左派?の考える「女の子」、性的接触をする判断力はないが政治活動に参画する判断力はあるってもうむちゃくちゃやろ
18歳は子どもじゃなかったんですか?????
彼らのロジックに乗っ取るなら、高校生同士が話し合って環境問題訴えたりデモに参加したりするのはロミオとジュリエット法的にセーフだが、4050がらみの大人が寄ってたかって思想に引き込むのは搾取でしょ??????
対等でない、権威勾配のある関係で誘導されずに「自己決定した」ことをどうやって証明するんですか?????「未成年の女の子にそんなことできない」前提で大人がわきまえるべきなんじゃないんでしたっけ????
これもある種の反転可能性テストなんよな
Colabo周りは、似非同和みたいな話じゃなくて、実務能力はかなり低いけどキラキラ理念だけは強固に持ってる人が集まって、色々な杜撰な処理とポンコツが重なってるだけの可能性もあるんよな。計画的に抜くならもうちょいちゃんとパッと見の書類の体裁は整えるように思う。
代表である仁藤夢乃氏はそれでよくても実務を担ってる連中がそのザマなのはちょっとなぁ
思ったのだけど、陰謀論、カルト、ネトウヨ、ミソジニーに染まった人を、優しくデプログラミング(脱洗脳)してあげるAIを作れないだろうか。
これは「倫理を持つAI」という大きな挑戦になる。
病気診断のエキスパートシステムという前例があるので、似たことを考えている人はいるかもしれない。
当人としては全くもって真面目に善意から言ってるのだろうけど、その独善性は完全に主義者のそれである。
陰謀論、カルト、ネトウヨ、ミソジニーと自ら列挙したものと本質的には同じである。
自分が間違っているかもしれないという恐れを持たない者は容易にカルトに堕ちるものなのだ。
colaboは今回の騒動における勝利条件を多分「都に"予算執行は問題ない"と言わせること」に設定してる。
訴訟も支える会もそのための手段で、しかも今のところこの戦略は成功していると言っていいと思う。
指摘されている「不正会計」なるものは基本的には違法というよりも都の補助金に関する問題で、都が監査して問題ないと言ってしまえば問題の大半は片付く。
仮に暇空さんが行政訴訟を提起したとしても、相手方は東京都や国デあってcolaboではないので、直接的な面倒に巻き込まれるわけではない
都としても、監査して「あかんやつでした」となったら責任問題になるし、担当者や責任者は少なくとも出世の道が厳しくなることは間違いない。
すでに暇空さんを呼び出した監査の聴聞会では「問題ない」と言っているようだし、第一ラウンドはcolaboの判定勝ちにみえる。
行政訴訟は数年単位、下手すると結論まで10年以上かかるかもしれない。その頃には世の中はcolaboへの興味は失っている。
名誉毀損もそう。仮に無理筋でも、粘れば白黒つくまで数年かかる。それまでの間、相手(暇空さん)を「ミソジニー!女性の敵!」とレッテル貼りできれば充分なのではないか。
相手を「ミソジニー、女性の敵」だと設定するのも重要で、たとえば都が「暇空氏の言い分にも理がある」とか言い出したら
「都はミソジニーに染められた!弱者女性の虐待に加担している!」と騒げば面倒を引き起こせる。いわゆる朝田理論。
都議なりの政治家サイドも、暇空さんに加担するとミソジニー呼ばわりされるリスクが爆上がりするが、その割に票につながる支持を得られるかは不透明。
暇空さんを支持するツイッター民が都民なのか選挙区民なのか全然わからないが、選挙区内に敵対勢力が増えることは確実。なかなか分の悪い話である。
では、暇空さんとしてはどうするか。
黙ってやってたら都に握りつぶされ、政治家に無視される公算が大きいわけで、なるべく話題を大きくして世論を見方につけ、都や政治家に「これ無視したらむしろヤバいかな」と思わせるのが戦略として正しそうだ。そしてこれは上手くいっているように見える。
という理解なんだけど、頼みもしないのに勝手にファイアーダンスして火だるまになる人が続々あらわれるのかは本気でわからん。承認欲求モンスターなのか。
Colaboの活動(特に会計)に疑義が生じた状態なので、これまで通りとはいかなくなるのでは。
とりあえず適正な会計でやってるならとりあえずはOKじゃないのかなと。
Colaboが意図的に何らかの不正をしてたというより、「ここまでこれで良かったんだから不正のわけがないし、何故か攻撃されてる。原因はきっと女性差別」ってマジのマジで思ってたんじゃねえかなこれ…………。
仁藤夢乃氏本人に実務能力は無いだろうから、そういう認識でいそう。
Colaboを実質的に仕切ってる人間の発案だろうね。
ゆめにゃんはただの神輿で最悪切り捨てられる肉壁。
みんな気付いてると思うけど、仁藤とベッタリのはずの特定野党の面々が、表で仁藤擁護の声を上げてないよね。これは、同じような仲間の団体が無数にあるから、そっちにとばっちりが行かないように黙って嵐が過ぎ去るのを待ってるんだと思うよ。この機会に怪しい団体を調べた方がいいね。
弁護士がすぐ声を上げたのは、単純に仕事を貰えるからだと思うね。特定野党は、とかげの尻尾切りで仁藤氏を見捨てようとしてたのに、弁護士が騒ぐから大事になって困ってるんじゃないか。
弁護士(をやってる活動家)は勝っても負けても特に不利益はないしな。
「男は性行為に際し(明確な意思表示を行なって)合意を取れ」問題
「銀行の採用面接で『私服でご来場ください』と言われたので普段着で行った」みたいな話ですよ
colabo擁護側の比較的冷静な層の論調が「不正と取られても仕方ない杜撰な会計はもしかしたらあったかもしれない、しかし原則主義の先にあるのは焼け野原だ。それでいいのか」に変わりつつあるのを観測。でもさ、
全てを壊せ、あとは野となれ山となれ。はアメリカを中心地とした昨今のリベラリズム運動がやってきた、まさにそのものなんですけどね。というイヤミの一つも言いたくはなる。ごめんな。
ただ、党派性は取っ払って言うと、必要悪というか冗長性というか、ある程度の「適当さ」はいつでもあるべきだとは思います。ただ、残念ながらそれは今回の件には当たらない。引き返せるラインはとうに踏み越えてしまった。
ここまで来ると、あとは人死にや不審火が出ないように、みんなで監視していきましょうね、常に話題に登らせ続けて不幸な尻尾切りを防ぎましょうね、ということしかなくて。
ここからは完全に陰謀論の範疇なので話半分で流して貰えば幸いなんだけど、みなが心配する暇空氏はおそらく安全で、むしろ最も危険なのは、立場の弱い都の担当者、次に(本人は自分は守られていると信じて疑っていないみたいだけど)仁藤さん。
人が一人死にました。誹謗中傷を繰り返した差別者の群れ、そしてそれを扇動した者のせいです。となれば、一石二鳥で鎮火できる。そう考える人もいるかもしれない。
というか過去に複数の事例(そうではないかと疑われる出来事)はありますね。不正会計を追求した者や、もしくはそれを許可する側にあった担当者・管理者レベルの人に不幸があったの。
不審火で全ては燃えました。会計の正当性を検証しようにも証拠となるものが失われたので無理です。という線もないではない。ついでに、放火したのは誹謗中傷を繰り返したキチガイの一人でした、となれば一石二鳥。あ、これ陰謀論ですからね、話半分で。
関わってる組織の不穏さと動いてる金額の大きさからして、人死にが発生する可能性はそれなりにあるのがなんとも。
「(先生に対しても)お互い優しく思いやりを持ちましょう」って先生が言ってくることは在住国では想像しづらい。それは「黙れ」になってしまうから。暴力に出ることは罰せられるけど、優しさや配慮といった曖昧な倫理を強者が求めてくることは絶対にない。求めてきたら多くの人が警戒・抗議すると思う。
同調圧力
松本議員からの情報だからおそらく確かなんだろうけど、Colabo問題で都議の自民党会派が動くとのことです。こうなるといよいよ政治マターになってきそうですね。情報が議員を通じて出てくることもあるかも?
