/note/tech

AIが破壊するIT業界の“人月商売” 「SIerの死」後に“生き残る者”の正体

要約:

■ 1. Anthropicショックの発生

  • 2月初旬、米AnthropicがナレッジワーカーAI「Claude Cowork」の業務プラグインを発表
  • 発表後6営業日で世界のソフトウェア・サービス株の時価総額が約8300億ドル減少し「Anthropicショック」と呼ばれる
  • 日本では大手SIerに加え、ベイカレントやSHIFTなどコンサル・開発支援系銘柄も売られた
  • 売りの背景にある読み:
    • SaaS株:AIが操作を代替すればシート課金モデル(利用人数に応じた課金)が成り立たなくなる懸念
    • SIer株:計画・進行管理・組み立て・テストといった「人月」を積み上げて稼ぐ構造がAIに置き換えられるという懸念

■ 2. 売りの前提の粗さ

  • 金融基幹システムを手掛けるFinatextホールディングスCFO伊藤祐一郎氏の見立て
    • Anthropicが次々出す業種特化型プロダクトの中身は「ほぼただのスキル」にすぎない
    • 中小企業のバックオフィス業務対応をうたうスキルも、実態は会計SaaSのMCP(AIエージェントと外部ソフトを繋ぐ共通規格)連携手順を記した数百行のテキストにすぎない
  • 法律やルールに基づく複雑な計算・業務の仕組みである「ビジネスロジック」の領域は、既存事業者に任せるのがAI開発企業側のスタンス
  • Anthropicショックは虚像ではなく、構造変化は市場の売りの理屈とは別の場所ですでに進行している

■ 3. SaaSの価値の置き場所の変化

  • 伊藤氏の指摘:UIレイヤー(操作画面の使いやすさという表側の価値)はなくなりはしないが、かなり弱くなるのはほぼ確実
  • AIが人に代わって操作するようになれば、人がソフトウェアに直接入力する場面が減る
  • 画面の使いやすさで選ばれてきたサービスほど影響が大きい
    • 会計SaaS大手freeeの例:機能の網羅性ではなく、会計になじみのないユーザーでも入力しやすいUIを強みに少人数の会社へ浸透し高単価を維持
    • 入力する人間がいなくなれば、この付加価値の根拠が薄れる
  • 「データを正しく記録する金庫」である基幹システム「SoR」(システム・オブ・レコード)を提供する企業でも、UIの良さだけで高料金を保ってきた会社は価格競争にさらされるという見立て

■ 4. ビジネスロジックの参入障壁

  • 画面の使いやすさに頼らない「データの金庫」機能のみのSoR企業も安泰ではない
    • 伊藤氏:「結局ビジネスロジック(計算の仕組み)とセットでなければ意味がない」
  • Finatextの貸付サービスの例:
    • 顧客の年収登録時、法律にのっとって「いくら貸せるか」が常に計算・記録される
    • 年収データの保有自体は難しくなく、価値は複雑なロジックで計算・転換された結果が100%の再現性でたまり続けること
    • AIは確率論でしかなく、100%正しくなければならない計算はAIに任せられない
  • このロジックの豊富さがそのまま参入障壁となる
    • 金融の基幹システムは膨大なロジックの積み上げで、数社の寡占状態
    • Finatext自身、証券領域で「5年かけてやっと一部の機能がそろってきた」段階
    • 今からSoRやロジック部分を開発しても先行大手への追いつきはほぼ不可能で「すでに握っている者」が強い

■ 5. 人月商売が削られる中規模市場

  • 伊藤氏が「リアルに空いているスペース」と呼ぶのは中規模企業向けシステム市場
    • SaaSの標準機能では要件に届かず、大手SIerに基幹システムを発注する予算もない帯
  • Finatext自身がこの帯の当事者
    • 金融関連ライセンスを持つ子会社が8社あり組織は複雑だが、規模はそれほど大きくない
    • 要件を満たすERP導入には「立ち上げに3億~4億円」と言われ断念
    • 安価なSaaSを組み合わせ、APIを自前で繋いで「無理やりねじ込む」対応を継続
  • 国内でこの帯に強いのはオービックやワークスアプリケーションズなどの業務パッケージベンダー
    • 蓄積したカスタマイズ資産の横展開でSaaSが届かない個別要件に対応
  • この帯で求められるカスタマイズの中身:
    • 会計ロジックそのものではなく、「複数の子会社に所属する従業員がどちらの会社でも申請できるようにしたい」「出力するPDFを自社フォーマットに合わせたい」といった、ビジネスロジックとは関係ない周辺の要望の積み重ね
    • ネックはコードを書く工数であり、AI駆動開発とAIエージェントの双方でコストが崩れれば対応できるプレーヤーが一気に広がる
  • そこで効いてくるのがアーキテクチャ(システム設計)の世代差
    • クラウド時代に基幹システムを作り直した「第2世代」は、機能を小分けにして独立させ部分ごとに安全管理を行う手法が標準
    • この設計なら「このデータだけを触りなさい」とAIに制限をかけて作業を渡せる
    • 30年前に作られたシステムにはこうしたノウハウがない
    • 伊藤氏:「今の瞬間の技術力というより、今までの技術の差や始めたタイミングの差で(これからの勝負が)決まってしまう」
  • 超大手SIerにしか手が出なかったエンタープライズの個別対応に、規模の小さいソフトウェア会社が入っていける
    • SoRの参入障壁は残るが、崩れるのはその周りを固めていた個別対応の壁

