いまのイーロンTwitterの動向をみていると、TwitterアプリがAppStoreからBANされる可能性もありそう。
それに、誹謗中傷や差別的なツイートを野放しにするサービスを使い続けることに強い抵抗感がある。
リアルに引っ越し先を考えなければ。
自分のサイトを立ち上げてそこでブツブツ言ってればいいのに、人々は交流しないと気が済まないのだろうか?
これは何度も言ってるけど大勢から怒られる(=炎上)と本当にわかんなくなってわかんない行動をとります。人文アカデミアの人が普段どんな賢いこと言ってるか知りませんがそういう人でもわかんなくなってわかんないこと言います。誰だってそう。ぼくもそう。君もそう。
インターネットをやって得た学び
・キチガイは1歩引いて観察すべき
・本物のキチガイに絡まれたらインターネットに書けない
・どの場所でも被害者ズラしている人は関わらない
・キモいおじさんだからそれを理由に差別しちゃダメだよね…と誰からでも話を聞いてはいけない、直感を信じて自衛しよう
上昇婚する女に「貞淑で甲斐甲斐しい奥さん」の役割を求めるのは「女は男のママじゃない/ケア要員ではない」「昭和的・家父長的価値観を捨てろ」などと徹底的に糾弾されてきたのだが、なぜか男が養われたければ「貞淑で甲斐甲斐しい奥さん」の男女逆転版をやることが求められる。
私はフェミニズムに否定的ですが、リプロダクティブ・ヘルス/ライツには肯定的です。
……というより、リプロダクティブ・ヘルス/ライツに肯定的だからこそ、個人の身体と価値観を『女性』という群れの為に支配しようとする現代日本フェミニズムには否定的にならざるを得ない、という方が正確かも。
「胸を性的に扱う作品は、取り扱いに注意が必要」と言う人が……。
同じ理屈で「セクシーな仕事をするモデルさんは、他にセクシーさがTPOにあった仕事があるはずで、そちらの仕事をすれば良い」とド直球の職業差別。今の時代、例えば紗倉まなさんとかAV女優のキャリアから多方面で活躍しているのに。
《胸が大きいだけで「性的誇張」とするのは偏見で差別ですが、なぜそのような偏見が生まれたのかというと、大きな胸を性的なシンボルとして扱う作品が多いからです。そのような偏見を無くすには、胸を性的に扱う作品は、取り扱いに注意が必要》と、ご自身の偏見と差別を”作品の責任”にしないで下さい。
RT 草津の冤罪・誹謗中傷事件の件、「自分は絶対に加害者の立場ではない」という強固な信念の下で発言している社会的地位の高い人(弁護士や大学教授等)が多すぎて閉口。同じ人がかつて「加害者の男性は加害意識が皆無」と非難していたりしましたが、自らがそうなっている自覚がどこまであるのか。
SNSでは様々なテーマで罵詈雑言が飛び交っていますが、ここで特異なのは「社会的地位の高い人が加害的言動を反省しておらず、かつそれが社会的に許されている」という点ですね。SNSでの失言で社会的地位が引きずりおろされた人々との差はどこにあるのか。
リベラル的な思想に自我を持っていかれている方々特有の「私は正義の側にいる。なので私は無謬である」という独善的な信念が死ぬほど嫌いである。
あと、ダブスタ。
人に相手にする仕事をしていると、だんだん人格がスレて荒れてくる。
第三次産業比率を増やすというのは、国民の人格的改造であって、我々はもう少しこれに慎重であるべきだったと思う。
特に医療介護福祉のような人の死や排泄物や剥き出しの感情に曝される高ストレス環境下の労働者が900万人を超える事は、国民の精神的健全性に大いに悪影響があると思う。
世の中が残酷すぎて悲しい。
一番残酷でないやり方を提案するとバカどもが群がってきて『医療介護を充実しろ。人の死なない世界を作れ。お医者様の言うことを聞け』と善人面でほざく。
全部お前等のせいだよ。
お前らが善人面するコストくらい自分で払え。
うまれたばっかりの赤ちゃんもお前等の善人面コストを払わされる。
なんなら、善人面コストのために、生まれてくる事すら出来ない!
マジでひどいよ。自分で書いてて泣きそうなる。
民主党政権当時に菅直人がほざいた『最小不幸社会』というフレーズは今となっては結構正しい。日本社会はダメージコントロールの段階にあるから。
だけど、『善人面』して『人に優しい政策』を行うと、ダメージを拡大して不幸が増える。この矛盾をバカどもは認知できない。
日本もアメリカのようになっていくのだろうという感はある。
つまり、安い給与の労働者は無償のサービスを行わず、高度なサービスは税金や保険ではなく自費で賄うというような。
無限にコストを負担し続けることはできない以上、それは必然。
結局「我々こそが真のリベラルだ。あそこにいる連中は偽物の、既得権力の権力者だ」で客集めてるんすよ。狂人日誌の執拗な出典資料の提示や、『ただしさに殺されないために 声なき者への社会論』って書名を見て、”こちらの武器”を使われていると判断できないインテリはマジで終わってる。
ほんまそれ
あまりそれが懲戒になるとかいう話はないとおもうんだけど(調べたわけではない)、Twitter上で著名な事件の代理人になったときに、他の利用者にその事件に関して話しかける場合は、代理人として話しかけるか、そうでないのかは明示する必要があると思う。
むしろ、代理人である以上、個人的な発言を
控えるべきではないかという気もするのだが、なかなかそういうわけにはいかないので。
話しかけられた方が、「それは代理人として話しているのですか」と聞くべきかもしれないのだけど、そんな発想、思い浮かぶわけもないしなぁ。
リアルの世界ではあんまり問題にならなかったんだろうね。受任した事件について、一般人に、「あなたはどう考えているんですか」とか話しかけてやり取りして、それが公開されるなんてないからなぁ。
リアルで書面だすとしたら、当然、代理人としてやることになると思う。
フェミニズムを専攻すると採用で弾かれる話。
フェミニズムがフェミニズムの正義と異議申し立ての学問で、学問である以前に「運動」であると浸透した結果、組織の存在意義である目標達成とこのための協調にかすりもせず、益する知見や技能を提供できない人材と判断されたからですよ。ひたすらこれだけ
組織がジェンダーについての感覚を必要とするならフェミニズム専攻の学生にご指導いただくよりマーケティングに頼ったほうが確実。フェミニズム運動の理論はいらないし、むしろ足を引っ張りかねないと判断された。彼らにできることは、フェミニズムの正義に基づく異議申し立てでしかないということ。
撮影現場とか作業の修羅場で、届いたケータリングを女が配るか男が配るか、そんなことどうでもいい話になる。とうの昔から気が回り必要とされる動作をする者が活躍する──これは例えだけど、明確な目標があるときフェミニズムの正義に基づく異議申し立てが専門の人というのは何の役にも立たない。
だってパッケージに描くイラストのスカート丈が膝うえ何cmか、女性像のプロポーションをどうするか、フェミにお伺いを立てるよりマーケティング調査したほうが確実にきまっているじゃないですか。
それ以上いけない
登記情報提供サービス使えば数百円で閲覧できるので便利。
あくまで、一般社団法人事務的観点からだけど、ちょっと不備がある気がする。
・ 貸借対照表はHP上に公告しておかないとまずいのでは。。。?
法人の公告方法は「電子公告により行う。https://www.colabo-official.net/」となっていた。
公告方法を登記簿に書いてあるので、「貸借対照表を事務所の掲示板に張っておきました」というのは通らない気がする。
・ 登記簿記載のURLはドメイン失効しているので、早めに修正しないといけないのではないだろうか。。。?
URLは2020年くらいから新しいものに変わっているっぽいので、2年くらい更新してない可能性がある。
まぁ別に大罪犯しているわけではなかろうけど、毎年数億円のお金(公金も多い)が出入りする組織なのできちんと事務的管理をしておかないと、まずいだろう。。
せっかく弁護士さんも周りにたくさんいるので、税制面含めしっかり見てもらったほうがいいのでは。。
アンチフェミニズムはフェミニズムの論文だの本だのネット記事だの読んでいる男性の多くが持つ、
「ここでいう"男性"って俺のことじゃなくね?」
という違和感から始まるのである
権力者の意味で「男性」を使ってるのだから当然そうなるんだよな
煽動する者には細かい定義より分かりやすく具体的な敵が必要だということである。
フェミニズムはファシストの模倣であると考えて差し支えない。
P.S
あ、そうそう。
話は変わってしまうのですが、インターネットにおける「情報開示請求」ってとてもやりやすくなりましたよね。今回、事実確認が取れない曖昧な情報をあたかも真実かのように二次拡散し、誹謗中傷発言をされた方々に対して、我々が「許せない!」といった感情が今あるかというと、もうほとんどないというのが正直なところです。
しかしながら、インターネットにおける誹謗中傷問題は年々加速しており、これが許される世の中があまり良いとは思えないので、いちインターネット企業として、少しでもインターネットをよくできるようなアクションはした方がいいのではないかと検討しています。
イキった中学生の捨て台詞みたいで草なんだよなぁ
・角田由紀子
(二次元規制活動をしてきたイクオリティ・ナウの理事)
・神原元
(元しばき隊メンバーにして顧問弁護士、自由法曹団所属の極左弁護士)
・太田啓子
(宇崎ちゃん叩きでも知られる表現規制強硬派)
・中川卓
(暇空氏などをはじめ、Twitterで自分が敵と見なした人物を中傷する弁護士)
・端野真
(伊方原発差し止め訴訟代理人、関西生コンの逮捕に抗議する左翼弁護士の会に参加)
いよいよだな。
「横領」などと断定するツイートした拡散者のみならず、確かめもせず信じきってしまい、拡散に加担した者もその罪が問われることから逃げてはならない。
まずは弁護団の声明文よく読んだほうがいい。
ネット上でのデマ拡散、誹謗中傷などについて、被害の影響が甚大であり、法的措置を検討しています。
女の子たちにも不安が広がっており、実際の活動へも深刻な支障がでている状況です。
デマの大量拡散により、支援者の方々にも心配と動揺が拡がっていると思いますが、以下のように対応していきます。
https://twitter.com/colabo_official/status/1594163693335433218
ところで都議会議員というのは都政の不正を調査し追及する仕事だと理解していたのですが、あまりにも不合理な会計があきらかなcolaboについて、調査すらせずに不正はないと断言した理由は説明いただけますでしょうか?会計帳簿など全部見たの?ゆめにゃんから直接説明受けたの?ずるい!