盛り上がってまいりました
- 桐野 夏生
- 安藤 優子
- 北原 みのり
- 高里 鈴代
- 前田 佳子
- 浜田 敬子
- 谷口 真由美
- 麻木 久仁子
- 高橋 温
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- 八王子手をつなぐ女性の会
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- 性売買問題解決のための全国連帯
- 慶南女性の会附属女性人権相談所
- 光州女性の電話附属ハンオルジギ
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- 水原女性人権トドゥム
- 人権支援センターサルリム
- 女性人権ティウム
- 人権希望カンガンスルレ
- 全北女性人権支援センター
- 済州女性人権連帯
- 性売買経験当事者ネットワーク「ムンチ」
- 仁川「ボタリ」
- 全北「キッシンググラミ」
- 釜山「ナリンナティ」
- 光州「ビョルハ」
- 大田「ハクナマタタ」
- 大邱「イェグリナ」
- シン・パクジニョン
- ポムナル
- 水原女性人権ドドゥム
- (社)女性人権支援センターサルリム
- 一般支援施設ナムクヌル(木陰)
- 人権希望カンガンスルレ
- 月光工房自活支援センター活動家一同
- ヒヒナクナク相談所 活動家一同
- チョン・ヒジョン
- キム・ボンシム
- ウィ・エソン
- イ・ヒア
- イ・ソンヒ
- チョン・ヨジン
- イ・ユンヒ
- ソン・ユラ
- 一般支援施設ナムクヌル(木陰)スタッフ
- 一般支援施設ナムクヌル(木陰)
- 一般支援施設ナムクヌル(木陰)スタッフ
一般支援施設ナムクヌル(木陰)など複数回登場するものは匿名、あるいは団体名義での別メッセージを出している為。
しかし、これはまた偏ってるな。
代々木の内ゲバたったらおもろいなあ
もうはっきり言うてしまうと知人は「なにそれ」って言うリアクションで、色々こんなことになってんでえ、とか教えたら「どこの党もこんな紐付き大なり小なりおるでしょ」と素気無かったからこそ、当人達もまあ当初沈黙してたんかなあ、と。
要は「あるある」なんや、と
ただ、昔の経験から行くとこういう活動自体は善意と熱量でゴーオンしてるので、割と「こまけぇこたぁいいんだよ!」でケンチャナヨなのよな。だからこそ突っつかれたら素直に反応して欲しかった(やらしいなこの書き方)。でも応援団からすると「突っついた方を何故非難しない?」なんだろな。でもさ…
誰かも言うてたけどあんたらワーキャー言うてたモリカケサクラ以下なんよな、対応が。そこへキャンバラくんの「正しい事をやってる人が云々」とかもうそれがアカンねん。順番が違う。
「皆が出来る当たり前の事が出来て」から「正しさ」を言わないと説得力はないでぇ
まあこの「皆ができる当たり前」って、ここ最近年々ハードル上がっとるんは分かる、分かるで。
でもそれは君らが望んだ社会や。そして我々もフィットして来てるんだけどな。
正義が大事すぎて何も見えなくなってるだとしたら最後にその「正義」に○されるんだろうけど、それが本望なんだろな
某Colabo
自治体レベルの管理職とかでしんぶん赤旗を買ってる奴は多い。
これは別に特定の政党を支持してるってわけではなくて、そうしないといわゆる「市民の権利」をゴリゴリに使って開示請求を連打して現場を疲弊させる技を呼吸のように使ってくるのでそのお守りとして仕方なく購読している。
生活保護を受給に行くときは共産党の人を連れて行くと通りやすいというのも同じである。
地方公務員は基本的に某政党の「リーガルハラスメント(合法だが嫌がらせ自体を目的とした開示請求)」に疲弊し、怯え、言いなりになっている。
某政党はオンブズマンも使って寄ってたかって気に食わない挙動をした公務員を虐めるぞと常に脅している。そういえば利益相反だとかでオンブズマンが暇空の依頼を断ったという話があったね?
だから東京都がcolaboの提出した報告書で大項目間の勘定の付替えを黙認していたというのは、おそらく間違いではない。
別に東京都がcolaboの活動を礼賛していたからではなく、黙認しないとセクハラだパワハラだと騒がれ、某政党から無限に開示請求なりを飛ばすぞと脅されて渋々従うことはありうるだろう。
仁藤氏の過去のツイートにも、行政が気を利かせてくれないのはセクハラであるといった趣旨の物が散見されるので自然な流れである。
某弁護士が暇空氏のやっている事を「リーガルハラスメント」と呼んだのは、某組織の手の内を晒しているようなもので「開示請求などを使って行政に嫌がらせするのは俺達の専売特許なので他の人が使うのは許せん」という文脈がある前提で聞くとすんなりと理解できる、もちろん賛成はできないが。
今の所、colabo弁護団は暇空氏に訴訟で勝つことを目的として動いているようだが、その説明の為に出している資料で都とのナアナアな関係が徐々に明かされ、結果としてcolaboが法的にセーフだとしても都の担当部署は大目玉だし来年度も同じように補助金や委託金が通るとは思えない。
どんなに楽観的に見ても会計を見る目は厳しくせざるを得ない。
今後とも同様に公金と寄付金を貰いながら貯金を積み立てたいcolaboとしては自身の潔白に加えて都の行政も庇いきらないと行けない中で暇空氏にも訴訟で勝つつもりでいるので勝利条件の完全達成は厳しくなっていく。
colabo側としてはできれば貸借対照表は開示したくなかったのだろう。
寄付をする側としては自分の寄付金は若年女性を支える為に使って欲しいのであって何年も積立金として銀行残高の数字の一部として利益すら産まず死蔵されて欲しくはない。
もっと別の寄付金でそのまま事業を回している同様のところに寄付したくなるのが人情である、若草プロジェクトとか。
契約どおりに公告して同様の事をやっている社団法人の中でも特に浮いた存在であることに注目が集まったのはcolaboとしては嬉しくないの一言に尽きる。
山本一郎氏がcolaboの事を「貯金箱」と評していたのはかなり意地悪で、少しでもわかる人からしたら「寄付金が非課税になることを活かして別の法人からお金を移し替えることで税金逃れをしている」という可能性を示唆しているし
実際に仁籐氏はtwitterで繰り返し「赤字だ」「食料をください」「お金がありません」「衣類がありません」という趣旨の事を言っていたが、それが真実であるとするとcolaboの会計上存在しているとされる積立金は実は「colaboの一存では使えない金」もしくは「既に別の目的で使い切っていて存在しない金」のどちらかではないかという想像も働く。
これは私が仁籐氏の事を、飢えている女の子と自分の意志で切り崩せる3億の積立金の2つを目の前にして、積立金を優先するような人間ではないだろうと信用しているからでもある。
だからcolaboの事を貯金箱扱いしている別の黒幕がいて、それの許可が無いと寄付金に手を付ける事ができない組織だと仮定すると、仁籐氏が最近は現金ではなく現物を募集していたのも辻褄があう。寄付金はロックされちゃうから助成金と委託費と現物に頼る必要があるのね、と。
山本一郎氏はそこまで想像した上で、まだ断言できる材料が無いので匂わせるに留めたけど、わかってる人はみんなわかってニヤニヤしていた。
あのピンクのバスは目を細めて見るとピンク色のブタの貯金箱にも見えてくるね。
この文章は私の想像だけで書いたから責任は負えません、増田に真実を求めるな。
Colaboの件は専門家として会計の知見を提供するというスタンスなので、被支援者を政治活動に巻き込んでる件についてはあまり触れてないけど、1人の大人としてはこっちの方が、会計報告の不備なんかより遥かに大きい問題だと思ってるわ。違法じゃないけど、本当に女の子達は自由意志で座り込みしたの?
