最近、フェミニストや女性文化人の過去発言が掘り返されて炎上するケースが目立つ。
発言内容を見て「いやこれはさすがに」と思うこともあるけれど、同時に、なぜこういう炎上が頻発するのかを少し立ち止まって考えてみると、そこには「フェミニズムの世代間ギャップ」があるように思う。
フェミニズムという言葉の中身は、実はこの10年でかなり変わっている。
いまのフェミニズムと10年前のフェミニズムは、もはや別物といっていいレベルだ。
10年前くらいのフェミニズムは、「女性だけど男のように振る舞えます」がひとつの理想形とされていた。
たとえば、
・女だけどおっさんのように居酒屋をハシゴして飲み歩きます
・女だけど平気で下ネタ言います
・女だけど自分で風俗行きます
・女だけど明るくAVに出ます、性にオープンです
・女だけど自分の意志で脱ぎます、それがフェミニズムアートです
こういうふるまいが「かっこいい」「自由な女性」として紹介されていたし、実際、それをフェミニズムの表現だと肯定的に捉える空気もあった。
「男社会の中で、男と同じように振る舞うことができる女」が、ある種の勝者だった時代。
つまり、「男社会のルールで戦えている=自立した女性」という理解が、当時のフェミニズムの主流だった。
だから、年齢高めのフェミニストや女性文化人を見てみると、そういうスタンスでキャリアを築いてきた人が多い。
むしろ、そのスタイルこそがフェミニズム的だったし、正義だった。
ところがここ数年で、大きく流れが変わった。
2020年以降のフェミニズムは、「男社会に適応すること」ではなく、「男社会そのものを問い直すこと」を軸にしている。
前の時代においては「解放」だったふるまいが、今では「構造に加担している」と見なされるようになった。
たとえば、
・性にオープンであること → 性搾取の再生産と見なされる
・下ネタを語ること → セクハラやミソジニーの内面化と批判される
・「私AV出てます」 → 搾取のモデルケースとして扱われることもある
・セクハラに耐えて出世 → 加害構造に沈黙した人として断罪されることもある
つまり、本人が「自立した女」としてやってきたことが、いまでは「それってむしろ男社会に乗っかってただけじゃないの?」と問われるようになっている。
当然ながら、そこには摩擦が生まれる。
長く活動してきたフェミニストの多くが、実は「いまの感覚で見たらキャンセルされかねない言動」を過去に抱えている。
しかも、本人にとっては「フェミニズムとして正しいと思ってやってきたこと」なので、過去の自分を否定されるような批判には納得しづらい。
一方で、若い世代のフェミニストから見れば、「いつまでも昔の価値観で語っている」ように映る。
結果として、「味方のはずだったフェミニスト同士で燃える」という構図が発生する。
この10年でフェミニズムの価値基準が大きく変わった。
それは時代の変化として当然のことだけれど、その断絶の大きさが、いまの炎上の背景にあることは、もっと意識されていい気がする。
現在主流になっているのは、「男のようにできること」よりも、「男のようにしなくても尊重されること」や「そもそも男社会のルールを壊すこと」を目指すフェミニズムだ。
その価値観はとても重要だと思うし、自分自身も納得できる部分は多い。
でも、それ以前のフェミニズムが「間違いだった」と一刀両断にしてしまうのは、少し乱暴にも感じる。
過去の言動が、当時はなぜフェミニズムとして機能していたのか、そこを振り返る視点がないと、単なる内ゲバで終わってしまう。
いま、たいていのフェミニストは「過去が燃える可能性」という地雷を抱えながら活動している。
それがこの数年、やたらとフェミニストが炎上する理由のひとつなんじゃないかと思っている。
もちろん、免罪されるべきではない発言もあるし、「時代が違ったから」で済ませられないこともある。
でも、「その時代にはその時代の戦い方があった」ということだけは、切り捨てずにおきたい。