この界隈の人々、リツイート罪好き過ぎるな。
疑惑に対して説明するのでなく、被害者を演じて相手を黙らせようとする仕草は嫌悪されるべきである。
言ってしまえば、政治家が都合の悪い時に入院して時間稼ぎをするあのムーブみたいなものだ。
女だけの職場、ホモソーシャルもびっくりの鉄の掟と破った者たちへの苛烈な総括もあってめちゃくちゃ厳しいんだよな。あれ見てると女だけの街とか地獄になる未来しか見えない。
電波男世代の「俺達はリアル捨てたけど二次元があるから」の答えが、「男はアラフォーを超えて独身だと狂う」なの、あまりにも救いが無さすぎないか?
「二次元があるから」が実質的に逃避でしかなかったことを示しているような物じゃないか
逃げた先には何も無いのだ。
全国フェミニスト議員連盟の増田かおる松戸市議、7万人の署名について「署名は見ていない見たのは代表者による抗議文だけだ」ってFBに書いてたけど、使われていないメールに個人情報送るわけにはいかないから、まず連絡を取って「宜しければ署名簿をお送りしますよ」ってメール。電話も何回かした。
そちらには何の反応もなかったけど、届いてなかったのではなくて分かってて無視したという事ね。(メールが届いていること、中身が代表者の抗議だったことは増田市議は自分が見たかはわからないけど、内容は確認している)署名を見ていないのは本当でしょう。確認も取らずにいきなり個人情報送れないし
自分に都合の悪いことには一切反応しない活動家仕草、本当にクソとしか言いようがないな。
ムッスメの入学予定の小学校(公立動物園)から給食費引落しの書類が来た。
ちゃんと支払います的な確約書は、法的意味はほぼないとは言え何の異存もないので署名押印した。
ただそこには「連帯保証人」の欄があった。
当職も当地のスクールロイヤー制度にいっちょ噛みしてるので、学校納入金滞納モラルハザードの深刻さは重々承知しているが、さも当たり前かのように連帯保証人を要求して来られると、さすがに腹が立つ。それは「俺が給食費如き滞納するとでも思ってんのか云々」的な話ではなく、(続
「連帯保証人てそんなカジュアルに人に頼めるもんなの?立てられない人はどうなんの?そもそも学校納入金に連保立てろって法的根拠あんの?」的な疑問。 記入例の主債務者と連保との関係の欄に「祖父」「伯母」といった親族のほかにも「母の友人」て書いてあって唖然とした。その程度の認識か、と。
承前)もっと言うと、理論的にはこの連保は無効ではないかと。「学校納入金」という括りは給食費と副教材費と色々含むので、多分法的性質は根保証。個人根保証契約は極度額の設定が必要だが、極度額の欄はない。
その程度の法務リテラシーしかないくせに、軽々しく保証を云々してんじゃねぇと。
承前)んで、連保空欄で出してきた。案の定、
事務「連保付けてもらうようにお願いしてます」
暇「それはお願いですよね。いないと受け取ってもらえないんですか」
事「一旦お返しします」
暇「いや出しに来たんで持ち帰りませんよ」
事「(上司と相談)じゃあ何かあったら電話します」
暇「宜敷」
承前)学校側の事情ももちろん理解はできるんだけど、あまりにもカルいんだよね。多分、祖父母の名前を勝手に使って、保証人の印鑑も保護者の印鑑と同じみたいなのは山ほどいるはずだが、学校側は有効性の審査しないでしょ。
学校が「保証」のカジュアル化に一役買ってるとは思わないのかね。
尚、この1件で当職は学校からモンペ認定されたはず。
校長から電話来るパティーンかな…
法的根拠が曖昧なものを学校が要求してくるの、学校という組織の異常性がよく現れている。
やはり学校を聖域とする考え方は取り去るべきなのだ。
「このひどい世界により多く気づき、多く傷ついた方がヒューマンステージが高い」みたいな学問、シンプルにだいぶ厳しい。
社会学や女性学がそうである事自体は別に問題無いのだが、それを短絡的に社会に適用させようとする活動家仕草が問題。
自己愛症(ナルシシズム)・権謀術数主義(マキャベリズム)・精神病質(サイコパシー)という負のパーソナリティ3種は「ダークトライアド」とまとめられます。このダークトライアドが、自分の善良さをアピールする「美徳シグナリング」や被害者ぶった言動を示す「被害者シグナリング」と関連しているという研究が発表されました。
「美徳シグナリング」とは、「自分が道徳的に正しく善良である」ということを他人にアピールする行動のことです。そして、「自分は被害者である」と周囲に強くアピールする行動が「被害者シグナリング」です。ブリティッシュコロンビア大学のEkin Ok氏らは合計3536人を対象とした研究で、美徳シグナリングと被害者シグナリングがダークトライアドの特徴や欺瞞(ぎまん)的行動とどのように関連しているのかを調査しました。
そして、ダークトライアドの中でもマキャベリズム、つまり人を操り欺くことをいとわない性質は、美徳シグナリングと被害者シグナリングの最も強い予測因子だとわかったそうです。研究チームによると、マキャベリズムの傾向が強い人は、「外的要因のせいで目標や夢を追求できないかを示す」「自分のアイデンティティがいかに社会で受け入れられていないと感じるかをアピールする」「自分がいかに過小評価されているかを表現する」といった行動を示すことが多く、自分が道徳的にいかに正しいかをアピールする傾向にあったとのこと。
ツイフェミさん達の性質っぽい
ただ、今回のColaboの件、危機管理対応としては名誉毀損訴訟は悪手です。なぜなら、暇空氏の目的はColaboに関する情報を一つでも多く引き出すことにあるから。今後証拠や準備書面がYoutubeやNoteで全部公開されることになることは容易に予測できるので、訴訟提起はやるべきではなかった。これでは
相手の思う壺。
危機管理対応としては、会計不正については都への報告だけ粛々とやって、対外的には全無視、活動実績については一方的にプレスを出してステークホルダーに説明、で十分だったはず。これなら潰したい主張だけ選んで潰せた。
訴訟にしてしまうと、認否の義務があるので、暇空が説明を
求めたら全部答えないといけなくなる。そして説明をしたらそれを使われてコンテンツを量産されてしまう。
これは実際その通りで、何故そのような戦略を取らないのかと言うと、「己、またはフェミニズムに対する無謬性信仰」「自己顕示欲が抑え切れなかった」もしくはその両方。
要は因縁付けられたら顔真っ赤にして手癖でスラップ訴訟してしまう程度の人々であるという事である。
勤務先の経営者宅に火をつけ住人を殺害しようとしたとして大阪府警捜査1課と池田署は1日、現住建造物等放火と殺人未遂の疑いで、大阪府豊中市蛍池東町の会社員、中川将志容疑者(42)を逮捕した。「仕事や頼りない自分へのストレスで火をつけたが、殺すつもりはなかった」と容疑を一部否認している。
逮捕容疑は9月29日午前3時15分~同35分ごろ、勤務先の釣り具販売会社経営の男性(48)の大阪府池田市荘園にある自宅1階ガレージに放火し、就寝中だった男性ら家族4人を殺害しようとしたとしている。住宅は全焼したが、4人は逃げてけがはなかった。
府警によると、翌30日に現場検証をしていた際、捜査員が付近をうろつく中川容疑者を発見。話を聞いたところ、放火を認めたという。勤務先での目立ったトラブルは確認されておらず、府警が詳しい動機を調べる。
言い訳がもう完全にやべぇやつなんだよな
「リベラルがなぜ嫌われるのか?」というテーマが盛り上がっているようですが、政治哲学の分野では50年ほど前に盛り上がったことがある話題なので、簡単にご案内します。リベラルの中の人の属人的な資質の問題ではなくて、あくまでリベラルが抱える理論的な問題だからです。(1/n)
今から50年ほど前に盛んだったその論争は「リベラル=コミュニタリアン論争」と名づけられています。当時は抽象的な議論に感じられたはずですが(実際抽象的だったわけですが)、理論哲学で議論されたことは2世代(大体60年)ほど遅れて世俗社会にあらわれてきますので、(2/n)
今から振り返ると意外と味わい深く感じられるところもあるのではないかと思います。どちらかというとnoteに書くような内容なので冗長になりますが、書きながら考えているところもあるので、ご容赦ください。明け方前に目が冴えてしまって寝つけないハリネズミの戯言であります。(3/n)
1971年、ジョン=ロールズというハーバード大の政治哲学の教授が一冊の本を出版しました。タイトルは“on the theory of justice”、邦題は「正義論」といいます。この本は理論リベラリズムの革命と言われていて、今日的なリベラリズムの理論的な骨格をつくった本といっても過言ではありません。(4/n)
中身が800ページほどある鈍器本なので内容は非常に多岐に渡りますが、今回のツイートに必要なエッセンスということで要約しますと、「功利主義批判」です。 “正義とは最大多数の最大幸福であること”を旨とする【功利主義】がアングロサクソン社会を支配する倫理哲学として機能する中で、(5/n)
功利主義の負の側面が現実社会に致命的な悪影響を及ぼしているのではないか?とロールズは危機感を持ちました。意外なことに日本人にも関係のある話題でして、というのも彼は太平洋戦争に従軍してまして、フィリピンで日本軍と戦っているのですね。原爆投下直後の広島も目撃しています。(6/n)
原爆投下の道徳的な根拠の一つは功利主義です。実際マンハッタン計画を統括したスティムソン長官は、原爆投下によってより多くの米兵と日本人の命が助かると考えました。「最大多数」の「最大幸福」。これが原爆投下の道徳的な拠り所です。しかしロールズはこれを端的に誤りだと考えました。(7/n)
事実彼は1995年に“50 Year after Hiroshima”という論文を書いて功利主義原理による原爆投下の道徳的な正当化を批判しています。 彼の功利主義批判の本質は何かというと、「功利主義的は少数者の不幸を道徳的に正しいこととして認識させ、事実そのように行動させてしまう」という点にあります。(8/n)
それでは功利主義の何をどう考えたらまずいのかということですが、「功利主義は最大多数の最大幸福と言うが、もし自分が抑圧されるマイノリティーの側だったとしたら道徳的に正しいと賛成しないんじゃね?」ということです。(9/n)
アメリカ人だって自国に原爆が落とされるとなったら、いかなる理由があったとしてもどれほどの人が賛成するでしょうか。功利主義は現実の社会運営に支障をきたすほど“ダブスタ”な考え方なんじゃね? それって普遍的な正しさとは言えなくね? というのがロールズの問題提起でした。(10/n)
そこで彼が考えたのが「だったらどんな立場や境遇の人でも賛同できる社会こそが最もダブスタじゃない正義的な社会なんじゃね?」ということでした。彼は“無知のヴェール”として有名な思考実験を考案するのですが、その解説はネト記事などにお任せして先に進めます。(11/n)
どんな人でも正しいと考えられることはそうそうあるものではありません。ロールズは、「社会的に正しいことというのはそんなに多くはなく、公正な社会を支える必要最小限のものに留まる。それ以上のことは正しさというより多様性の問題なので、お互い寛容でいようね」的なことを主張します。(12/n)
あらゆる人の立場や視点を入れ替えても成立するルールが、今日的なリベラリズムが構想する正しさの基準です。ゆえに反差別主義的。よく勘違いされるのは、相手はAだと言っているがその理論を使うと逆に私の言うことが正しくなっちゃうから論破〜という思考法はリベラリズムではありません。(13/n)
仮にバカとアホが口喧嘩していたとして、二人の立場を入れ替えたとしても、それはアホとバカの口喧嘩になっただけです。それはただの低レベルな口喧嘩なのであって、普遍的な議論ではありません。反転可能性テストなのではなく、ただのミラーリング(嫌がらせ)なのであります。(14/n)
さてこのようなロールズのリベラリズム哲学ですが、究極的なポイントは「功利主義のように考えると、道徳上致命的に問題のある局面が浮上する」という道徳哲学批判になります。ここを踏まえて次に進みます。 良かれと思って構想されたリベラリズムが、なぜこうも嫌われる考え方になったのか?(15/n)
一つの答えは、そして少なくない人が認識しているのはおそらく「中の人問題」です。リベラリズムというのは本来はいいこと言ってたのに、中の人が本来のリベラリズムをちゃんと勉強していなかったり、そもそもあんまり賢くなかったりするからこんなことになってしまったんだ、的な認知です。(16/n)