常態的に不適切な会計処理をする団体は血税を投じるに値しないと言うのは全く同意だが、個人的にはそれ以上に、逆らえない立場の保護少女を辺野古反対運動に動員して”女の盾”に利用していたColaboの活動実態こそ問題視されて欲しいと思ってる。
佐川一政さんはパリで人殺してその肉食った日本人で、なんか心神喪失で不起訴になってあれこれ有耶無耶なまま有名人になって帰国後に作家とかの文化人的な何かになったり、ある種のサブカル人の中では一つのシンボルになってた人です。
特異な経験一点突破で文化人面はちょっとなぁ
進学でも就職でも「女性枠」みたいなのが増えてるけど、これって女性差別だよね。
女性だけ「女性枠で応募する「一般枠で応募する」「両方応募する」という三倍の選択肢から、自分で判断して選ばなきゃいけない。男はレールに乗って一般枠で応募するしかないから楽でいいよね……
おっ、そうだな
あとまあ仁藤氏なんかがモロにそうだけど、某某氏とかああいう上で構えてるフェミの指導者層って、自分たちの認識や発言見てると被害者的立場になってるんだけど、実際は地位や金や色々と抱えた権力者だしね。。。。
権力持ってる人がフェミニスト内部で自分たちの論理に批判的な女性を粛正する感じに排除してきたんだから、そりゃ排除された人たちは恨みに思うよねと。あとまあ現状はかなり先鋭化された少数しか残ってないし、敵対者の方が多くなってくるのも当然という他ない。。
Colaboの件でツイートしてみてわかったけど、アンフェのマーケットが5、6年前とは比べ物にならないぐらい拡大してる。フェミがやりたい放題やったせいか、死ぬほど恨み買ってるんやな。仁藤さんも何でこんなに叩かれてるのか意味わからんやろうけど、恨み買ってるんですよ、傍目に見てても怖いぐらい。
令和の同和利権みたいなムーブしていたフェミさんサイドにも問題はある。
ディープステートとかが存在するという主張はもちろん陰謀論なのだが、 Twitter社が「政治的に正しい」検閲をとりやめようとするとグローバル企業()が軒並み広告出稿を取りやめて経営が傾く程度には「システム」が現在の世界を「支配」してるところがある(´・ω・`)
仁藤夢乃もオリンピック組織委員会も同じ話だと思ってて、悪意があるんじゃなくて、日本には金銭的に独立していてそういう事業に取り組むだけのスキルもあるビジネスマンというのが、欧米と違っていないんだよな。欧米人と同じように経営管理能力(を始めとした専門知識)が日本人にあるわけではない。
これはまぁ確かに。
官民連合体でやっていくぞという戦略に長年固執し過ぎた結果なのかしら。
まぁ、しばき対関係者だしなぁ
Colabo側の人々おもしろすぎる
これ、都庁は全力で火消しに来ると思うんですよね…
開示請求からの揉め事は都にとっては一過性の面倒事だけど、某政党系組織を怒らせると数年、数十年単位の面倒になるし、横方向にも数十組織が連動してプレッシャーをかけてくるはず
Colaboくんさぁ、、これ東京都くんに、「もう補助金の金額は先に決まってるから、計画と実績報告は適当でいいっすよ。どうせ誰も見ませんから形式だけ整えて出してくださいね」って言われてたんじゃないんですか、、
だとしたら悪いのは東京都君だと思うので、ゲロってしまった方が楽になるのでは。
そう考えると「colaboを支える会」に韓国系から有識者までゾロゾロ出てきたのは、一般人向けのアピールじゃなくて都庁やら政治家へのメッセージなんですよね。
この案件を煽るならこの辺の団体みんなを敵に回すんやで、という暗黙のプレッシャー。
統一教会みたいなものだな
Colaboくんさぁ、、これ東京都くんに、「もう補助金の金額は先に決まってるから、計画と実績報告は適当でいいっすよ。どうせ誰も見ませんから形式だけ整えて出してくださいね」って言われてたんじゃないんですか、、
だとしたら悪いのは東京都君だと思うので、ゲロってしまった方が楽になるのでは。
Colaboを叩きたい人には申し訳ないけど、公平に見て、一義的には東京都が悪い可能性が高いと思うね。そうじゃなきゃ、あの書類通らないやん。
「こんな商品考えたのは男に違いない」と「AVは女性を虐待して楽しむ娯楽」みたいな思想、根本的に同じもんなんよな。女性部族主義というか。「わたし」の拡張である「女性」という同族以外は女性と認識できない。事件の容疑者に「きっと日本人じゃない」って言い出すのと全く同じメンタル。
マジでトランスフォビアとか本気で何とかしたいなら、こういうネトウヨ根性を克服しないとどうにもならんと思いますよ。男体嫌悪者を切り離したら思想が消滅するくらい身中の虫がデカいから、きっと克服できないだろうけど。
ネトウヨとリベラルはベクトルが違うだけで本質的には同質の存在なので、フェミニストもまたそんな感じなのだろう。
思想をツールではなく信仰として捉える人々である。
↓前も引用したんですが、「コミュニケーション能力によってスクールカーストが決まると思われがちだが、実際はカーストの上にいる生徒だけが意見を押し通すことを許容されてて、それを人々がコミュ力と勘違いしてきた」という説もあるワケですよ。この手の話はこのヘンも関係してるんじゃないかと思う
「コミュニケーションの”構築”より”遮断”の方が自らの生存のために有利、という感覚の蓄積」の中には、どっかで「あ、コミュニケーションって、実は強者にしか許されてないものなんだ」という気付きがあると思うんですよね。そういうあり方自体に対する「NO」みたいな気持ちが、案外あんじゃないかと
「お前がコミュニケーションを云々言うのは、お前が既に強者だからだ」みたいな感覚はあんじゃないか知らん。で、それは…若干次元が変わるけど…前話題になった「いざ自分一人で何かを語れ、となった時に、何も語るべき話題や内面を持ち合わせていない人は多い」という話ともどっかで繋がってると思う
「今は自分が賢くなる努力をするより、全員が程度の差こそあれ「バカ」であることを証明した方が「効率的に」利益が得られる時代なんだろう」とは思う。思うが、それは別に若者に限ったことじゃない。SNSにいる中年達を見ればわかるじゃないか。彼らは年々悪口と、足の引っ張り方だけ上手くなっていく
どうもうまくまとまらんな。
でもどうも俺はこの手の話を聞くと、毎回「本当は立方体であるものを平面と勘違いして、「これはいい これはケシカラン」と言ってるだけなじゃないか」という感覚が消えんよ。ホント。
発言者の力関係や立ち位置がその場のコミュニケーションの勾配を作るのは常識的な話である。
強者は雑なコミュニケーションでも忖度してもらえるし、弱者は最初から話を聞いてもらえない(強者はその強権で話を通せばいいし、弱者は殺せばよいだけなので)。
しかし、人類が農耕を始め、血縁関係で構成された部族以上の国家や社会を作り始めた時、それでは色々まずいということでコミュニケーション、つまり論理が重要視されるようになった。
要は戦士・兵士と文官・官僚が渡り合う為のツールとして論理やコミュニケーションは作られたので、最初から陽キャ(武闘派・暴力的・抑圧的)と陰キャ(知性派・融和派・共栄派)の確執的なルーツを持つという事である。
「女の子だからといってピンクを強制されてはならない」って、本当は性別の問題じゃなく「自分の好みを全うできるようにすべき。他人の意見を押し付けられないようにすべき」という話だったはずなのに、「親の意見を聞くべき」を始めたら話になってないんですよねえ…
