となり、会社員時代と変わらない開発形態に落ち着く
- プログラミング言語の変遷をアセンブラ→高水準言語→自然言語(プロンプト)の進化として捉える
- 「何をつくるか」を考え「いいね」と言ってもらえるものをつくる役割は開発者に残り続けると考える
■ 9. 今後の展望
- 具体的な将来計画は特に持たない
- 「何かをつくってみたい」「分かったことを誰かに伝えたい」「いいねと言ってもらえるとうれしい」という動機は変わらない
- 肩肘張らず真面目に技術と向き合い続けることを方針とする