これも少なからず正鵠を得ているとは思いますが、「いやそうではない。中の人がまともだったとしても、ロールズのいうリベラリズムには道徳的な考え方として致命的な欠陥がある」的なことを真面目に言い出した人たちがいました。コミュニタリアンと呼ばれる人たちです。(17/n)
それが1980年代にアメリカの政治哲学界で盛り上がった「リベラル・コミュニタリアン論争」です。概要を簡単に説明します。(18/n)
コミュニタリアンというのは日本語で「共同体主義」と訳されます。個人を社会の出発点だとみなすのが個人主義だとすると、個人を育て上げるのは共同体なのだから共同体が社会の出発点になると考えるのが共同体主義になります。
さてそんなコミュニタリアンがロールズをどう批判したか?(19/n)
この批判がいかに哲学的(抽象的)なものだったのかを感じていただくため、ここからはある論文から原文ママで引用します。「リベラル・コミュニタリアン論争再訪(宇野重規)」です。抽象的だからこそ、40年後の今でも(今でこそ)示唆的に響くところがるように感じます。(20/n)
“サンデルは、負荷なき自我(unencumbered self)」という概念を提示して対抗する。ロールズがいうような「無知のヴェール」をかけられた原初状態における人間とは、いわば歴史的・社会的な属性をはぎ取られた、抽象的な自己に過ぎない。→(21/n)
“しかしながら、そのような抽象的な自己に、はたして道徳的な判断ができるのだろうか。人間は歴史的・社会的に状況づけられて生きている。そのような状況と切り離された人間は、いわば剥奪された自己でありそのような自己はいかなるものにも愛着をもてず→(22/n)
「自分はいかなる存在なのか」について内省することもできない。したがって,そのようなロールズの議論では善を選択することも、正義を構成することもできない、というのがサンデルの結論である。”
はい、何を言ってるかさっぱりですね。わたしもつい数年前まではそうでした。(23/n)
サンデルが何をそんなに躍起になって批判しているのか、わたしがその意味が肌で感じるようになったのは、昨今のキャンセルカルチャーを目の当たりにするようになってからです。彼らのリベラル批判はキャンセルカルチャーのリスクを警告したものだったのだと、腑に落ちるようになりました。(24/n)
ここは解説が必要になると思いますし、ようやっとわたしのツイートの本旨になります。先ほどの宇野論文の記述を再確認します。 「『無知のヴェール』をかけられた原初状態における人間とは、いわば歴史的・社会的な属性をはぎ取られた、抽象的な自己に過ぎない」という部分です。(25/n)
これはどういうことかというと、【相手に反差別的に考えることを求めるということは、相手の「歴史的・社会的属性をはぎ取って」、いったん丸裸な個人になることを要求する】ということなんです。
はい。これ、キャンセルカルチャーの論理なんですよね。(26/n)
相手の職業というのは、運も含めてその人物及び共同体の歴史的・社会的属性の結実に他ならないわけです。なので、その職業というものをキャンセルして(はぎ取って)、丸裸になった個人になって考えてみれば反差別的な物の見方もできるようになるだろう、と。(27/n)
差別的な人間が反差別的に物事を見るようになるためには、自分に内面化されている共同体との歴史的・関係的な結びつきを一旦はぎ取られることを要求されます。その過程の中で、共同体の中に位置づけられた人間は「剥奪された自己」に貶められ、→(28/n)
「愛着をもてない、自分がそうなりたくはない自己」になってしまう。サンデルはそれをリベラル本人が自分に対してそうなってしまうことを危惧したわけですが、まさかのまさか、サンデルの当時の予想を超えて→(29/n)
現実社会はリベラル的思考がそれを「他人に対してやってしまう」というステージまで到来してしまったのだと、個人的には総括しています。 実際、ロールズはサンデルらの批判を一部受け入れ、約20年後に「政治的リベラリズム」というこれまた大著を執筆します。修正点としては→(30/n)
「自己にかかる負荷(共同体における歴史や社会的な属性)をはぎ取って考えるのは、あんまりいい考え方じゃなかったね」ということです。
ロールズがもともと功利主義批判から出発したことを思い出してください。(31/n)
彼の問題意識としては、「功利主義には機能する場面もあるが、道徳的に重大な局面で致命的なミスリードを生んでしまうことがある(ヒロシマに対する原爆投下等)。だから考え方自体を見直そうぜ」ということでした。(32/n)
なので彼はサンデルらから「功利主義が危険だっていうのはわかるけど、あなたのいうようなリベラル的な考え方も理論的にリスクを抱えるんじゃね?」という批判を真摯に受け止め、自論を修正したものだと思われます。(33/n)
ロールズからすれば無知のヴェールはあくまで思考実験で、「自分がヴェールをかぶって一旦あらゆる属性から解放された状態になれば、自分が不利な立場にいる可能性もあるわけだから、損得勘定で考えてみてもある立場の人が特に不利になるルールには賛成しないんじゃね?」ということでしたが、(34/n)
サンデルらから「いやいや。まじでそう考えたら、やばいから。普通に考えて自分の属性を一旦はぎ取るって考え方自体がかなり危険でしょ」という突っ込みを受け、「ぐぬぬ。確かに」となった。まぁそんないきさつだったと理解しています。(35/n)
かといってリベラリズムの敗北とか退場ということでもないのだろうと思っています。ここまで功利主義、リベラリズム、共同体主義という三つの政治的哲学が出てきましたが、大事なこと(そして最も教訓的なこと)は、どの哲学にも「絶対最強」というものはないんだろうということです。(36/n)
功利主義、リベラリズム、共同体主義。この三つの異なる政治哲学は、むしろじゃんけんのような三すくみの関係なのではないでしょうか。(37/n)
マイノリティーを抑圧を正当化する功利主義はリベラリズムに批判され、
共同体の中に生きるリアルな“生”のキャンセルを求めるリベラリズムは共同体主義に批判され、
そして異なる共同体同士の争いを調停するための原理を持たない共同体主義は功利主義に批判される。
そんな関係。(38/n)
社会はより公正であるために「三権分立」の仕組みで世の中まわっていますが、政治哲学に関しても功利主義、リベラリズム、共同体主義の三権分立で社会がまわっていると考えるのが健康的なのかもしれません。(39/n)
それぞれ言うこと考えることもごもっともではありますが、「それぞれ批判し合って当然。絶対正義原理はない。むしろそれが社会として健康的」と考えることが社会で生きるうえでは現実的だし、何よりリアリズムということなのかもと最近はつとにそう思います。(40/n)
先ほどロールズ晩年の著、「政治的リアリズム」を紹介しましたが、主な主張はこんな感じです。この点、井上達夫の指摘が簡潔なので、そのまま引用させていただきます。(41/n)
「ロールズが言うには、リベラルな社会では、宗教的、哲学的な立場が多元的に分裂しているから、論争的な哲学的立場に依拠しないと受け入れられないようなそういう正義原理じゃダメだ、と。→(42/n)
じゃあ、何がその支えになるかというと、ロールズが言うのは「重合的合意(overlapping sonsensus)」。どの哲学的、宗教的な教説からも、理由は違うけど、結論だけ共有できる。「同床異夢」的に。そういうのを、「オーバーラッピング・コンセンサス」という。”(43/n)
理想的リベラリズムから出発したロールズが晩年は「政治的現実主義(リアリズム)」に逢着したのは、個人的には含蓄深いものがあると感じています。
ということでリベラルはなぜ嫌われるのかというと、「そもそも理論的にそういうものを含んでいるから」というのが今のわたしのアンサーです。(44/n)
ちなみにわたしの自認はリベラルでフェミニストです。長い長い連ツイでしたが、もし最後まで読んでいただいた方がいたとしたら、その方がいちばん寛容な精神をお持ちな方なんだろうと思います。お付き合いありがとうございました(45/45、了)。
https://anond.hatelabo.jp/20221118115610
草津町長への虚偽告訴に沈黙する日本共産党の責任
これにも絡むんだけど、「明日の自由を守る若手弁護士の会」という団体がある。
しんぶん赤旗によると、
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-09-24/2014092403_01_0.html
2013年1月に28人で発足した会は、いまや340人に成長。メンバーが女性誌に次つぎと登場したり、集団的自衛権や自民党改憲草案の問題点をコミカルなイラストで解説したリーフレットを計40万枚普及したりと、その勢いがとまらない。
とのことで、共産党のホープ、山添拓参議院議員も入っておられる、共産党系の弁護士団体だ。
https://www.yamazoetaku.com/profile
明日の自由を守る若手弁護士の会会員。
この団体のツイートを見ていこう
(ツイート削除済み)
https://i.imgur.com/FzATFUp.png
町長の言葉を鵜呑みにし激しいセカンドレイプを加え
この他にも何点か、本件に関するツイートが削除されたようだ(残念ながら追えず)。
見ての通り、この団体は虚偽告訴を行ったとされる元町議の立場にたって、町長・そしてその支援者を誹謗中傷している。
刑も確定していない状態で、しかも確たる証拠もなしに、人権を守るべき共産党系の弁護士団体が草津町長に対する誹謗中傷を行ったわけだが、これについて何かコメントはないのだろうか。
特にこの団体の会員である山添拓参議院議員にはぜひコメントを頂きたいところだが、残念ながは今のところ沈黙されているようだ。
まぁ、この弁護士団体によると「傍観は、黙認です」らしいので、きっと早期にコメントを出されるものと確信してるから心配してないけどね
https://twitter.com/asuno_jiyuu/status/1042266552383332352
明日の自由を守る若手弁護士の会/あすわか
@asuno_jiyuu
差別はあらゆる暴力の温床であり、戦争の温床です。暴力を許さず、平和を希求し、戦争に反対するなら、唾棄すべき差別・優生思想に対して「なにがなんでも許さない」毅然な態度と抗議を続けましょう。差別されヘイトされた当事者だけが叫んでも、差別はなくなりません。傍観は、黙認です。
たとえばポストセブンのこの記事。ここで黒岩町長は「時間湯という草津の伝統的な入浴方法を巡るトラブルである」と説明しているが、実はこの話は草津問題がネット上で膨れ上がるよりも前からずっと語られ続けていた話だった。
だがフェミ活動家や、それらの御用メディアは完全に黙殺。新井元町議側の根拠も何もないデマばかりを一方的に取り上げ、事情を知るからこその草津の人々の判断(新井の失職)を「草津全体の罪」としてヒステリックに騒ぎ続けた。
そして実際に草津で抗議デモを行い、「草津はセカンドレイプの町だ」と騒ぎ立てる集団も現れ、そいつらがフェミ議連だったり学者だったりと御大層な肩書を持っていた事もあって話が混乱。
ヤツらは草津ではすでにケリがついている話なのに、デマで煽って蒸し返し、海外にもご注進して圧力をかけ、結果的に草津への侮辱だけではなく、自分達が担ぎ上げていた新井元町議の退路をも断ってしまったのである。
このように、フェミ活動家どもは何年も前から、証拠もなく、根拠も薄く、まともなロジックが組めていないのに、二段飛ばしで国連など海外の権威にすがりつき、デマを吹き込み、外圧をかけてもらい、その結果を自分達の手柄にするという、よほどのクソ野郎にしか思い浮かばないであろうゲスな手法を常套手段として来た。
そのやり方で大外ししてしまった最悪の例が、今回の草津問題であると言っていいだろう。
Twitterなどを眺めていると、草津問題にクビを突っ込んで罵声を浴びせていたフェミアカウントらが、今になって私はやってないだの言ってないだのツベコベ言い始めているが、こういう無責任にその場の感情だけで強い言葉を吐いているだけの「蟲のようなヤツら」を駆除しない限り、フェミ・フェミニズムは信用を失い続け、いずれは滅び去るだろう。
結果としては公式発表前だから黙ってろと言われたって感じか。
既に以前にツイート削除して謝ってるし、私が訴えられる可能性は極めて低い(一回の曖昧な論評で訴訟をするのは困難だし、町長の声明を読んでもそういう話ではない)と思ってますが。
そうかなあ?