"上の娘が保育園児の頃、薦めていないのにピンク好きの「ピンク星人」になりました。"
"娘は中学生になりましたが、幼い頃の服選びと違って、今はけっこう親の意見を取り入れてくれます。"
こわい…。ピンクを敵視しすぎでしょ。
それって要は「親のわたしの意見に従わせたいし、わたしはピンクが嫌だ。自発的にピンクが好きになる娘は認められない」って話でしょ。で、それを嬉々として喋ってる
この人の娘が実際そうなったように、女の子はピンクが好きになりがちであり、それは「現実的に、傾向としてそうだ」ということでしかない。でもそれを「ルールであり規範であり善悪の問題である」と考えるからおかしくなる。単なる実際の現象がバカの押しつけになる
で、そこで「ピンクを選ばないのはおかしい」を否定して「ピンクを選ぶのがおかしい」に切り替えたら、それはバカがアナザーバージョンになっただけでしかないんですよ
お気持ちが一番重要というスタイルをやっていると、思考能力を失ってしまうというサンプル
従来、抑圧してきた女性の感情を率直に表して、社会を変えていくのがフェミニズムだったわけです。リベラルは、それで社会が自由と多様性を獲得すると考えていたわけですけど、実際には、女性自身のナマの本音は、ちっともリベラルじゃなかったって話なんだと思います。それでバグッてしまった。
''なぜ''リベラルが保守的なフェミニズムを支持してるかがそもそもふしぎ〜。
突き詰めて言えば、女性には人権意識というものが根付いていないという事でかなり「それ以上いけない」案件である。
冷静に、会見や文字起こしを読めば読むほど、レイプ予告や殺害予告をcolaboに送った人物を提訴しないで、「根拠不明なデマ」とcolabo側が一方的に断じてる暇空茜を提訴した意味がわかんねえんだよな。
共産党や左翼系社会活動は「絶対的トップ」が存在し、その指示によって下部構成員が動くというトップダウン構造を持つので、そのメンタルモデルを無意識に適用しちゃったのかなという印象がある。
なので、暇空茜を潰せばそのフォロワーも黙るだろうと。
ところが現実はそうではなく、フォロワーはただの野次馬であり、どちらがより筋の通った説明をするのかにしか興味がない。
Colabo側が筋の通らない説明で強行突破しようとすれば野次馬はそのことを一生記憶するし、事ある毎にネチネチと絡まれることになる。
実際問題、この構図になった時点で永遠に防衛戦になるのは確定しているので、Colaboはさっさと解散してしまった方が戦略としては正しかった。
それができなかったのは共産党と強いつながりのある仁藤夢乃さんのエゴとか執着みたいなところが大きいのだろう。あと補助金。
「結婚しないと狂う」みたいな言説、ツイッター上で大量の専業主婦が勢いよく狂ってるの見るといかにも説得力に欠けるという感想。
まあ、保守主義というのは、そういうライフイベントや属性で人間を高速処理して認知コストを下げることで安心を得るというシステムだから、そういうざっくりした保証が失われるのは辛い人もいるんでしょうけども。
人間は歳を喰うと一定確率で狂うというどうしようもない結論に至っちゃったな。
公共空間で不快だから出てくるなと言う人間の政治活動や選挙運動には、迷惑だから出てくるなが通用すると思うんだが、その牌、通して良いのかな。
福祉系の大学を見ていて「困る」と思うのは、男性教員が多いこと。男性教員は、自分がセクハラをやり、かつ、セクハラの告発をもみ消す。いらん。いまの半分にしてほしい。女性に入れ替えてほしい。女性7割ぐらいでいい。
福祉系の大学教員に求めるもの:
①自分がセクハラをやらない
②セクハラの告発をもみ消さない
③「セクハラはいかん」と教育できる
あと研究倫理は厳重に教えてほしい。社会事業大学のカリキュラムがないかな…?
ナチスとヒトラーとホロコーストに例えるのが相手の批判を止める最強のカードだと思っておられるのって、なんか左側インテリ界の掟なんですかね。
ジブチの失業率は公称15%だが、聞くところによると実際には40%を超えており、特に人口の7割を占める35歳以下の若年層では60%にも上ると言われている。
では、働いていない人は何をしているのか?
ゴロゴロしたり、海で遊んだりしているが、「カート」という草をやっている人が多い。
カートは、覚醒作用のある成分を含む草で、町中にはカートを売る屋台が山のようにある。
それゆえ、ジブチ人の「仕事」に対する意識は、一部を除いて非常に低い。
仕事中に草をやる人もいるくらいだ。
「意識低い系」の彼らは、本当に仕事が遅く、現地のビジネスパーソンは、「外国人をひとり月70万で雇うほうが、ジブチ人を10人を月5万で雇うより、はるかに良い」と言う。
現地の外国人は、「ジブチ人と働くのは、本当に難しい」と言っていた。
基本的に怠け者で、ミスを指摘しても「私は悪くない」と言い訳ばかりする割には、妬みひがみが多く「自分が儲けるより、とにかく相手に儲けさせたくない」と言う気質のせいで、win-winの思考が苦手という。
「格差が大きいと不満が出るのでは?」と思う方がいるかもしれないが、ジブチでは、一族の誰かが稼いでいれば、皆その人にぶら下がる。
一人で、3家族か4家族の面倒を見ている人もいると聞いたから、「持っている人が金を出す」のが当たり前なのだ。
有能なエリートは国のために働き、皆の面倒を見る。
働きたくないやつは、カートを噛んでゴロゴロし、生活の面倒は稼ぎ手に見てもらう。
これはこれで、社会の安定した形なのだ。
「持っている人が金を出す」という考え方も日本人にはあまり馴染みがない。
しかし「エリートたち」が貧しい人の生活と国益を考えずして、誰が考えるというのか。
ジブチ人がこのような状態でも、国としてきちんと機能しているという事実は、エリートたちの並々ならぬ努力を示している。
東京都に情報公開請求をするのも監査請求をするのも「市民オンブズマン」なるものの特権ではなく、都民に等しく与えられた権利でしょうねえ。誰でもできる。
変なことを言い出す弁護士もいるものですね
ハラスメント専門家ですが、懲戒請求や監査請求を
「自分達がやるのは正当な権利行使!」
「自分達がやられるのはリーガルハラスメント!」
みたいなダブスタは本当に醜悪だし、被害者ポジションをとるために「ハラスメント」という言葉を軽々しく使うのも有害。真の被害者に迷惑だからやめてほしい。
俺は好きなことをして生きる。
アイツは俺の好きなことを否定しないと生きられない。
どっちがいい人生送ってるかは一目瞭然だよなあ。
「国家のすることはことごとく暴力である。それに対しては過激な手段もやむを得ない。悪いのは自分たちをこのような行為に出ることを余儀なくさせる何者かである――これはこの人たちの固定観念である。」
「そして、こうも言う――われわれのすることは暴力ではない。暴力とは権力をもっている者のみがふるい得るもので、虐げられたわれわれには暴力のふるいようがない。まして自治会が多数をもって決定したことが許容されないならば、もはや学生にはいかなる自由も認められないということではないか。」
学生運動やってた人達の残滓が共産党員で、その共産党と強い繋がりのあるあの人のムーブを考えると「あっ...(察し)」になってしまうんだよな。
杉田水脈事件の判決の「縛り」を無視して、早速、「いいね」論点を言論を萎縮させるツールに使っている...
