■ 1. 講演の概要と目的
- 登壇者: 渡邉洋平 (watany)、NTTテクノクロス株式会社、AWS Ambassadors
- 著書「Agentic Coding」(2026年5月発売) を執筆
- 本講演はモキュメンタリー手法を用いて構成され、フィクションと実論を組み合わせて展開される
- 技術カンファレンスで聞ける「綺麗な」技術選定と現場との乖離を問題提起するトーク
■ 2. フィクション小話: 手打ち麺とTDD導入の例え
- 登場人物を「顧客・店主・職人」、次いで「顧客・プロマネ・エンジニア」に見立てた寓話で、技術選定の現実を描く
- 手打ち麺(=TDD)の導入シナリオを4パターンで展開:
- Take1: 賃上げ交渉(決裂):
- 職人が技術を高めたが給与が据え置かれ、スキルに見合う待遇が得られず離職
- Take2: 賃上げ交渉(受容):
- 月給5万円の昇給を承認したが、粗利率を考慮すると月15万円の売上増が必要
- 顧客への付加価値が認識されず、組織の利益にはつながらなかった
- Take3: コスト転嫁(失敗):
- 1杯80円の値上げを実施したが、常連の来店頻度が低下し赤字に転落
- Take4: 導入見送り:
- 収益性が見込めないとして導入自体を拒否、職人はキャリアを積む機会を失い離職
- 小話の示す教訓:
- 技術的に優れた方向性が、全ステークホルダーに利益をもたらすとは限らない
- 良い技術を採用しても個人の待遇・組織利益・顧客満足のいずれも改善しない場合がある
- 短期的には現状維持が「マシ」な選択になり得る
■ 3. 積極的・消極的技術選定の概念
- 鈴木僚太氏 (uhyo) の2023年エッセイ「積極的な技術選定と消極的な技術選定」を参照
- 技術選定は2種類に分類される:
- 積極的選定:
- 技術そのものに由来する理由で選定する
- 例: 型安全性、リアルタイム性などの技術特性を活かす
- 長期的利益を重視した選定
- 消極的選定:
- 組織・人・制約に由来する理由で選定する
- 例: 習熟度、学習コスト、組織方針
- 短期的利益(迅速な収益創出)を優先した選定
- 2種類の選定が混在する例:
- 「コンパイラのチェックが厳格でエラーも親切」は積極的選定
- 「チェックが厳しい分だけ学習コストが高い」は消極的選定
- 積極的選定では「最強の技術」を採用することで、中長期的に「選定してすぐにダメになった」事態を回避できる
■ 4. 消極的選定の要因と課題
- 木こりのジレンマ:
- 消極的選定の要因を放置することは「斧の手入れより目の前の仕事を優先してしまう」状態に等しい
- 学習コストはO(1)であり、2回目以降は削減可能という理論が成立しない状況がある
- 学習コストO(1)が前提に置けないケース:
- エンジニアが退職・転職・昇格により次々に入れ替わる
- 準委任契約など、個人のスキルを指定して採用できない契約形態
- 労務費の転嫁は交渉の余地があるが、予算は無制限ではない
- 教育コストおよび人材の「立ち上がり」待ち時間が発生する
- 教育をしない前提での技術選定:
- 受注案件では教育期間なしで能力発揮できる体制が求められる
- 担当者交代に耐えうる仕組みが必要
- キャッチアップしづらい「複雑さ」を避ける選定が合理的とされる
- 人材プールを考慮した選定:
- マイルストーン固定かつ採用時間が取れないケースでは、集まりやすいスキルセットに合わせた技術選定が行われる
- 消極的選定は公開されにくい(出版バイアス):
- 有意差のない・望ましくない結果は発表されにくい研究と同様に、消極的選定事例は公開されない傾向がある
- 積極的選定にも書かれない動機が存在する:
- CDD (CV駆動開発): 自分の履歴書をよく見せることを優先した技術選定
- 特にマイクロサービス採用に多く見られる
■ 5. 公開事例の限界
- 情報公開の経験が増えるほど「公開しない理由」が理解できるようになる
- 消極的選定が公開されない理由:
- 大人の事情、他人に迷惑のかかる内容は公開されない
- 公開が躊躇われる事案、出版バイアス
- 積極的選定にも書かれない裏側がある:
- 手段の目的化
- 履歴書(CV)駆動開発
- 裏の裏まで考え真実に近づくことは困難であり、見栄・政治・打算・妥協が介在する
- 消極的選定による技術スタック変更の事例:
- 採用エージェントから「今の技術スタックでは紹介できない、変更すれば15倍の人数を紹介できる」と言われた実例
■ 6. AIエージェント時代の技術選定
- 「on distribution」の概念:
- Claude Code開発者インタビューで言及された「モデルが学習済みで追加説明なしに安定して扱える技術領域」
- Claude Codeのコードの約90%がClaude Code自身によって書かれている
- LLMの「教育コスト」を考慮した技術選定の例:
- 設計書にMarkdownを採用(LLMはテキストに強い)
- Next.js・Reactなど利用者の多いフレームワークを採用
- 後方互換性が高いGo言語を採用
- 新進気鋭のビルドツールではなくMakefileを採用
- エージェントフレンドリーな技術選定の分類:
- 積極的: AIエージェントのスループットを最大化するため
- 消極的: 追加知識なしに扱える標準的・単純な技術を選ぶため、AIエージェントの学習コストを最小化するため
- AIエージェントは「究極の定着しない木こり」:
- 数か月単位で新モデル・新ハーネス・新LLMプロバイダに入れ替わる
- モデルの退役・コスト変更に伴う見直しが発生する
- 形骸化したSkillsは知識の制約や過剰なコンテキストとして負債になり得る
- エージェント採用と人材育成のトレードオフ:
- 「後進の育成」と「AIエージェント採用」はどちらも積極的選定だが利益が相反する
- エージェント採用が待遇改善・組織利益・顧客価値をもたらすとは限らない
- エージェント自体の「人件費」問題(GitHub Copilotの完全従量課金化、TokenMaxxing見直し)
- エージェント時代の公開事例バイアス:
- 「人間が価値を加えた物語」が選ばれやすく、エージェントが人間より優秀という話は公開されない
- 人間のための儀式(レビュー)の自己目的化が生じる
■ 7. 穢れた技術選定の本質とまとめ
- エージェント以前と以後の対比:
- 以前: 積極的選定に注力したいが様々な理由でのすり合わせが必要、消極的選定は公開しにくい
- 以後: 学習コスト・工数の言い訳がなくなり積極的選定がしやすくなったが、意思決定・責任は人間に残る
- 本講演の整理:
- 最強の技術選定を採用できず妥協せざるを得ない場合は存在するが、それらが正しく外部公開されるとは限らない
- エージェントによって積極的技術選定を妨げる学習コストや工数は大幅に削減され、時間的なハードルは下がった
- 反面、新たな学習コストとの闘い・人材育成とのトレードオフ・情報公開へのバイアスが発生し、未だ解決していない
- 穢れた技術選定について語る方法の提案:
- 非公開・会員制イベント
- フィクション(モキュメンタリー)
- 新たなアウトプット手法の確立
- 結びの問い: 「その選定理由を、消極的/積極的 × 公に共有しやすい/身内にも説明しにくい の4象限のどこにプロットできますか?」