今回はたまたま「訴える」っていわれたから仕方なく謝ってるだけで、この人いつも同じことの繰り返しじゃん?
この後態度が改まるかどうか確かめてからじゃないと、"評価"は難しいかなあ。
私は訴えられるから謝ったのではなく、町長の声明を見て、私みたいな一回だけのコメントも集まると相当な量になり、その結果として町長に精神的負担をかけてしまったのだろうということを考えたから謝罪しました。訴えられるとは思ってません。
私が訴えられるのに怯えているから謝ったんだと思っている人たち、それって町長を気遣っているとかではなく、私が憎いということから出てきている希望ですよね。
「私は訴えられるから謝ったのではない。草津町長に気を使って謝ったのだ」とか言われても意味不明だし「だからどうした?」という感想しかないのだが。
「訴えられる」というところに反応した結果、自分でもよくわからないままレスしちゃった感あるな。
何で人文系がこんな体たらくになったのかという理由、今やほぼ追放されたに等しい身だが中の人だから分かるんよな。個人的には、大学院重点化政策以後、キャリア形成競争が激化し、学振や科研費の争奪戦なり業績至上主義なりアウトリーチ活動なりを盛んに行うようになったことにその理由があると思う。
人文系の場合、何かが明確に発見されたり発明されたりすることが少ないので、競争主義を導入した際の実態が本質的に見え難い。そこで見える成果を何とか導入しようとすると、一人社会起業や一人NPO活動のようになり、要は社会運動や政治運動に必然的に近づいてしまう。「社会正義」が持ち出される。
人文系が社会学から腐っていったのは必然だったと思う。社会学という専門の性質上、競争主義の中で見えやすい業績を出すと同時に社会に繋がろうとすると、ダイレクトに「社会正義」を掲げた社会運動や政治運動に接合するのは容易に予想が出来るだろう。
左翼の党派的支配の問題も勿論ある。しかし意外にも昭和以来の左翼支配は実の所、完全に牛耳られていた歴史学(特に日本史)を除くとそこまで強くなかった筈だ(社会科学の方が圧倒的に左翼支配が強かった)。人文系の左翼支配が高まるのは寧ろ冷戦崩壊後、つまり大学院重点化位からではないか。
皮肉な話だが、歴史学は冷戦下の左翼支配があったから、その後も党派に対する感度が高く、それを上手く相対化する人もチラホラ現れた(呉座さんなども正にそうでしょう)。業界の左翼支配が弱くそもそも党派に対する感度が低かった哲学や文学などは、新しい「理論」を摂取する中でほぼ自然とwoke化した。
人文系のwoke化、要は、あれだけ何かにつけてネオリベを批判している癖に自分達の生き方はネオリベ的なキャリア形成そのものであり、殆ど意識高い系リベラル社会起業(「ネオリベ左翼」)になったことに要因がある。それは、進歩的文化人やら党派やらの昭和以来の左翼勢力を結局継承したものだった。
調べたら分かるが、人文系で一時期から「若手」の独自研究会が沢山立ち上がっていて、今も大きな規模で運営されているものが沢山あるが、あれの裏には殆ど赤い党派が居たという話も聞いたことがある。冷戦後に寧ろ、人文系は左翼支配が高まっている一つの証左だ(逆に社会科学では後退している)。
それで、既存の進歩的文化人や左翼党派の文脈に新手の発想が加わって人文系の左翼支配がじわじわと高まるきっかけは何だったのか考えてみると、「応用ポストモダニズム」の諸々の「理論」だったことは疑いが無い。それが時局の歴史認識問題やアフガン・イラク戦争、更に構造改革や原発問題に接合した。
今ここに書いたことは、少なくとも冷戦崩壊後の人文系の書籍や論文の傾向性、採択されている学振や科研費のテーマの傾向性、学会や研究会の傾向性、時局に対する発言や社会運動との関わりなどを、大学院重点化や国立大学独法化などの政治改革と照らし合わせて見ていけば恐らく実証出来ると考える。
レスポンス早い
2022年11月20日
弁護団声明
Colabo及び仁藤夢乃さんに対するネット上の攻撃について
現在、若年被害女性を支える活動をしている一般社団法人Colabo及びその代表理事である仁藤夢乃さんに対するデマ拡散、誹謗中傷等インターネット上の攻撃が主にTwitter、YouTube、noteにおいて、激化しています。この攻撃は以前からありましたが昨年以降特に深刻になっています。
誹謗中傷の頻度と拡散数は膨大で、Colabo及び仁藤さんに対する名誉毀損その他法的に問題となりうるものも多数含まれており、現実の業務への支障等も深刻であることから、到底看過することはできません。弁護団は、近日中に誹謗中傷投稿・拡散に関わった者に対する法的措置を講じる予定です。
Colaboは民間団体の助成金や一般からの寄付金を財源として自主事業を行うのと同時に、東京都から若年被害女性等支援事業の委託を受け、委託事業としての業務も行っています。従って、Colabo全体としての会計報告・活動報告の中には、東京都からの委託事業に関するもののほか、自主事業も当然ながら含まれています(これは、Colaboホームページで公開されている活動報告でも公表されている情報です)。 現在ネット上で拡散されているデマ・誹謗中傷の中には、Colaboがこの東京都からの事業委託として公金を受領していることに関して、事実を歪曲あるいは捏造して「不正会計」と称するものが多数あります。その中には、例えば、東京都の委託事業に関する報告と、それ以外の事業も含むColabo全体としての活動報告とを、性質、範囲、報告作成時期等の違いを無視して単純に比較した上で「不一致がある、不正が疑われる」などと喧伝するようなものもあります。
また、ColaboのSNSや会計報告書から引用した写真と称してそれを根拠に「不正が疑われる」と喧伝する投稿には、例えば一時シェルターの写真を中長期シェルターの写真であるとして事実と異なる決めつけをしたり、保護女性全員が生活保護受給者であるとか不正な生活保護受給を行っているなど事実に反する断定をしているものなども多数あります。 Colaboの会計にはなんら「不正」であると非難されるようなものはありません。しかしこのようなデマの大量拡散によって、Colaboの活動を支援する方々にも心配と動揺が拡がってしまっている状況がありますので、現在、法的措置と別途に、「それはこのような理由でデマである」という説明を公表する用意をしています。デマひとつひとつがそれぞれ複数の歪曲事実の組み合わせという性質をとっていることが多いため、この作業にはかなりの時間を要していますが、近日中に公表致しますのでお待ち下さるようお願い致します。
東京都からの若年被害女性等支援事業の委託については、もともとColaboが自主事業として行っていたものについて、厚労省や東京都がその必要性を認識して2018年10月から東京都のモデル事業となり、2021年度から正式に委託事業となったという経緯があります。このようなことから、Colaboホームページ上の報告記載の「事業収益」には、東京都の委託事業と自主事業それぞれによる事業収益が同時に含まれています。これはなんら不正なものではありませんが、例えばこの経緯から、一見わかりづらいことがあるとはいえます。このようなことについても説明を用意しております。
また、現在、Colaboへの事業委託に関し、東京都に情報公開請求をしたり、監査請求を行ったりしている方がいます。これについてもColaboは都からの問い合わせ等に誠実に対応してまいります。
皆様におかれましては、弁護団からの説明をお待ち頂き、いたずらに誹謗中傷の拡散に加担するようなことは絶対しないよう、強く要望致します。また、本件についてのお問い合わせは代理人に下さいますようお願い致します。
2022年11月20日
Colabo・仁藤夢乃さん代理人弁護士一同
弁護士 角田 由紀子
弁護士 神原 元
弁護士 太田 啓子
弁護士 端野 真
弁護士 堀 新
弁護士 中川 卓
弁護士 永田 亮
(問合せ先:弁護士 神原元 武蔵小杉合同法律事務所・電話 044-431-3541)
おっ
草津の話で彼女達がまともに謝罪が出来ないのは謝ったら死ぬ病、とか謝罪したらより責められるから、とかじゃなくイデオロギー上「冤罪」とゆー存在自体を認めてないからだと思ってます。
コレを認めてしまう事は彼女らの「女は常に被害者」って絶対正義に反してしまうんですよ。
大分前にも言いましたが「女は常に被害者」ってフェミニズムの教義は神の存在に匹敵してるんですよ。 ここだけは絶対に崩せない。
宗教家に神は存在するのか?と聞いていません。とは答えないのと同じ。
これなんよな
市民からの質問をガン無視し続ける松戸市議会議員の増田かおる氏、色々やってんだな。
女に責任を持って決めてもらう→直前になり迷いだす→
①2人で話し合い決めることに→2人で責任を取る形で決定→問題発生→意見を出した男の責任になる
②最後まで女に責任を持って決めてもらう→問題発生→女に丸投げした男の責任になる
男が決める→問題発生→男の責任になる
一番下で良くない?