>「仁藤さんの弁護団は、今後、「いいね」を押したり投稿を拡散させた人への訴訟も検討するほか、刑事訴訟も含むあらゆる措置を講ずると表明しました。」
あの判決は、元々杉田水脈が伊藤さんをdisっていたことに注目し、「いいね」自体に名誉感情侵害を認めたかなり射程範囲の狭い判決で、「いいね」一般に違法性を認めたものではない筈。
私見ですが、東京高裁の「いいね」判決の結論自体は妥当だし、そんなに不明確でもない。
杉田水脈事件では勝訴した原告代理人の佃先生は本件の特殊性を強調して表現の自由への萎縮効果を生じさせないように記者会見できちんと配慮していた。
まぁ、そういう前例がある以上、武器にするだろうなという感はある。
インターネットへの事実に基づかない投稿で名誉を毀損(きそん)されたなどとして、虐待や性搾取などの被害に遭った若年女性を支援する一般社団法人Colaboとその代表の仁藤夢乃さんが29日、東京に住む40代の男性に対して計1100万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしました。
訴状などによると男性は2022年9月、「暇空茜」というアカウント名でツイッターなどに「10代の女の子をタコ部屋に住まわせて生活保護を受給させ、毎月1人6万5000円ずつ徴収している」などと投稿。少なくとも900回ツイートし、Colaboと仁藤さんの社会的信用が低下させられたとしています。
このため、Colaboの運営を支えている寄付などが減ったとし、損害賠償のほか、投稿の削除や謝罪文の掲載を求めています。
会見で角田由紀子弁護士は、これらの投稿によって支援を必要とする若年女性が二の足を踏む恐れがあると指摘。「表面的には仁藤さんらを攻撃しているが、『声を上げる女は許さない』というのが中心的なメッセージ。女性全員がこの攻撃にさらされている。女性の生きる力をそごうとする社会を許してはいけない」と強調しました。
仁藤さんは「女性たちの安心安全な空間を守っていきたい」と訴えました。
仁藤さんの弁護団は、今後、「いいね」を押したり投稿を拡散させた人への訴訟も検討するほか、刑事訴訟も含むあらゆる措置を講ずると表明しました。
なし崩し的にいいね罪を既成事実化しようとしてるの、「まぁ、共産党だしな」って感じだ
東京都立大学で男性が首を切り付けられた事件で、切り付けられたのは社会学者の宮台真司さんであることが分かりました。
宮台さんは東京都立大学・人文社会学部の教授で、現代社会や戦後思想など幅広い分野を論評する論客として知られています。
警視庁によりますと、きょう午後4時半前、東京・八王子市の東京都立大の南大沢キャンパスで、「都立大の中で男性が顔を切られた」と目撃者の男性から110番通報がありました。
切りつけられたのは東京都立大教授の宮台真司さんで、キャンパス内の路上にいたところ、頭を後ろから殴られたうえ、刃物のようなもので首を切られ、病院に搬送されましたが命に別状はないということです。
犯人の男は現在も逃走していて、年齢20代から30代、身長はおよそ180センチ、髪は短めで、黒っぽいジャンパーにズボン、がっちりした体格だったということで、警視庁が男の行方を追っています。
Twitterやはてブでは「言論封殺は許されない」みたいな事を言ってる人を見かけるが、現時点では犯人は捕まってないし、動機も不明。
言論封殺云々は現状では飛躍し過ぎな気がするが。
穿った見方をするとそういうパーソンは対立する人間を黙らせる為に危害を加えることを暗黙的に是認しているので、こういう時真っ先に言論封殺なのではと考えてしまうのだろうか?
ともあれ、続報待ちか。
雑に言葉を使ったせいで元々あった「言葉の重み」みたいなものが軽くなっていくのあるある。
ローマ教皇は困った人ですね。生殖は人間の義務ではありません。個人が幸福に生きることこそ何より大切で、その結果、人類が滅びたとしても、それはいかにも人間らしい滅び方で、いいことだと思います。地球上の生物はすべて必ずいつかは滅びます、ヒトも例外ではありません。問題は滅び方です。
ローマ教皇が「犬を飼うな」というのは分かる。子どもを育てる代わりに犬を飼うのは、「養育する」という点では同じでも、前者は共同体の存続に結びついている一方で後者は「自分のいちどきりの人生をすばらしいものにするために」というだけのことなんだよな。
これが噂の滅びの哲学者か。
とはいえ、功利主義の観点から見ると否定できないことではある。
しかし、そのような考え方は社会や共同体、将来の若者にフリーライドするということでもあるので、そのような生き方をするなら相応の負担はしてもらうという発想を呼びかねない。
つまり、独身税というような。
盛り上がってまいりました
この作品を批判してません。
誰もが楽しむ自由があります。
ただし、わたしの目に映るところでの存在は許しません。
※ツイフェミさんの主張を要約するとこうなる
当方若者です。20代前半です。最近まで学生してました。
最初に言っておきますが僕はどちらかというとフェミニスト側です。
一時期話題になっていたフェミニスト原則の再確認~~には同意しかしてません。
というのも高校生の頃から8年ぐらい”はてな”を見てて染まっているから。
本題です。
僕の観測範囲ではフェミニストって言うと「ワーワー喚くおばさん」みたいなイメージ持ってる人ばかりです。悲しい。
嘘だろ?って思う人はネット人気配信者、主な視聴者層が10~20代であろう配信を見てください。すぐにわかります。
結構な頻度で馬鹿にされるというか、ネタにされてます。口うるさい先生をあざ笑うような感じですね。
例えば配信者がマズいこと言うと、「あっ」だとか「フェミが来るぞ」とか。とりあえず見ればわかります。
もちろん現実世界ではそういうことをする人は少ないです。まあ、現実でもネタにされていることもあるんですが。
俺らは俗に言うデジタルネイティブ世代ってやつだから、ネットめちゃくちゃ見るのよ。
大半の若者は滝沢ガレソとか知ってるし、なんJまとめとかめちゃくちゃ見ている。
そしてそれらに取り上げられる”フェミニスト”は悪目立ちするような人ばかりなわけ。こうなるともう「フェミニストってこういう人たちなんだ」ってなっちゃう。
だからもうイメージ最悪ですよ。まともな人も一緒くた。もうだめです。
そんで楽しんでいるのに水を差されるのが大嫌い。口うるさいおじさんおばさんに対してヘイトしかない。
最近だとSHEINですかね。ヤフーニュースでも取り上げられることが多くなって、デザイン盗用云々の話題あったじゃないですか。
もちろん盗用は叩かれるべきことなんですけど、それよりも「楽しんでいたこと、使っていたサイトが攻撃されるのに耐えられない」って人多いんすよ。
とまあダラダラと述べましたが無関心な人もいるんで、そこらへんはまだ希望があります。憎悪に傾いていないだけマシ。
今回の雀魂の件はより多くの若い奴らが悪いイメージを抱くかもしれん。本当に辛い。
実際、憎悪クリエイターの格好の餌食になってるし、雀魂のユーザーは上述の配信者に影響されて始めたみたいな人たちが多いから…
ついき
俺らは俗に言うデジタルネイティブ世代ってやつだから、ネットめちゃくちゃ見るのよ。
大半の若者は滝沢ガレソとか知ってるし、なんJまとめとかめちゃくちゃ見ている。
この部分含めいろいろ書き方が悪かった点は反省してますが、ここを間違われるのは非常に癪なので、この部分だけ言及します。
”俺”は過激な反まとめサイト派です。滝沢ガレソはブロックしてます。
できればブクマカのみなさんもまとめサイトをブクマしてホッテントリに入れるようなことはしてほしくはありません。
でも現実は時間がないので「まとめ」を見るしかないというのも理解しています。だから強要はしません。こういう意見もあるんだなぐらいで。
み~んなこういう意見もあるんだなあで済めば平和なんすけどねえ…
医師関係の訴訟もそうだけど、結局訴訟されるだけで地位や家庭がボロボロになる例は普通にあるんで、最適解は中立的な立場の女が周りにいない限り男は何もしない、になってしまうんだよな
というか、訴訟対応で通常業務が完全に崩壊するので訴訟された時点で終了するリスクすらある。
どんだけウルトラビッチガールであったとしても「家に男性を上げたら即性交の同意があったと推認」されるべきではないと思いますけどね、どんだけウルトラビッチパパ活ガールであったとしても
それはそう。
ジェンダーギャップ指数、見れば見るほど「健康的で教育も受けているが、働かないし政治参加もしない女」の姿が浮き彫りになりとても趣深い。
