■ 1. ウィンドウズとマイクロソフトの現状
- パソコン用基本ソフト(OS)のウィンドウズは国内シェア9割を占める
- 開発元の米マイクロソフトは巨大IT企業の座に押し上げられ、パソコンOSの主役であり続けている
- 同社の隆盛は1人の日本人の活躍がなければ生まれなかった可能性がある
■ 2. マイクロソフト設立50周年式典
- 2025年4月、米シアトル近郊でマイクロソフト設立50周年の式典が開催された
- 招待されたのはアスキー創業者・西和彦
- 西はかつてパソコンソフトや雑誌を手がけ、パソコン時代の寵児だった人物
- 式典に合わせ、ゆかりの人物を招いた夕食会が開催された
- 集まったのは共同創業者のビル・ゲイツ、CEOのサティア・ナデラら歴代のトップや功労者ら約50人
- 西の席は1番テーブルに設けられ、VIP待遇を受けた
- 理由は、同社がOSを開発するきっかけを作ったのが西だったため
■ 3. 1980年 IBMからの打診
- 1980年、ゲイツ、共同創業者のポール・アレン、スティーブ・バルマー(後のCEO)、副社長だった西の4人がマイクロソフト本社の社長室で向き合った
- 当時マイクロソフトは設立から5年の新興企業で、重大な決断を迫られていた
- 大型コンピューターで世界の覇権を握っていたIBMは、個人向けコンピューター(パソコン)の開発をひそかに進めていた
- IBMにはOS開発を任せようとしていた意中のソフト会社があったが、交渉は平行線に終わった
- 代わってマイクロソフトにOSを提供できないか打診してきた
- マイクロソフトにとって、自社のソフトをパソコンの世界標準にする絶好の機会だった
- 一方ですぐに話に乗れない事情があった
- 当時マイクロソフトはOSの一部となるプログラムを作るソフトで有名だったが、自社で提供できるOSは持っていなかった
- IBMはそのOSを3か月で開発してほしいと求めていた
■ 4. 西和彦の発言と決断
- 4人はこの機会を逃すわけにはいかないという思いでは一致していた
- 西によると、アレンは「そんなに短期間で開発するのは難しい」と難色を示した
- ゲイツは「一体、どうすればいいのか」と頭を抱えていた
- 議論が停滞しかけた30分後、西が「これはやらなければならない。絶対にやるべきだ」と叫んだ