Twitter終了後の移動先候補一覧
・Mastodon→なんかつまらない
・Instagram→住み分けたい
・discord→うーん、場所が違う気がする
・mixi→過疎ってる
・TikTok→交流ではない感じ
・Facebook→無理、そもそもPW忘れた
・note→これは世界が違う
追加
・GREE→久しぶりに聞いた
・5ちゃんねる→2ちゃんねるが5ちゃんねるに変わったらしい(知らなかった)
・Tumblr→これはブログだから交流感なし
基本的に新しいサービスは面白そうだから基本やってみるのですが、長続きしているのはTwitterだけだ。
うーん、なくなって欲しくない。
サブスクで月300円とかならなんとか。
今すぐどうこうって感じではないと思うけれども
人々は交流がしたいのか。
草津町長の公式声明が出された後にTwitter上で北村紗衣さんが表明した、一連のツイートについて、読解とそれに基づく批評を試みたいと思う。
まず一連のツイートから、北村さんの言いたいことの骨子をまとめると、概ね次のようになる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(1) 私(北村紗衣さん)は、わずか1回しか、草津町長及び町民への誹謗中傷は行なっていない。
(2) わずか1回なので、草津町長や町民から告訴される可能性は、極めて低い。
(3) 私(北村紗衣さん)が告訴される可能性や処罰される可能性は、極めて低い。それにも関わらず、私(北村紗衣さん)は自発的に謝罪した。これは、私(北村紗衣さん)の良心の顕れである。
(4) つまり、私(北村紗衣さん)は、良心的な人間である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一読して最初に感じるのは、北村紗衣さんは、読者に向けて「誹謗中傷の回数の少なさ」と「告訴される可能性の低さ」を強調したいのだろうという印象である。
まず(1)についてである。法廷において弁護士側・被告人側が行なう法廷戦術として展開する弁論だったならば、然程おかしくはない。しかし、法廷外で被害者に向けて謝罪する場面での言葉として見たら、どうだろうか。加害者にほかならない北村紗衣さん自身が「犯罪と見做されかねない行為の回数の少なさ」を強調する姿を見て、被害者である草津町長や町民は「北村さんは真摯な人だなあ」と思ってくれるのだろうか。むしろ、逆に「一見すると、この人は謝罪しているように見せているが、実際は自分がしたことを矮小化しようとするのに懸命だなあ」と解釈しないのだろうか。
時々、他人に損害を与えた側の人間が、損害を被った側の人間に対して「たかが✕✕ぐらいで」などと言って、不必要な怒りを買うという場面に出くわすことがある。それと同じ誤ちを、現在の北村紗衣さんも犯してはいないだろうか。
次に(2)であるが、これも(1)と同様である。草津町長や町民は、むしろ「なるほど、告訴されないラインを見極めてから、誹謗中傷を行なっていたんだな。狡猾だな」と解釈しないのだろうか。
ハッキリ言えば、今回の北村紗衣さんが草津町長及び町民に対して行なったことは、関東大震災の時に「在日朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」という流言蜚語に乗って、在日朝鮮人を私刑に掛けようとした暴徒と同レベルである。私刑が初期段階でストップしたから、草津町長が無実の罪で刑務所に送られずに済んだという、本当に不幸中の幸いだったというだけのことである。被害者たちからすれば堪った話ではない。
では、その暴徒が「リンチに掛けようとしたのは、たったの一回だけ」「未遂で済んで実害は無かったのだから、重い罪にはならない」「自分は暴徒の群れの中にいた一人に過ぎない」と言ったとしたら、あなたはそれを見て「この人は誠実な人、良心的な人だなあ」と思うだろうか。そういうことである。
続いて(3)である。北村紗衣さんは「私は既に謝罪した」と主張するのであるが、北村さんの一連のツイートを追ってみたのだが、草津町長及び町民に宛てた『謝罪文』らしきものは見当たらない。小説や映画のDVDで前の頁やチャプターに遡って、伏線を見落としてはいないかと確認するように、北村紗衣さんの一連のツイートを確認したのだが見当たらない。これはイーロン・マスクに掻き回されたことによる、Twitterの不具合なのだろうか。
或いは、北村紗衣さんは「謝罪したいと思います」という言葉が、謝罪に該当するのだと主張するかもしれない。しかし「ご飯を食べたいと思います」と言うことと、実際にご飯を食べることは、やはり別の話であると私は思うのである。私がどう思おうが関係は無いと、北村紗衣さんは言うかもしれない。
では例えば、北村紗衣さんを呉座勇一と比較したら、どうだろうか。
呉座勇一が北村紗衣さんに宛てて記し、pdf文書として公に発表した謝罪文のような、誰に対して、何について謝罪するのか、再発防止のためにどのような取り組みをするのか等を明記したものは、現在のところ見当たらない。これは私が見落としただけなのであろうか。本当に北村紗衣さんは、草津町長及び町民に向けた明確な謝罪文を発表したのだろうか。これは、事実についての確認である。
呉座勇一という謝罪と処罰の実例が存在する以上、北村紗衣さんの謝罪が比較対象として俎上に載せられるのは、至極当然であると言える。
もしも、既に北村紗衣さんが、呉座勇一と同レベルの、草津町長及び町民に対する謝罪声明文を出しているのであれば、それを固定ツイートとして最上段に持ってきて、必ず閲覧者の目に留まるようにした方が無難であろう。謝罪する羽目になったことを、北村紗衣さんが大衆の記憶に残したくない、連続ツイートの波によって押し流してしまいたいというのであれば話は別であるが、真逆そんなことは無いだろう。
さらに言えば、北村紗衣さんは「告訴を受ける可能性、処罰を受ける可能性が低いのにも関わらず、自発的に謝罪したのだから、私が良心的な人間であることを他者に示すことが出来た」と考えているようであるが、果たして草津町長及び町民が、北村さんの望み通りの解釈や反応を示してくれるだろうか。
北村紗衣さんは「私が告訴や処罰の対象となる可能性は、極めて低い」とアピールすることで、草津町長及び町民に「なるほど。処罰される心配や責任を取る心配が無いと見越したからこそ、安心して謝罪のポーズを取ったのか」と解釈されるという可能性には、思い至らなかったのだろうか。
最後に(4)である。北村紗衣さんが「私は良心的な人間です」と草津町長及び町民に対してアピールすることは、これは北村さんの自由である。しかし、そのアピールの内容に説得力があるか否か、それを草津町長及び町民に信じさせることが出来るか否かは、また別の問題である。他者が北村紗衣さんの言葉をどのように解釈するか、彼らの内心を強制することは出来ない。
既に述べたとおり(1)〜(3)の主張は、北村紗衣さんが草津町長及び町民に大きな誤解をされかねない要素を多分に含んでいる。北村紗衣さんのことを誤解したままで「私(北村紗衣さん)は良心的な人間です」と言われても、草津町長及び町民の目から見れば、余り説得力を持たないのではないだろうか。
文学研究の専門家に対して、このようなことを言うのは釈迦に説法であり、忸怩たる思いがあるのだが、(1)〜(3)のように読者が芳しくない印象を抱くであろう文章を公表するというのは、それが本来の意図した効果ではない限りは、北村紗衣さんの学術的能力にも疑問符が付けられることになりかねないのではないだろうか。北村紗衣さんのように、誠実で、良心的で、学術的能力に恵まれた人間が、不必要に誤解されること、不当な低評価を受けることは、学術界のみならず社会にとっても大きな損失である。
北村紗衣さんは、ご自身の意図や目的に沿うように文章を十分に推敲して、練り直してから発表した方が良いのではないだろうか。
文学作品や映画作品に明るく、それらについての読解及び批評の専門家であるのだから、北村紗衣さんは「もしも、彼女(北村紗衣さん自身)がフィクション作品の登場人物だったとしたら」と、少しだけ考えてみてもらいたい。北村紗衣さんが批評家や文芸編集者の立場だったとして、作家が「真摯に反省して謝罪している、良心的な人間の姿を描いた」として、上の(1)〜(4)のような描写の為された原稿を提出してきたら「作家が意図した効果は出ていない」と評するのではないだろうか。
もしもこれがフィクション作品であり、北村紗衣さんが登場人物であるのならば、一人の読者としての私は(1)〜(4)の描写に基づいて「表面的には反省や謝罪の言葉を述べているものの、罪に対する罰や責任からは逃れようとしている人物を描いている。それによって作者は、人間のエゴイズムや弱さや愚かさを描こうとしているのであろう」という感想を抱くと思う。それは果たして、作者である北村紗衣さんが意図した効果を生んでいると言えるのだろうか。
このような感想を抱くのは「告訴やそれに伴う法的な処罰の対象となる可能性が低い」ことを、結局のところ、北村紗衣さんは喜んでいるのか、それとも申し訳なく思っているのか、あるいは他の思いを抱いているのか、その点についての描写が不明確だからである。
例えば「司法機関に『私を処罰して下さい』と申請したのだが『法的な要件を満たさないので、処罰はできない』と回答を受けた。罪が重いのに罰を受けないままでは、あまりにも心苦しい。だから、せめて草津町長及び町民の前で謝罪させてもらう機会を与えて欲しい」とか「私が懇意にしているマスメディア関係者に働きかけて、草津町に関する訂正報道や謝罪文が掲載されるように協力してもらう」とか「呉座勇一と同様に職を去る」とか、そういった具体的な描写が無さすぎる。これでは「この登場人物は、本当は良心的な人間であり、真摯に反省しているのだ」と、読者は思わないのではないか。
北村紗衣さんのしたことに見合う罰がどのようなものかは、私には分からないし、私には北村さんを罰する権限も資格も無い。だから私は、北村紗衣さんを罰するつもりは毛頭無い。しかし人間は、己の行動を罪深いと本心から思っている時には、他人からの処罰を受けるか否かには関わりなく、自らで自らを罰したり、償いのための行動を自らに課したりすることが出来る生き物である。だからこそ、優れた文学その他の芸術は、自らの罪と真摯に向き合う人間たちを描いてきたし、北村紗衣さんもそのような作品を愛してきたのではないか。
そのような文学その他の芸術に登場する真摯な人たちと比べて、北村紗衣さんは自分自身のことを、どう思うのか。
或いは、私の解読や批評など取り合う必要も価値も無いと、北村紗衣さんは判断するかもしれない。実際、Twitter上で北村紗衣さんは、草津町長及び町民に対する誹謗中傷について北村さんのことを批判する人間に対して「あなたに自分のことをどう思われようが構わない」という主旨の発言を、今日現在でも繰り返している。しかし、無関係な人間は口出しをするなと言うのであれば、そもそも草津町に縁もゆかりも無い北村紗衣さんが介入したことを、どのように説明し、正当化するつもりなのか。英米文学に明るい北村紗衣さんならば、ジョン・ダンの「なんびとも一島嶼にてはあらず」という言葉を知っているはずである。あなたや我々は、一島嶼なのか、大陸の一部なのか。
そもそも、北村紗衣さんが「あなたは草津町に関係ない」と言った相手は、本当に無関係なのか。Twitterで「あなたにどう思われようが関係ない」と北村紗衣さんが言った相手が、もしかしたら、実は草津町民であった。そのような可能性を、北村紗衣さんは全く考えなかったのだろうか。この文章を書いているのも、草津町民なのではないか。そんな可能性は無いのか。
北村紗衣さんが本当に反省しているのか否か、嘘偽りのない北村紗衣さんの実際の姿を、自分の目で見極めるために、敢えて彼らは、草津町民であることを明かさなかっただけかもしれない。そのような想像力を働かせることこそが、文学によって培われる能力なのではないだろうか。北村紗衣さんは、文学研究を通じて、そのような能力を培おうとはしなかったのだろうか。
もしも、北村紗衣さんが愛した文学作品や芸術作品が、北村さんの中にそのような想像力を少しも育まなかったのだとしたら、これほど悲しいことはあるまい。そのような悲しいことが無いことを、私は願っている。
「家事育児は妻側にリード、マネジメントして」
↓
「なぜ女性に押し付ける」
↓
「男性は稼得を多く請け負うから」
↓
「共働きの時代なのだから家事育児も同程度に負担すべき」
↓
「時間で見ると女性の方が圧倒的に賃労働してない」
↓
「女性は稼げない社会」
↓
「仮に稼いでも女性は男養わない」
個人の幸福を追求することを前提とすると、結婚・出産・育児は明らかに理に適わない不合理な営為であることは事実。
したがって、繁殖や幼体の育成は人工子宮や育児アンドロイドが行うようにしていく事が求められている。
twitterのマスクによる変化は、政治的な立場で「Twitter終了」と嘆く人と変化を歓迎する人に分かれているが、アメリカのtech系勤務の先輩がFBに書いていた
・人員過剰は明白なので整理は自然
・速やかに解雇通知を出せるということは解雇対象選定は事前に時間をかけてなされている
がわりと妥当そう。
要するに「典型的な買収のディール」で、過剰人員整理とコストカット→一時的な混乱と衝突→速やかな債務解消と利益回収、というフローで、その流れにきれいに入っているのですんなり行くだろう、という見立てだった(勿論解雇されたり以前の方がよかったりの人は猛反発・失敗の予想をするわけだが)
https://anond.hatelabo.jp/20221117054344
この方に限らず、草津への誹謗中傷は本当に酷かったわけだけどアカデミアやマスコミの方々は「オープンレター~地方差別的な文化を脱するために~」とか出したりしないのかな?