・参政権は男女平等です
・有権者数は女性の方が多いです
・職務が同じなら男女同一賃金です
・アファーマティブ・アクションで進学や就職は優遇されます
🤔🤔
普通、人は悪人であることに耐えられないんですよ。宮崎駿が凄いなと思うのは、自分が悪人な事を自覚しているところです。発言の端々に出てきます。だからアニメやりたくないって必ず言うんですよ。
愛弟子の庵野さんが作品ごとに凹むのもそれです。
押井守は悪人であること自覚して「それがどうした。騙される方が悪い」「こういうことがあるって勉強できて良かったね」と平然と言える人です(だから好き)
誤解してる人がいるかもしれませんが、悪人というのは例えば制作費を個人使用したりするような犯罪者ということでなく、「自己実現するために他人(弱者)を支配せねばならない」ことです。承太郎が「吐き気のする悪」と語ったヤツです。「風立ちぬ」では作中でピラミッドに喩えてますね。
「風立ちぬ」の主人公は兵器を作ることで自己実現しようとし、愛する人まで犠牲にします。冷静に見るととんでもない人間です。
「美しいものを作りたい」と誤魔化していますが、欺瞞です。宮崎駿はそれが欺瞞だと知ってて描いてます。凄い精神力だと思いますよ。
初監督で宮崎駿は「自分はもう演出はやらない。友達が居なくなる」と泣いて語り、一原画に戻ったんです。友達の仕事でもイメージと違っていればやり直させたりボツにしたりする。他人を支配する仕事が演出だと気がついたからです。
でもやっぱり演出に戻ってしまいます。作りたい映像があるから。
「美しいものを作らずにいられない。他人を犠牲にしても」というのが監督業です。基本的に善人では務まりません。特にアニメはそうです。押井守は『トーキング・ヘッド』で「監督は本来人間が一人でやることではない」と描いてます。
逆にツイフェミさんやリベラルさんは「自分が悪人」であるという事に耐えられないので常に被害者だったり大義名分の立つ方にポジション取ろうとする。
それが見苦しく、また自分の言動に責任を取ろうとしない卑怯者に見えるのが支持を落とす原因なのだ。
女性の「スマートで積極的にアプローチしてくれるけど遊び人ではなく誠実な男性が欲しい!」という魂の叫びが産んだのが、「過去からモテモテだったので遊びを卒業した誠実モテ男」というユニコーン。多分オタクに優しいギャルが存在する確率程度には、この世界の何処かにはきっと存在すると思う
擁護に出てくる人々がどれも思想的に振り切ってる連中ばかりなので、やっぱ共産党の重要案件なんだろうなという印象が強まっていく。
東京都の件、色々起こっている様ですが私も言いたいことは沢山あります。詳らかにする日は遠くないかもしれませんね。
「言いたい」というか、「溜めている」ものですかね。いずれにせよ長期的視野を持って対応します。
何この匂わせ。
どの案件のことなのだろうか。
JR大阪駅の御堂筋口の「咲全国編×雀魂」のコラボの広告について、前衆議院議員という社会的影響力のある公人あるいは準公人が、表現キャンセルの火付け役となる情報発信をSNSで行うことで、私人の表現(営利表現)の萎縮を生じさせ、あるいはそのきっかけを作る行為は、【非立憲】的であるというべきだ
法律にも条例にも違反していない表現の自由の行使について、一元国会議員が「性的」に感じたというだけで、それをいかがわしい表現だと暗に示して公共スペースから排除しようとする行為は、特にその情報が(例えばツイートがバズることで)拡散すると、市民の表現行為に強力な萎縮効果を及ぼすことになる
ゾーニングの呼び掛けといえば聞こえはいいが、それは表現の自由の意義を大幅に減殺する行為であるから非立憲的というほかない
他にも問題がある。違法行為ではないにもかかわらず、いかがわしい行為だと公人・準公人がレッテルを貼る機能を持つ情報発信をすると、表現者への差別にもつながってしまう
私も以前拙い解説を公表したが、あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」の展示(企画展)につき、国家議員等が扇動的な情報発信をして企画展を中止に追い込み、それがきっかけとなって芸術祭への補助金が不交付とされた(キャンセルされた)問題も、本質的には同じ問題というべきだろう
ちなみに、表現のゾーニングが、不特定多数人の「聴衆」への情報伝達、「聴衆の探索」という表現の自由の意義を大きく削ぐという点については、紙谷雅子教授の「囚われの聴衆」事件の解説(長谷部恭男他編『憲法判例百選 第7版』(有斐閣、2019)45頁)が分かりやすい
このたび元(前)国会議員が問題視した広告を公共空間から排除すれば、ジェンダーギャップ指数を引き上げられる、という趣旨の発言もあるようだが、公人がたまたま目にしたというだけで、個人の(法律にも条例にも反しない)表現の自由を補償もなく犠牲にして守るべき「指数」とは一体……
全体主義では?
そもそも、元(前)国会議員が問題視した広告を公共空間から排除すればジェンダーギャップ指数を引き上げられる、という科学的な因果関係など無いですよ。完全にお気持ちだけの発言というほかない。こういう発言をする人は立法事実を重視した法律や条例を作ろうとはしなさそう。権力を持たせたら恐ろしい
こういった(準)公人のツイートは、悪法の立法事実(めいたもの)になる危険もある。お気持ち差別助長情報が拡散して新法(悪法)は出来てからでは遅すぎる
公人の非立憲的な言論に対しては対抗言論をもって抵抗することが、人権保持のための市民の「不断の努力」(憲法12条前段)にもなりうるといえるだろう
ちなみに、表現の自由」(憲法21条1項)についての「不断の努力」(憲法12条前段)に関する拙稿↓↓を、東京弁護士会の会報『LIBRA』で公表しています
平裕介「公道で選挙演説を聴く市民の政治的言論の自由と『現在』の市民の『不断の努力』」LIBRA2019年10月号23頁
表現の自由の問題と公共のスペースでの広告としての適切性の線引きやゾーニングの問題は「別」だという言説は、まやかしだというほかない。表現の自由の問題ではない、という人ほど、意識的あるいは無意識のうちに憲法や憲法上の権利の価値、趣旨を軽視している。勉強すべき。「アップデート」すべきだ
前国会議員が問題視した広告の表現内容の問題なのに、じゃあヌードポスターを駅に貼っても良いんですか?と事案違いの話を持ち出すアカウントもあるが、会話が成り立たない蓋然性が高すぎるので、ブロック一択が妥当だろう。ブロックもまた消極的表現の自由(コミュニケーションしない自由)の行使である
失礼します。
これは私の偏見だと断った上で発言させていただきますが、彼女らの行動の背景には
『自分たちは上位で高等な思想を持つ存在である』
『だからそれに反するものは見下し迫害する権利がある』
という誤解が存在するように思えます。
それは共産主義支持系の活動家に良くあるものと思います
【承前】数十年前までさかんに宣伝されていた、左派活動家が唱える【愚かなる一般大衆とそれを啓蒙する我々】的な、他者への蔑視と自陣営の思想の絶対化、それからくる選民思想的とも言える差別意識ですね。それゆえに活動への批判を【正義である自分たちを貶すのか!】と逆上して受け取ってしまう。
【反差別】を掲げながら他者を見下し、侮辱し、【多様性】を訴えながら、自分たちと異なる思想は存在すら許さず。そういった矛盾と二重基準、独善性の露見が、彼ら彼女らが徐々に一般市民からの支持を失っていった原因ではないかと考えております。
天竜人ムーブ
僕は中川卓弁護士たち、Colabo弁護団、いやもっと言うと仁藤夢乃さんたちに対して非常に怒りがあるわけです。一つは保護を必要とする未成年の女の子たちを食い物にしてる疑惑に対して不誠実なこと(或いは女の子を食い物にしてること)。
もう一つは表現の自由を踏みにじってきたことなんですよね。
弁護団の疑惑に対する恫喝と、それこそ疑惑を持つ者に対しての誹謗中傷。これをやられたら、リスクを考えて表現を控えようと誰でも思う。僕ですら一瞬思った。
でも仁藤さんは昔から、表現の自由を踏みにじってきた。秋葉原文化への誹謗中傷なんか酷かった。知りもせず、知ろうともせず傲慢だった。
でもさっきRTした漫画(家庭内暴力などで夜逃げしなくてはいけない人たちのための引越し業者)にあるように、他人からはわからなかったり、軽んじられるような文化(作中では母親は戦車模型に価値を全く理解できないでいた)こそが、その人の命だったりする。人殺しの道具の模型であってもです。
