昔からスポーツ界とかではよくあって、最近は研究業界でもあるんだろうが、ある指標(金メダリスト、ノーベル賞受賞、一流論文誌に掲載等)で大変優れているからといって、問題に目をつぶって盲目的にひれ伏すのはおかしいと思うんだよな。人間としては対等なので。なんかそのへんをごっちゃにするね
ろくでなしの成果だからキャンセルする、というのがおかしいのと同じように、抜群の成果を挙げたからろくでなしを見過ごすというのもおかしい。それは良い意味でも悪い意味でも話が完全に別。
完全に排斥されるべきではないが、一方でお咎め無しも何か違うという微妙なお気持ちに応えるにはどうすればよいのか。
最悪の方法は「オープンレターを発動! 所属組織が日和って処分!」みたいなパターンで、大声で炎上させれば一方的に勝てるみたいな風潮は作るべきではない。
その辺りを踏まえると、公開討論(ディベート)を行うことが望ましいと思う。
公衆の面前で自分のやった事・言った事を釈明し、それに対して批判者は代表者を選出して批判・反論していくというような。
最終的な判定は聴衆が決めてもよし、形式的に和解してもよい。
古代ギリシャの民会みたいなイメージだ。
炎上→処罰みたいな単純な私刑よりも、当事者が何を考えてそうしたのかを自らの口で弁明し、反論する機会と権利、そして第三者がそれを自分の目で確かめる権利があると思う。