俺は私刑が嫌いだから出そうとは思わないけど、あの界隈の人がこれまでやってきたことを考えるならね。
「オープンレター~女性差別的な文化を脱するために~」から抜粋してみよう。
中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけます。
今回、正に中傷や差別的発言をなされたオープンレター界隈の方々が目立つわけだけど、この方々は相互に「距離を取」っていただかないと言行不一致だよね
現代人が、「傷ついてもみんな立ち直れる社会」じゃなくて「絶対に誰も傷つかない社会」を目指してるのは、ものすごい失敗だと思うわ。
人間はそもそも傷つきたくないので油断するとゼロリスクを期待してしまう生き物。
https://anond.hatelabo.jp/20221117054344
この件で北村氏が本質的には謝っていないという話はまあそうだと思うのよ。北村氏に限らず、本件で謝らない(謝れない)フェミニストがいるのもそう。
なぜかというと、「①性被害の告発は基本的に証拠がない状態でなされる」うえ、「②告発を疑うことは、告発が本当だった場合にセカンドレイプにつながる」。
だから、「③性被害の告発は疑うことができない/疑うべきではない」し、「④嘘の性被害による偽の告発を初手で弾けない」んだよ。
もっと言えば、性被害は密室で行われる事が多く、証拠が少なくなりがちであるから告発の論拠が被害者の証言によるところが大きく、そのことが被害者にとって大きな負担であるから歴史的に泣き寝入りさせられがち。その為、そのような状況を改善するために、「⑤性被害の告発がしやすい状況が作られるべき」。
だから、④と⑤が組み合わさって「⑥性被害の告発が嘘である可能性が高まった場合でも、性被害の告発がしにくくなるので「謝罪」ができない」。
今起きてるのはこういうことだと解釈している。
そういう話をすると、「だから性被害の告発に乗っかるフェミニストは駄目なんだ」という話になるんだけれど、個人的にはしゃあないのかなと思ってる。たとえば、山口敬之氏や園子温氏みたいな「告発された側の対応がひどく、外から見てこいつは黒」とそこそこの強度で告発を信用できる例なんかは、やっぱり告発の味方をすべきだろうし。それができるようになったのはフェミニズムのいいところだとは思ってるので。
ただ、山口氏の「運転手やホテルスタッフの証言で警察が逮捕状発行してる」とか、園氏の「同様の告発が複数人から出ている」みたいなのは、外からみても「こらあかんやろ」って判断できる案件だったわけじゃん。それくらいなら告発に乗っかっても違和感ないのよ。でも全部が全部そうじゃないわけで、今回みたいな一件があると、フェミニストじゃない人間は基本乗っかるべきでないと思っちゃうんだよ。なぜなら、そもそも性被害の告発って「告発を信用したら、えん罪に荷担するリスクを追う」し、「告発を疑ったら、セカンドレイプに荷担するリスクを追う」んだよ。どっちを支持してもえん罪かセカンドレイプのリスク追うのって結構厳しいぜ? フェミニストの人からしたら日和見主義って言われるんだろうけど、こんなん静観一択でしょ。
フェミニストは被害者のエンパワーメントの為にえん罪のリスクを追う選択してると解釈してるが、やっぱり草津町の一件はウカツだったと思うよ。もうちょいえん罪リスクについて敏感になろうよ。
元の話題に戻るが、だから北村氏が謝罪しないのは別に一貫してるのよ。ここで謝罪しているのは「フィクションに引きつけて現実の出来事をフレーミングし批判に安直に乗っかったうかつさ」であって、「性被害の告発の味方をしたこと」は謝罪できないってことなのだと思うから。いや流石に好意的に解釈しすぎかもしれないが、自分は誰に対しても可能な限り善意を読み取っておきたい方なので。
なお、本増田は現段階においても結局ことの真偽は判断がつかないので、判断保留です。正直「草津町の性被害は嘘だった」という前提で話を進めるのもかなり危ない。司法に任せとけばいいでしょ。
https://twitter.com/Cristoforou/status/1592854601103179779
草津をイプセンの『民衆の敵』にたとえた件について、既に一度お詫びしてツイートを削除しているのですが、黒岩信忠町長が裁判を起こすということで、あらためてお詫びしたいと思います。軽々しく連想で現実の出来事をフィクションにたとえるべきではありませんでした。
武蔵大学の准教授、北村紗衣先生がツイートで謝罪をされています。ただ、該当ツイートは削除されており、何を謝罪したのか分かりにくくなっているので見ていこうと思います。
■該当ツイート
該当ツイートはこれらしいです。
https://pbs.twimg.com/media/FhmScNbVIAAAFTB.jpg
草津、イプセンの『民衆の敵』じゃん(地元の温泉に都合の悪い事実を公表しようとした科学者が、貴の町長の画策で「民衆の敵」認定される)。
草津町長が強姦したというのは元町議による虚言だった(可能性が極めて高い)にも関わらず、草津の方を悪者にして『民衆の敵』と【元町議がしたてあげられた、と】言っておられます。確かにこれには謝罪が必要だと思います。
■何に謝罪したのか
では、何に謝罪したのか改めて見ていきます。
あらためてお詫びしたいと思います。軽々しく連想で現実の出来事をフィクションにたとえるべきではありませんでした
そう、『フィクションに例え』たことを謝罪しただけで、嘘に基づいて草津を悪と断罪して誹謗中傷を加えたことについては何も謝罪してはいらっしゃらないようです。
■前回の謝罪
では、『既に一度お詫びして』とおっしゃっているので、そちらを見ていきましょう。
https://twitter.com/Cristoforou/status/1485542575461208064
あの後いろいろ考えて、実際の出来事を何でもフィクションに重ねて考えてしまう(「ああやって演出したら面白いのでは!?」)のは批評家はやりがちですけど良くないなと反省しました。ただし、あなたがこのタイミングでその話を持ち出してくるのは単純な嫌がらせだと思いますけど。
https://twitter.com/Cristoforou/status/1485543571851603968
ではおわびして該当ツイートを削除することにしますが、一方であなたは最低だと思います。
はい、やはりここでも『出来事を何でもフィクションに重ねて考えてしまう(「ああやって演出したら面白いのでは!?」)のは批評家はやりがちですけど良くないなと反省』し、謝罪したのであって、草津に対して誹謗中傷を加えたことへの謝罪はなされていないようです。
少なくともこれをもって、草津町や草津町長へ真摯に謝罪したとは感じられません。
■ツイートによる謝罪は制裁として適切か
強姦(強制性交等)は刑法において5年以上の懲役とされている、かなりの重罪です。
町長をこの犯人にでっちあげようとした元町議がリコールされたことについて、北村先生は『民衆の敵』と評しているわけです。
それに対する謝罪として、相手に伝わるかどうかも分からない(おそらく伝わらない)ツイートによる謝罪は適切な行為なのでしょうか。
例えば、北村先生に誹謗中傷を加えていた呉座先生は、以下の2点を行い、また社会的制裁を受けています。
○北村先生に対する直接の謝罪・和解
○失職(テレビドラマの時代考証のポストの降板、研究職の更新停止)
北村先生も真摯に謝罪なされるのであれば、それ相応のやり方があるのではないかな、と愚考する次第であります。
※11/17 9:30
【元町議がしたてあげられた、と】
を追記しました。
ご指摘ありがとうございます。
※11/17 11:00
なんと北村先生御自身に取り上げていただきました、ありがとうございます。
https://twitter.com/Cristoforou/status/1593040488617357312
匿名ダイアリーで私が草津町民を民衆の敵だと言ったというようなことを拡散していたものがあったのですが archive.ph/Qsv8A 、まずいと思ったのか直されていました。
私の無教養を御指摘、大変恐れ入ります。
また、私は、北村先生が「草津町民を民衆の敵だと言った」とは一言も書いていませんが、御指摘のように誤解を与えかねない表現だったことについて、大変申し訳ありません、謝罪いたします。
この修正内容で誤りはないでしょうか?