人殺しの道具の模型であろうと、現実には荒唐無稽な玩具であろうと、すんごいスケベーな漫画本であろうと、妄想極まりないアダルトなビデオだろうと、等身大女の人形だろうと、他人や私には分からなくても、それらの表現が誰かの命だったりする。
それを理解しようともせず、傲慢に無価値と踏みにじる行為を、僕は絶対許さない。
「女性限定公募は、批判すらも許されない雰囲気なので言及したくないし、言及していてガッツありますね」という若手研究者の声を聞いた。こういう雰囲気が自由に議論できるはずのアカデミアで起きているの不味いよなぁと思う。
結局、アカデミアも、オピニオンリーダーの大きな声には反論や批判しづらい雰囲気や権威主義的な側面がある事を否定できないんだよな。
皮肉な事に、「これがこれまで女性研究者が感じていた風通しの悪さだったり、聞き耳を持たない偉い人を相手にする辛さか」というのを身を持って味わっている。
人文系に限らず、学問の世界は基本的に権威主義の世界という印象が強い。
https://twitter.com/mizloq/status/1594608637208850434
https://twitter.com/mizloq/status/1594554415045742592
WJSの調査をまとめ直しただけなのだけれど、こういう視覚化が珍しかったのか、たくさんの反応ありがとうございました。
■わたしが注目していただきたかったこと
https://pbs.twimg.com/media/FiEvYdVacAIZ4Rg?format=jpg&name=medium
あの表から読み取っていただけることはいくつもある中で、表を作ってTwitterに投稿した者として是非注目していただきたかった点は次のとおり。
「事実をありのままに伝える」がトップでないのはこの中で(中露も含めて)日本だけであること、「客観的な観察者であること」をきわめて重要/とても重要な役割とする回答が少ないこと
この点はあとで少し詳しく書きます。
「政治的アジェンダを設定する」をジャーナリズムのきわめて重要/とても重要な役割という回答が比較国中で異様に突出していること
「いま国民的議論の対象とするべきものはこれだ」「次の政権はこの論点で選ぶべきだ」を提示するのがマスメディアのしごとだ、ということですよね。この項目が上位に来るのは、世界67カ国調査をざっと見たところ、日本と韓国だけです。韓国マスメディアについては詳しくないので触れませんが、日本のマスメディアについては、その発祥と発展の経緯がこれに大きく関わっていると思われます。
萬朝報が中心となって1901年に「理想団」が結成されて以降の日本のマスメディアは、社会主義的な思想をベースに、自分たちの役割を
「より良い社会の建設のために世論を醸成し牽引する」
と任じ、そうやって自らが牽引して作った「世論」にマッチした政治が政府によって実施されるかどうかを「監視」していました。したがって、政府がその世論に従わなければ反政府反権力的な言論を展開しましたが、政府が世論どおりに運営されれば権力と一体化して少数意見を封殺する言論展開を躊躇いませんでした。その尻尾がまだ残っているんだなあと、個人的にわりと感動したところです(褒めてません)。
アジェンダ設定のような能動的行為は「客観的観察者であること」を大きく損ねますから、それをジャーナリズムの重要な役割とすることには拒絶ないし躊躇があるのが当然でしょう。日本以外のすべての国で「政治的アジェンダを設定すること」への重要度認識が低いのはそのためです。
「人々が意見を表明できるようにする」をきわめて重要/とても重要な役割とする回答が少ない
この「人々が意見を表明できるようにする」の原文は "Let people express their views” なので、「人々の意見を表明するツールとして自分たちのメディアを使わせる」というニュアンスも含まれます。世論を醸成し政策アジェンダ設定が重要と考えているくせに、いや、だからこそかもしれませんが、実際の「人々」の意見を汲み上げて報じることにはあまり重要性を感じていないわけです。120年前と同じように、「自分たちが良いと思う世論を作る」という意識なのだとすれば、そうでないさまざまな意見の表明はあまり好まないのも不思議ではありませんね。
「政治リーダーの監視と精査」 「時事問題の分析の提供」 「人々の政治的決定に必要な情報の提供」については、それらへの重要度認識が高いこと単体に違和感はないし、しっかり頑張っていただきたいものですが、「事実をありのままに伝える」「客観的観察者」などを差し置いてそれ以上に重要と感じていることには強い嫌悪を覚えます。
特に、「政策アジェンダを設定するのは自分たちの重要な仕事」とこれら3点がセットになっているのを見ると、吐き気すら催します。
■たくさんのご意見に対して
全部に対応するのは無理ですが、いくつか類型化して主な反応にお答えしてみます。
日本だけ異様というのはおかしい。各国それぞれなのでは?
はい。「お国柄はあるものの」と書いているとおり、この回答には各国それぞれのジャーナリズムの歴史がほんのりと現れていて興味深いものです。大雑把に言うと、
- 客観報道中心で市民の自律を期待し支援する意識の強い大陸欧州(その中にも歴史的背景を反映した微妙な違いがある)
- 欧州の客観報道主義を継承しつつも、ベトナム戦争前後に政治への影響力を経験して啓蒙に舵を切った米国
- 明治期以来の「社会主義的な動機を持ちつつ自ら率先して世論を形成し、その世論に合致するかどうかの観点で政府を監視する」の歴史に、戦後米国ジャーナリズムの流れが混じって今に至る日本
- 中露はまた別
という感じでしょうか。
それでも日本を敢えて「異様」と書いている理由は、この調査で「事実をありのままに伝える」トップにならない』の異常性です。
この項目は、ジャーナリズムを体系的に学んだ者なら誰でも気づく、他の約20の項目とは完全に異質の質問です。他の項目は「お国柄が出ますね」で済むけれど、この項目だけは別格です。
いわば、「あなたはジャーナリストとして最も基本的な動作を正しく重要視していますか?」とほぼ同じ意味の項目です。
無理やり喩えて言えばこの項目は、プロスポーツ選手に
「あなたにとって『勝つこと』は重要ですか?」
と問うような質問なのです。
「勝つことだけが重要ではない」「ほかにも大切なことがある」という選手はいるでしょうけれど、「勝つことの重要性はあまり高くない」と答える選手はかなり少ないでしょう。そう答える選手が1/3も存在するチームを応援する気にはならないし、スポンサーになる気にもトトを買う気にもならないですよね。ほかにどんなに重要と思うことがあったとしても、実際に勝てないとしても、プロスポーツ選手である以上は「勝つことは大切」と思っていて欲しいじゃないですか。
まともなジャーナリズム教育を受けた人であれば誰でも、「事実をありのままに伝えることはジャーナリズムがジャーナリズムであるための最も重要な要件」と学びます。
別の言い方で「ファクトとオピニオンを明確に区別せよ」とも言います。
たとえば、40年ほど前に私が専攻していたジャーナリズムの学科はジャーナリズム研究と並行してジャーナリスト実務者養成の要素が強く、1年間ずっと報道文の宿題を提出して「この表現は客観的でない」「ここはファクトにオピニオンが混じっているからオピニオンを削れ。さもなくば明確に分けろ」と重箱の隅をつつかれ再提出させられ続けるという地獄のような講義がありました。
そういった養成訓練を受けた人なら、あとからどんな思想的政治的干渉を受けたとしても「事実をありのままに伝えることはジャーナリストの最も重要な仕事」という考えが覆ることはまずありません。だから、中露ですらこの項目はトップになるのです。
「日本人にアンケートを答えさせると5段階の5をめったにつけないから・・・」という擁護も来ましたが、今回の表は4と5を合わせて集計したものですからその影響は小さく、現にたとえば「政治リーダーを監視精査する」は堂々90%を超えていますから、その考慮は必要ないでしょう。ていうかそもそも、仮にそうだったとしてもほとんど条件反射で「5」と回答して欲しい質問なわけですよこの項目は。日本のジャーナリストの1/3が、建前としてすらも「極めて重要/とても重要』と答えない。これは嘘吐きかどうかとはぜんぜん別の「恐怖」です。
そういう思いから、日本のジャーナリズムを「異様」と書きました。
