/note/social

法華狼さんと勝ち組のためのフェミニズム

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20230223/1677099600

法華狼さんは「上野千鶴子は、自由で新しい生き方を提示しただけだ」と言う。

しかし、私は疑問に思う。

「果たして、色川大吉の一人目の妻も、今生きていたとしたら『上野千鶴子は、自由で新しい生き方を提示してくれた』と言って、法華狼さんに賛同してくれるだろうか?」と。

法華狼さんによる上野千鶴子を擁護する論説が欠いているのは、色川大吉の一人目の妻の立場に立つことである。欠いているというより、意図的に且つ徹頭徹尾、彼女のことを消去・無視していると表現した方がよいかもしれない。

まるで、最初から彼女(色川大吉の一人目の妻)は、この世に存在しなかったかのようである。

「家族関係に縛られない自由な関係」という美名の下に、配偶者を奪われた彼女は、自由で新しい生き方を手に入れたことになるのだろうか?

今、上野千鶴子を擁護しようとする法華狼さんのような人は、上野千鶴子に比べれば「無名で目立たない人間」である色川大吉の一人目の妻を、抹殺しようとしている。これは、色川大吉の業績が「歴史に埋もれた民衆の存在を掘り起こしたこと」であるのを考えれば、非常に皮肉な話である。

色川大吉の一人目の妻は、既に亡くなっており、謂わば「死人に口無し」である。それに対して、上野千鶴子は存命であるし、何よりも東大の教授という華々しい地位・肩書もあれば、マスメディアとのコネも持っている。「権力勾配」という左派の人たちが好む表現を使えば、二人のどちらが権力に近いのかは、一目瞭然のはずである。

そう遠くないうちに上野千鶴子は、自らの手によって色川大吉との愛の物語を著作に仕上げるだろうと、私は予測している。そのように予測するのは、上野千鶴子の本質は、学者というよりも、むしろエッセイストや私小説作家であると私は見做しているからである。

そして何よりも、上野千鶴子は強く「勝ち」に拘る人間である。漫画『喧嘩商売』『喧嘩稼業』の田島彬(たじまあきら)並みに勝ちに拘ると言ってよい。

歴史とは、常に勝ち組の人間が書き上げるものである。勝ち組にとって都合の良い内容で。「死人に口無し」で反論できない先妻が相手で、勝ちが確定している勝負なのだから、迷わず上野千鶴子は勝ちを拾いに行くことだろう。

こういった上野千鶴子の生き方もビジネス戦略も、彼女の好きにすれば良いと思う。それらにより招くであろう世間からの反発も、全て覚悟の上だろうし、上野千鶴子から見れば負け組である一般人が何か言っても詮無いことである。

ただ、無名の人(色川大吉の一人目の妻)をではなく、勝ち組の著名人(上野千鶴子)を守るために奮闘する法華狼さんのような人を見て「嗚呼、やはり日本のフェミニズムは、強者や勝ち組のためにあるのだな」と再認識したというだけのことである。

特に、フェミニズムの味方のような顔をしている男性ほど、いざとなれば、強者・勝ち組の味方をするということは、これまでに経験則として学んでいる。アカデミズムやマスメディアとは縁遠い、一般人の女性も、別に馬鹿ではないのだから、そういった姿勢はちゃんと見ているのである。

あまり一般人の女性を馬鹿にしないでもらいたいと、切に願う次第である。