魚拓について、編集履歴は残しますので、御安心ください。
昔地方公務員として勤務していた体験談と、当時聞いた話を書いておこうと思う。
あくまで一般論であり、今話題の、仁藤さん率いるColaboの疑惑とは無関係だ。
■幹部職員と共産党の関係
多くの自治体において、一定の役職(どこの自治体もだいたい課長級くらいからが多いと思う)になると赤旗を購読する者が多い。
多いと言うか一定の部署だとほぼ全幹部が購読していたりする。
何故俺が知っているのかって?
毎月毎月、赤旗の担当者が来庁して各部署を周り、集金していくからだ。もちろん一般職員は購読していないので幹部の机を周るわけだから目立つ。
何故か。
別に幹部たちは赤旗を読みたいわけではない。部署ごとに新聞(赤旗も)をとっているので、読みたければそれを読めば良いだけだ。
そうではなく、共産党の覚えをよくしておかない業務上困るから、表面上仲良くする、そのために赤旗を購読しているというわけだ。
■何故共産党と仲良くしなければ業務上困るのか
単純に議会で嫌がらせされるからだ。
嫌がらせと言っても、別に非合法や不当なことは必要ない。
単に議会の質問を特定の課長の所管業務に集中すればいいだけだ。
どの課だって懸案事項は膨大にあるし、それを議員の正当な権限としてしらみつぶしに質問していけば、簡単にその課の業務を停滞させ、課長を心身ともに潰すことができる。
だから共産党と仲良くする必要があるし、そのために赤旗を購読するというわけだ(購読しなかった課長が潰されてきたのを直に見てきたわけだからね)。
また、議会の円滑な運営はこれから出世を狙っていく課長にとっては絶対に必要なことだ。そういう点からも共産党と仲良くしなければやっていけない。
■自治体は共産党の言いなりなのか
これは違う。
そもそも共産党が与党の自治体なんてほぼない。
共産党もそれを分かっているので、通常は違法不当を無理矢理押し通すことはしてこない。
するのは合法だけど時間がかかることをショートカットしたり、合法非合法ギリギリのところを攻めてくるだけだ。
(生活保護とか典型だよね。そういえば生活保護のケースワーカーをしてた頃、家庭訪問したら赤旗か聖教新聞の購読率が異様に高くて驚いた記憶がある。)
ただまぁ、党が狙いを定めた事業の仕様書なり入札公告なりを特定の団体向けに有利にしたり、監査をゆるゆるにしたりなんかはあるかもしれないね。誰しも我が身が可愛いからね
■他の党はどうなのか
他の党も陳情はあるけど、正面からの陳情が多い。また有力な党はそもそも予算要求の段階で勝ち取ろうとすることがほとんどだ。
その政党の機関誌を買わせようとするのは俺の知る限り共産党(赤旗)だけだ。
(追記)
ブコメで生活保護について突っ込んでる人が多いね。水際作戦とか言って。
ぜんぜん読めてないよね
するのは合法だけど時間がかかることをショートカットしたり、
これ読んだ?
当然申請受付担当の生活保護担当者は別件の申請などの仕事を抱えてるわけだよね。そして手続きには相応の時間がかかるわけだけど、議員が窓口に来て圧力を書けることによって優先順位が上がるわけだよね。
もちろん、それを良いことのようにとらえる人もいるかもしれないけどね
colaboの提出書類は、colaboによって作成された集計結果のみとなっている。領収書等の第三者が作成した資料も皆無であり、colaboの集計が水増しや架空でないことが一切確認できない。通産省の補助事業検査の基準を用いた場合、完全にアウトである。
2ヶ月間の6万の駐車場代について東京都の担当は「(colaboに)確認しないとわからない」と暇空氏に回答しているが、colaboの提出資料では具体に何に支出したのか不明なことを自ら証明している。
colabo事業委託は、支出に見合った成果品のない経費精算的業務である。経費で支払いを行うのであれば、補助金と同等以上の経費に関する証拠の提出を求める必要があった。不正疑惑は、委託契約について地方自治法で定める適切な検査ができるように経費の信憑性を確保する措置を一切講じなかった東京都にそもそもの原因があると考える。
まあ、オープンレターズを見てわかるように、このくらいの責任しか負えない人間の言論を世の中は真に受けすぎというのありますよ。それは受け取る側が悪い。
そういや2014年製のタイヤの写真っていつ撮影されたものなんだろ。
何者にもなれず、そのまま埋没していく人々の最後の足掻きみたいな感じなのか。
これは普通に読めば「食堂にブルカラーがいると萎えちゃうから私が気持ちよく働く為に彼等を視界から排除して欲しい」という純度100%のヘイトスピーチを、「働く気を奪われた」という被害者ポジションで語れるの本当に凄い。差別主義者の私の差別感情が配慮されないのは差別…という新時代の人権感覚だ
自動車会社いいなって思ってるけど、学生の時某自動車会社に実験にいったら
無機質な建物の中でつなぎを着た男性集団(外国人もいる)が気だるそうに食堂でトレイをもって歩いてる姿がすごい…プリズンブレイクみたい…と思った。機械科に女子が増えても、こういうの見てテンション下がる子は多い印象…
TwitterやFacebookのリストラ劇を見ていて、ネットバブルの頃にそっくりだなと感じた。
必要なのはシステムを作って回して直すエンジニアと、営業や人事、宣伝などのコストセンターの人間は少ししかいらないのに、いつの間にかエンジニア以外の人が増え、不要な部署が拡大し、会社の金の横領、めちゃくちゃな経費の使い方などが横行して、結局利益なんか出ず破綻した会社だらけだった。
極端な話だけど、例えば草津の町長が女性議員にレイプしたとして訴えられてた件、それを否定する検証等の情報発信がしっかりなされていた中で、肯定する運動をしていた人たち、ハフポスはじめとした活動系メディアでの広報なんかがTwitterJPの捜査(引用者注:操作)で恣意的に推し出されてたことがあったとしたら。
草津町長や草津町に対しての名誉毀損や、草津温泉への風評被害の問題で、TwitterJPにも責任が生じないもんだろか?というのはあるし。。。こういうことが他の案件でもあったってことだよね?というところで。。。。
Twitter界隈では、「そら、コイツを叩けー!」と号令するようなツィートをしてフォロワーを煽動する行為を「犬笛を吹く」なんて表現しますが、実は犬笛を吹いていたのはTwitter社そのものだったのではないかという恐怖。これはサスペンスドラマですよ。最後は海沿いの崖に追い詰めなきゃ(使命感)
「子供に人生奪われる」って、傲慢さと幼稚さを極限まで煮詰めたような言い方。
育児にはそういう側面があるのは事実ではある。
まして核家族ではリソースが慢性的に足りないのだろう。
やはり、人工子宮と集団育児が合理的選択なのだ。
https://twitter.com/search?q=%23colabo%E3%81%AB%E9%80%A3%E5%B8%AF%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99
申し訳ないけれどやってることが安倍元首相の信者と同じレベルに見えてしまう。
安倍信者:①安倍批判側の問題点の指摘にはまともに向き合わず ②安倍の功績部分だけを強調し ③批判する奴は悪魔化して無視する。
Colaboに連帯しますタグ参加者:①Colabo批判側の問題点の指摘にはまともに向き合わず ②Colaboの功績部分だけを強調し ③Colabo批判する奴は悪魔化して無視する。
こんなずさんな擁護が通用するのってネットリテラシーがない人たちだけだってのが君たちの主張じゃなかったのか。
「あなたたち安倍政権を批判しまくってたくせに、自分たちが批判にさらされたら安倍信者と同じことやるのか」と思っちゃったよ…。
■Colaboに連帯しますというタグで発言している人は、本当は仁藤さんのことを信じていないのでは?
どうして仁藤さん自身は黙ってるのに、仁藤さんの周りの人たちは批判されたときに「批判されても私たちは何も間違ったことは行ってないんだから立ち向かうべきだ」という姿勢が取れないんだろう。
それに「間違ったことが部分的にあってもそこは受け止めて正せばよし信頼されるだろう」ってなんで思えないんだろう。
どうして「批判すること自体許せない」になるんだろう。
規模は全然違うにせよ、TwitterとかMetaだって社会的に間違ってるわけじゃないけど急速に拡大しすぎて組織がおかしくなったからリストラするって最近発表してるじゃん。
Colaboだって全体として正しいことしてても間違うことだってあり得るじゃん。
むしろ走りながら一生懸命活動してるんだからいろいろ不備があったりしても全然おかしくないじゃん。
なんでそういう時に間違いがある可能性すら認めないんだろう。
そんな態度とられたら、「間違いがあっても一切認めない。正せないのではないか」って思っちゃうじゃん。
■安倍元首相応援団と「Colaboに連帯します」活動やってる人の違いは政権側かそうでないかの違いしかない。人としての振る舞いはどっちもダメ
私が信じてる人が同じ立場になったら私は絶対に菱山さんみたいな態度はとりません。
「監査が入るみたいなので見守ります。問題点がないと信じていますし、仮に問題点があっても彼女ならそれを正せると信じていますし、必要があれば手助けします」とか言うんじゃないか。
どうしてこれではいけないのか。
この人たちは、正しさとかよりもメンツとかそういうのを大事にしてる気がします。
「社会的正義を実践するものはわずかな誤りも許されない」というのは全くもって現実的ではない。
■昔から本当に疑問なんだけど、なんで左派の担ぐ神輿ってこんなのばっかりなんだ。
「行動すること」自体は尊いのは確かなので、あとはトライアンドエラーが大事だと思う。
ここで一度も間違ってはいけないとか、間違いを指摘されただけで仲間内からすぐ袋叩きにあうみたいな土壌なら、まともな人が育つわけないじゃん。
左翼陣営にとって一番大事なのが「絶対に間違いを認めないこと」になってる現状本当にやばいって早く気づけ。
発端の暇な空白さんは「温泉むすめ」を燃やそうとしたからという行動で行動されてるみたいですが、私はちょっと違ってて。
とにかくこの左派の方々の「自分たちは敵対勢力をぼろっかすに言うくせに、自分たちの落ち度は指摘すら許せない」という態度が嫌すぎます。
たとえ行動が正しかろうが、じぶんがやってることに一切の批判を許さないという態度の人なら個人レベルで活動をするにとどめるべきです。
そういう意味で仁藤さんも菱山さんも全く支持できません。
石川さんは事実上一線から退いた後、結構聡明な発言が増えてきました。
おそらく、左翼の運動そのものがリーダーに「絶対に謝るな」だとか「絶対に誤りを認めるな」とプレッシャーをかける構造になってるのじゃないですか。
大丈夫じゃない人に「あなたは大丈夫です」っていうビジネスと、大丈夫な人に「あなたは大丈夫じゃない」っていうビジネスは儲かると古今東西の歴史が証明している。
↓の記事が何故かTwitterからはスパム扱い&危険なサイト扱いされていたという「答え合わせ」的な事件について
他人のツイートをスクショしてツイートした事案について、引用リツイートではなくスクショによることがツイッターの利用規約に違反する事情もうかがえないとして、スクショに含まれるプロフィール画像の利用は著作権法上適法な引用にあたるとした知財高裁令和4年11月2日判決
引用リツイートの場合、元のツイートが変更されたり削除されると批評の妥当性を検討することができなくなるおそれがあるところ、スクショを添付することでこのような場合を回避することができる、とも判断しています。
「画像をキャプチャしてシェアするという手法が、情報を共有する際に一般に行われている手法であると認められることに照らすと…プロフィール画像の利用は、公正な慣行に合致するものと認めるのが相当である。」
→この判断からすると、スクショ投稿はツイッター規約に反し、公正な慣行に合致するものと認めることはできないとした東京地裁令和3年12月10日判決は変更されたということになりましょうか。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/826/090826_hanrei.pdf
なお本事案ではプロフィール画像を含むスクショの投稿が適法な引用と判断されましたが、当然ながらスクショに添えて何書いてもいいわけではないです。現に本判決でも、スクショ投稿に添えた文章については名誉棄損による権利侵害の明白性が認められ、発信者情報開示請求は認容されています。
スクショで引用はとりあえずセーフ扱いになったようで良かった。
流石に最高裁まではいかないだろう。
テコ入れしてこの程度なのか? という感の数値である。
そもそもハフポスの記事自体があまり好まれていなかったにも関わらず、運営側がプッシュしていたという事なら他のメディアからすればどういう事だと言いたくなるのは自然な流れだろうか。
メディアを牛耳って自分に都合のいい情報しか流さず、それを信じたお仲間が選挙に落ちるリベラルって面白過ぎだろ。
立憲民主党、ジェンダーを政策論点に掲げて選挙戦 → しかし、有権者の重要な観点は安全保障と経済 → 当然的外れなことを言っている立憲民主党、壊滅的な敗北へ...