残り35%は「事実かどうかはどうでもいい」「嘘を書いてもいい」と思っているんだな
それは情報の誤読です。「事実をありのままに伝える」を重要と思っている度合いの相対的に弱い人が35%いるというだけです。その人たちが日常的に嘘を書いているというわけでもないし、逆に、重要と思っている人が嘘を書かないというわけでもありません。
・・・まあそうは言っても、たとえば「自分が伝えたいことや自分の設定したいアジェンダにとって都合の悪い事実があったときの行動」は違うだろうと容易に想像できますから、信用問題ではありますね。
日本のジャーナリストの65%が「事実をありのままに伝えるのは重要」と考えているなんて嘘っぱちだ。実際はもっと低いだろう》
それは情報の誤読です。この調査は「あなたは事実をありのままに伝えていますか」ではないので、ご希望の数値はここには表示されません。
米国の98%はただの厚顔無恥な嘘吐き
欧米のジャーナリズムだってそんなに言うほど事実をありのままに伝えてなんかいないぞ
さきほどのプロスポーツ選手の喩えでいうと「勝つことが重要だ」と言いつつ練習もサボり試合にもボロ負けする選手ですね。「勝つことが重要だ」という建前すら言わないで練習をサボりボロ負けする選手よりはずっとマシだと、私は思います。まあ感じ方次第ですけど。
フェイクニュースは日本よりも米国のほうが酷い
これは別のデータ等をもとに別に議論されるべきでしょう。もし感覚だけで言うなら、私はそうは感じていません。日本のジャーナリストには「ファクト」と「オピニオン」を厳密に分ける教育も訓練も不十分な人が多く、そのせいか、「ファクトのように読める部分にオピニオンが混じり込んでいる」というフェイクニュースではないけれどフェイクニュースよりもたちの悪い報道が多数見られます。
読者・視聴者の側の問題もあるのではないか
現状の「原因」としては大きいと思います。ただ、読者や視聴者と異なりジャーナリストはそれを職業とする人々であり、現状への「責任」を同列に語るのは適切でないと考えています。原因と責任は別物です。
マスコミは左翼のすくつ
マスコミはネトウヨの手先
マスコミは政府のイヌ
マスコミは中韓の下僕
マスコミは米帝の下僕
ぜんぶ来ましたw どれも当たっていてどれも間違っているんだと思います。
これらの評価(罵倒)を言ってしまうのは、ご自分たちの考えと合致した世論を喚起し政策アジェンダを設定していく役割、もっとあからさまに言うと、ご自分たちにとって都合の良い機関紙としての役割をジャーナリズムに求めているからです。ジャーナリズムは本来そのようなものではありません。「事実をありのままに伝える」を重視して「客観的観察者」の実践を続け「政策アジェンダを設定する」から遠ざかっていけば、ジャーナリズムがそういう評価の対象になること自体がもっと減るだろうと考えています。
日本のジャーナリストが「報道の自由度が低い」と言っているのと今回の表を見比べると興味深い
私もそう思います。世界の一般的なジャーナリストにとって「報道の自由度が低い」とは「事実をありのままに伝えることや自由な表現を阻まれる」を意味します。日本のジャーナリストは世界の一般的なジャーナリストと異なり、自分たちによる政治アジェンダ設定や世論形成を重要視している度合いが強いので、それを言いっぱなしにさせてくれず邪魔されたり反論されたりそのとおりに世論が形成されなかったりするのを「報道の自由度の低さ」と勘違いしていると思います。
日本のジャーナリズムは他国と異なり政治的中立性を求められているしその評価も高いから一概に日本のジャーナリズムが異質・粗悪というのはいかがなものか
これはいろんな考え方があるでしょうが、私は、「事実をありのままに伝える」というジャーナリズムというものの普遍的な存在意義にかかわる話は、法律等の要請やメディア運営指針に過ぎない「政治的中立性」と同列に語ることは全くできないと思っています。また、たとえば日本のマスメディアがよくやる両論併記は政治的中立性の名のもとに行われますが、科学的知見に基づくコンセンサスと大きく異なる異端論をいつまでもいつまでも書き続けるような形で現れることが少なくなく、「政治的中立性」はあまり褒められたものではないと思います。
会社や地域社会が包摂しきれない層は再びギルド的な小さな共同体を作り出すのではと考えている。
白饅頭尊師もそんな事をよく言っているし。
「今後一切、絶対に許しませんが、謝罪は求めます。ただし本人の顔や声等は一切見たくありませんので、謝罪は代理人を通してください。相互ブロックですけど書きます。」は後世に語り継がれるべき名文だな。
許してもらえないなら何のために代理人を通じて謝る必要があるのだろうか・・・
最高に調子乗ってる女子高生とかが言いそうな台詞だ
なので、いま問題なのは「岸田さんはいつまで頑張れるか見守ること」ではなく、「岸田さんが政権を放り投げても、みんなで回転レシーブできるようにしておくこと」になってきたと思います。物事を決められず、政策を推進させられなかった人をいつまでも上に置いておくわけにはいかないのですが、かといって、一度は日本の総理となったからにはどのような事態になろうとも肩を叩いて激励し、背中を見送る花道を残してあげることが大事であろうと。
そして、国民からすれば「そんな岸田文雄なんて投げうてばいい」と思うかもしれないのですが、同じタオルを投げるにしても、一度は位人臣を極めたとも言える岸田さんが納得して道を譲れる有りようを考えるのもまた、民主主義国家の格式なんじゃないかと私は思っております。
どうしても、どうしても福田政権とかぶるんですよ。
岸田文雄さんも福田康夫さんも、人柄としては素晴らしいのは間違いなく、ただ調整型人材であって、決断し舵取りするトップに向かなかったというだけなのかもしれません。
自閉っ子に暴言でしつけてはならない、って私は思うんだけど、それはフワフワした優しい理由じゃなくて、ある日突然セリフをコピペで覚えて連呼するようになってしまう可能性があるからである
自分が言った過去の暴言を何時間も1字1句間違えずに棒読みで隣で繰り返される責め苦とか、味わいたい人いないでしょ.......?
あんじぇんうんてんでおねがいします
を数時間繰り返されるのでさえ辛いと言うのにだよ
なるほど
ネットの集合知に対して「お前らはマインドコントロールされてる!」と叫ぶ人、言っちゃ悪いが陰謀論に染まってる狂人にしか見えないんだよな。インターネットで自分を批判してるひと全てが統一教会みたいな「黒幕」に洗脳されてるとか思ってそう。
外部の都合の悪い現実や意見には触れないようにさせたり、論理や事実を捻じ曲げて洗脳を強化する。その果ては、人生が台無しになる代償に金を搾り取られ、テロリストやら鉄砲玉に仕立て上げられて使い捨てられてオシマイ。古今東西、よくあるパターン
そりゃこいつらの根城である人文系アカデミアはガチの思想洗脳の結果ポリコレ教に逆らう人なぞ皆無なわけだから、一般社会とのあまりの温度差に「こいつらは洗脳されてる!」とか思っちゃうのも無理ないのかもしれないけど、思想洗脳が行われてるのは一般社会ではなくアンタらの根城やで。
カルト問題について1mmでも知識がありゃ知ってることだけど、破壊的カルトってのは構成員を監禁したり人間関係を断たせたりして思想洗脳するのよ。ネット越しに大量の人間を洗脳する方法なんてのは原理的に存在しないわけ。大学という密室で人間関係から単位認定から介入できるアカデミアは違うけどね
「洗脳」は難しくても「大衆の煽動」は可能だし、マスメディアはずっとそれをやってきたわけで、集団に対するマインドコントロールはある程度はできるんじゃないのかなという感想。
そして、母数が増えれば「熱狂的」「妄信的」に転ぶナイーブな個体の含有率も増えるわけで。
アーティストの訃報に際して後追い自殺するような個体群がそんな印象。
いまのイーロンTwitterの動向をみていると、TwitterアプリがAppStoreからBANされる可能性もありそう。
それに、誹謗中傷や差別的なツイートを野放しにするサービスを使い続けることに強い抵抗感がある。
リアルに引っ越し先を考えなければ。
自分のサイトを立ち上げてそこでブツブツ言ってればいいのに、人々は交流しないと気が済まないのだろうか?
これは何度も言ってるけど大勢から怒られる(=炎上)と本当にわかんなくなってわかんない行動をとります。人文アカデミアの人が普段どんな賢いこと言ってるか知りませんがそういう人でもわかんなくなってわかんないこと言います。誰だってそう。ぼくもそう。君もそう。