■ 1. 中島聡の経歴概要
- 中島聡はウィンドウズ95の基本設計を手がけた「伝説のソフトウェア技術者」
- 早大在学中からプログラマーとして名をはせた
- パソコン上で設計図の図面を書ける世界初のソフトを開発
- 1985年に大学院を修了しNTTに就職
- 1980年代にマイクロソフト副社長として活躍した西和彦と入れ替わるようにマイクロソフトに入社した人物
■ 2. NTT入社とその実態への失望
- 就職先選び:
- 当時、理系大学院で成績上位者はNTTの研究所に入るのが「エリートコース」とされていた
- 中島も当然の流れとしてNTTに入社
- NTTでのOS開発の実態:
- ソフトの設計書だけを作成し、プログラムは下請け会社に丸投げする体制だった
- 設計とプログラムは一体でやる方が効率的だと考えていた
- 自分でプログラムを書けない状況に不満を募らせた
■ 3. マイクロソフトへの転職
- 転職のきっかけ:
- かつてアルバイトをしていたアスキーの旧知の幹部がマイクロソフト日本法人を設立したことを知る
- 中島自身が幹部に直談判し転職を決めた
- NTT入社から1年後の転職だった
- 当時の状況:
- マイクロソフトは先行きの分からない小さな外資系ベンチャーだった
- 日本のソフト市場は黎明期で「シイタケ市場より小さい」と言われていた
- エリートコースを捨てての転職に周囲はあきれた
- 中島本人は冒険とは思わず、自分でプログラムを書ける環境を求めていた
■ 4. 次世代OS開発への抜擢
- 米国本社への移籍:
- マイクロソフト日本法人入社から3年後、米国本社に移籍
- 配属された小さなチームで次世代OSの試作ソフト開発を任された
- 試作ソフトの開発と評価:
- 「パソコンを誰もが使えるようにするにはどんなOSがいいのか」という発想で半年ほどかけて設計
- 社内で高く評価され、マイクロソフトはこれを基に次世代OSを開発することを決定
- イベントでこの試作品が「次世代OS」として発表された
- 開発体制の変化:
- 当初7人足らずだった弱小チームが一気に400人規模に増強された
- 中島もその一員として次世代OSの設計を手がけることになった