という流れは見ている側としてはめちゃくちゃ面白かったけど、これは既に彼らの中で現実や現実に則した認識が共有されていない事を示している。
言ってしまえば太平洋戦争で負けが込んでる時期の日本軍やウクライナ侵攻におけるプーチンみたいな状況にあるということである。
そんな激ヤバ政党に投票できるか? と言われれば正常な判断ができる人間ならNOと言うだろう。
「ネット世論は内閣情報調査室のネトウヨ安バイトが薄暗い部屋で情報操作しているんだッッッ!!!!!!」とか思っていたら、実際はTwitter社員のキラキラ高給リベラルが報道各社とグルになってダマでトレンド操作していたのが明るみになったでござる、というの本当にイイ話だと思う
その手の話を真に受けちゃう純朴な人達が「善意」と「義憤」でやってたんやろなぁという気はする。
いくら過去の戦争を反省しようが、今現在テロリストを称賛してたら全く意味を成さないと思うんですが…。
行政監査はガサする権限ないし、象徴的な意味しか持たないけど、一部都議も動いてくれ状況確認は必要というモードに東京都もなってるそうだし、仁藤夢乃さんのcolabo事業は適正申告しろとお灸が据えられ来年度以降雑な申告では補助金でなくなる(正当な活動にはもちろん支給)でまずは着地じゃないかな
僕はその程度で着地しようとしたら住民訴訟で返金請求もとめますけどね
門前払いされるし意味なくないですかね
門前払いされるかはやってみないとわかんないんじゃないですか
要件満たさない請求いくらやっても突っ返されるだけなので、ある程度ちゃんとした専門家と内側から鍵を開けてくれる都議や職員の分別ついた協力が必要じゃないですかね
まあ貴殿がやるなら別に止めませんが
まあツイートで誰かに止められたり訴訟予告されたくらいじゃ俺は止まらないので「やる」だけですね
この話に関しては山本氏の方が正しいこと言ってる気がする。
MIT Tech Reviewは「絶対に記事全文は読ませない(有料会員登録しろ)」系メディアなのに、この記事だけ全文公開してるのはそれだけイーロン・マスクが気に入らないという事なのだろう。
「私は今の自民党に投票したくないが今の野党にも投票したくない。ずっと投票したくないが一党に権力を集中させるのは良くないと思うから野党に投票し続けている。でもすごく抵抗感がある。」
いや、はてなで本当よくこの意見聞くけど、マジで馬鹿過ぎるだろ
最も愚かな投票行動なのに、それが賢いみたいに思われてる
本当アホしかおらんのか?
まず政治家ってのは思想がなくその都度雰囲気で投票するやつの為に政治活動しないから
統一教会みたいに特定の思想持った組織が長年応援してくれる、その支持基盤の上で選挙活動や政治やるんだよ
当たり前だろ
そもそも自民党は全く権力集中してない
むしろ逆
権力なさすぎて総理大臣かわりまくり内閣かわりまくりで海外からは笑いものの権力ケボ弱集団だから
全く持って現実捉えてない意見にスター集まってて、ずっとこの手のアホなこと言われ続けてて、頭クラクラしてくるわ
自民党そのものがそれなりに多様な思想を内包しているというのはある。
今のインターネットフェミニズムの病理の一つは、自分らの道徳感情がもたらしているにすぎない嫌悪感を、無理にリベラルなフェミニズムの従来理論と適合させようとした結果、「性的消費」だとか「性犯罪を誘発」というような理屈をひねり出さざるを得ない状況に陥っていることです。
リベラリズムは原則として道徳で他者の自由を制約するような理路が取れない。だから、萌え絵批判のためには道徳じゃなくて、どうしても自分たちの身体や権利が侵されているという理屈を生み出す必要がある。結果、イラストが存在するだけで自分たちの身体が消費されているって無茶な理屈がまろび出る。
中世の異端弾圧や魔女狩りめいた無茶苦茶な論法がまかり通るのがフェミニズムの問題点。
途中の都庁担当者とのやり取りの音声が公開されてるけど、完全にクレーマー対応モードになってるな。
役所側が守りの体制に入っちゃうと余程あからさまな不正でも無い限り、なぁなぁな感じで終わりになってしまう懸念がある。
役所の現状としては、共産党がバックについている面倒くさい団体と、面倒くさい個人の両方から突撃を受けてる状態なので、個人の方は適当にあしらっておくかという判断になっても仕方無い面はある。
住民監査請求でネタ振り回すときは特に注意が必要で、ここで監査委員が「請求に理由がない」と判断してしまうと、仮にその後他にいろいろ出てきたとしても刑事告発ぐらいしかできることがなく、告発で「とりあえずやってみよう」が悪手になる場合が多いんだよね
それが懸念事項だし、暇空氏のあれは性急だったのでは? 感が否めないのはあるのよな
まともな人間のハードルがどんどん上がっているのを感じる。社会が高度化し過ぎて、昔なら電卓をパチパチ叩いて電話番とご用聞きしてた様な人にやってもらう仕事がない。
そういう仕事自体が無くなった訳ではないけど、システムがやったり外注したりで、人がやる10分の1とかでできる様になってしまったので、人にやらせは選択肢が無くなった。誰も200円相当のサービスに2万円払えない
親が反ワクチンになった友達が嘆いてた
「普段の人生が上手くいってない人達が、何かの拍子に人生を逆転したくて、そのためには周りと同じことをしていたら差が埋まらないから、陰謀説などを誇大に妄信して、周りは気づいてない、愚かだと主張する。そしてそれを利用する人達がいる」
宗教にもそういうところあるな
平成時代は負け組を叩く言説は「自らの不遇を環境のせいにするな!自己責任!」が主流で、環境や遺伝が人生に与える影響の大きさが判明すると「マクロの傾向に縛られるな!自分の周囲から突破口を探せ!」に移行した事から分かる通り、これらは単に「不公平を甘受しろ」の言い換えでしかないんだよな
「困難に挑戦し、打ち勝つ物語が美しい」という価値観は人類のOSに含まれているから仕方無い面はある。
原始時代はそういう気質を持った個体が生き残りを模索し遺伝子を残したが、そうでない個体は早々に死ぬか発狂して遺伝子を残せなかったのだ(進化心理学のフォース)。
日本の大学って教育機関として優れてるからブランドがついているわけではなくて入試の時点で高偏差値の人間を選別してるからブランドがついてると思うのよな。だから選別プロセスでポリコレ要素混じると“""お客様"""のご要望にお応えできない場合が出てくる気がする。
なので入試で選別するのでなく、学業の評価で選別するべきなのだ。
「入るのは簡単。だけど卒業は困難」が高等教育のあるべき姿。
東工大の女子枠設立、「やった!これで私も東工大に入れる!」みたいな理系志望女子の声は全く流れてこず、理系男子や受験生の怨嗟の声や「これは差別では?」という真面目なトーンの批判や「パパ活枠w」的な揶揄が無限に流れてくるの、誰も幸せにせず全方面に不幸をバラ撒いてる感が半端ないな
37万フォロワーいる割にリツイートやいいねの数が少なくて「おっ、フォロワー買ったのかな?」感ある。
と思ったらマストドンへの移住を暗に煽動するツイートだけはそこそこバズってて草。
なんとか利権を守ろうと苦し紛れな事やってる間に外資に蹂躙される定番パターン
「性欲由来の優しさ」の話、まだ続いてるっぽいけど、結局男性は「セックスさせろとかじゃなくて気にかけて(名誉や感謝が)欲しい!」と叫び、女性は「弱き者を守り闘うのが男性ないし社会の普遍道徳になるべきだ!」と叫んでおり、完全に家父長制が何故生まれたのか?の答え合わせになってるな
Twitter界隈で「社会学」ってのは当時東大の社会学教授だった人が「エビデンス?ねえよそんなもん」ってはっきり言っちゃったから「学問風の広義のカルト」や「論文のフリをした表現」を指す言葉になってるんですが、まあ、知らないとわからないですよね。
本日、借金玉氏(『発達障害サバイバルガイド』など)が所有する企業、株式会社Torch(東京都新宿区高田馬場 法人番号0104-01-108269)から、私のツイートが違法であるとして、1,650万円を払えとの訴状が届きました。私は違法行為をしておらず.到底納得のできない内容のため裁判で争うこととなります。
完全にスラップ訴訟であるな。
借金玉氏はもうだめかもわからんね。
ゴキブリ一匹で歴史ある缶詰製造会社が吹き飛ぶの、食品加工業界は本当にハードだ。