本来、介護って必要ないんじゃないかと思う。
昔は年寄りだって働けるうちは畑に出て、家事をして、子や孫を支えた。だけど働けなくなったら「姥捨山」に置かれる。言い方は過激だけど、要は「人としての役割を終えた」とされていたわけだ。
現代はどうだろう。医療で無理やり寿命を引き延ばし、介護で寝たきりの身体を支え続ける。結果、現役世代の労働力が「出涸らしみたいな老人」の世話にどんどん吸われていく。しかもそれは「美談」として語られる。親を看取るのは立派なこと、介護職は尊い仕事。もちろん否定はしない。でも、現役世代が次世代を育てることより、老いを支えることに人手と資源を持っていかれる状況って、本当に健全なのかと思う。
未来に残る子供の世話より、先の短い老人の世話を優先してしまう社会。言葉を選ばず言えば、本末転倒だろう。
「生きる権利があるのは当然」って話と、「どこまで社会のリソースを割くのか」って話は、本当は分けて議論されるべきだ。けれど日本ではそれをタブーにしてしまったから、現役世代が介護に疲弊し、子供を産み育てる余力を失う。
つまり、介護は人間らしさを守るための制度であると同時に、社会全体の持続性を削る制度でもある。
「姥捨山」が非人道的に見えるのは、現代の価値観だからだ。昔の人は「役目を終えたら自然に還る」ことを当然だと受け止めていた。むしろその方がシンプルで合理的だったとも言える。
もちろん今すぐ「姥捨山に戻れ」とは言わない。けれど、次世代を育てる余力を削ってまで、無理やり命を支える社会にどこか歪みがあるのは確かだと思う。
子育てが娯楽だって言われてるけど、本来は介護こそ娯楽というか、やりたい人がやるものだったんじゃないかと思う。
そこが逆転したから日本は衰退している。