■ 6. 本当のハードルは安全管理

  • 大手SIerの間では「金融領域でAI駆動開発は無理だ」という反応が珍しくない
  • 伊藤氏の見立ては異なり、技術的にはもうできるが、止めているのは社内の安全統制(ガバナンス)
    • 難所は会社の重要なデータベースにAIを直接接続する局面
    • 「AIにどこまで作業させ、どこまで権限を渡すのか」という管理体制が整わず、多くの企業で実証実験止まり
  • 権限設計の具体例:
    • AI時代に必要なのは「全従業員の勤怠データを閲覧できるが、書き込みはできない」といった権限
    • エージェントが勤怠を従業員に不利な形で書き換えれば違法にもなり得る
    • 人間しか使わない前提で作られてきたシステムには、閲覧は全て可能だが書き換えは一切認めないという細かな権限がそもそも用意されていない
  • Finatextの対応:
    • AIが勝手に外部ソフトを動かさないよう制限し、パスワード管理やAIの全行動記録を残す統制基盤「MCPaas」(エムシーパス)を2026年中に投入予定
    • 金融のような規制産業では「これがないと、エージェントを自社データにアクセスさせることができない」
  • 大手側もこの構造変化を認識
    • 超大手SIerでAI駆動開発を率いる責任者:「AIが全ての成果物を作り、人はそれをレビューする。人の作業とAIの作業が逆転する」
    • AIに開発させるには「旧来は書かなくてよかった情報を書かなければいけない」という、暗黙知の書き起こしという新しい上流工程が生まれつつある
  • 伊藤氏は今後の段階を、まずアクセス統制、次にデータ基盤の整備、その先に企業の暗黙知を構造化してAIに渡す「ナレッジストア」の順で見ており、本格化は2~3年後との見立て

■ 7. FDEという新しい働き方

  • 開いた市場を取りに行くプレーヤーとして注目されているのが現場派遣型エンジニア「FDE」(Forward Deployed Engineer)
    • エンジニアが顧客の会社に直接入り込み、自社ソフトウェア製品と顧客の実際の業務との間の「ズレ」をその場で埋めながら一気にシステムを完成させる体制
    • 米OpenAIやAnthropicが自ら採り入れたことで日本でも語られるようになった
  • 実践例として法人支出管理サービス「バクラク」を手掛けるLayerX
    • 松本勇気CTOはFDEの役割を「お客さまの本当に求めている成果と、プラットフォームとの間にある隙間を埋めること」と説明
    • AIエージェントを業務で使える状態にするまで、普通の会社なら半年から1年かかるところを1カ月以下で終わらせることもある
    • 三菱HCキャピタル向けのリース見積書読み取りエージェントでは1万時間以上の時間削減を見込む
  • 従来の常駐型SIとの違いについて伊藤氏は「自社プロダクトの有無」を分水嶺とする
    • 顧客のカスタマイズ要望を受けたとき、AIによるカスタマイズレイヤーで吸収するものと自社プラットフォームに取り込むものを出し分ける
    • 「自社プロダクトを、お客さまのお金を使って鍛え続けるのが一番の価値」であり、これを回せる会社は強くなる
    • 自社プロダクトとして強いものを持たずにFDEを名乗る会社は、結局昔のSIerと変わらない

■ 8. 結論

  • 「SIer is Dead」の意味は業態が死ぬことではなく、現場で得た知見がどこにも残らない人月の働き方が終わることにある
  • Anthropicショックで市場が値付けし直したのも、AI開発企業に全てが飲み込まれる未来ではなく、この観点だった
  • 空いた市場を取り、統制基盤とビジネスロジックを握るのが誰かという椅子は、もはや大手SIerの指定席ではない