・何かのテーマや問題について考える時、別々に考えるべき問題をごっちゃにしてしまうことがしばしばあります
・問題と問題の関連づけが妥当でないと、結論が迷子になってしまう場合があります
・私の場合、思考を整理するために、以下の4つのチェックポイントを設けています
―因果と相関は区別出来ているか
―問題の粒度や重要性をそろえられているか
―主観的な思考・意見と客観的な事実を区別出来ているか
―事実の時系列を整理出来ているか
・特に何かを批判する時、チェックが甘い「関連づけ」をしてしまうことがあるので気をつけたいですよね
Step1. 本を読む
Step2. 再度本を読みながら要約する
Step1で本を読むときは、さらっと、なんとなーく読む。 "パラパラめくる感じ" って言うと言い過ぎなんだけど、 「どーせ Step2 で読むことになるしな」って感じでサーッと読む。 これによって本を読むスピードが早くなる。
Step2では要約もしていくんだけど、Step1で書籍の全体像や自分にとっての重要ポイントが分かっているので、 要約作業が結構サクサク進んでいく。
1:どうせ無理だ
2:あの人のせいだ
3:あいつは役に立たない
4:自分には関係ない
5:そんなの意味がない
6:あいつより自分の方が上だ
7:私は正しい
大多数の人が、「怒りたくないのに、怒ってしまう」ことに悩んでいるのに対して、彼は全く逆の発想を「怒る」に対して持っていた。
彼はこういった。
「怒ることに実入りがある、怒る必要がある時には、ちゃんと怒りを表明しますよ。」
多くの人にとって「怒り」は、一種の生理現象であるのに対して、彼にとって、「怒り」は、たんなる問題解決の「手段」の一つに過ぎない。
「怒りを感じるのは誰でも一緒。だけど「怒る」と「我を失う」こととは、実は簡単に切り離せる。」
「どうやって?」
「カンタンだよ。「ここで相手を責める、不快感を示す、怒鳴る、そしたら問題は解決するか?」って考える。」
つまり、彼の言い分はこうだ。
我を失って、怒鳴り散らして問題が解決するならぜひそうする。でも大抵は無駄で結局、気分も全くスッキリしない。揉め事が大きくなる。
だから、まずは怒鳴るのではなく、「ほしい結果」だけを考える。
彼の言う「ほしい結果」とは例えば、こんな感じだ。
・相手が反省する
・相手の行動が変わる
・自分の理想の状態になる
そして最後に、彼はこういった。
「もちろん、「相手を全力で傷つけたい」ときには、怒鳴るしかない。でも幸いなことに、今までそういうケースはない。」
不幸な人の特徴を「不幸の三原則」として以下のように挙げています。
【自己憐憫】
「私はかわいそう」「私は不幸だ」と、自分をかわいそうに思う気持ち。
【責任転嫁】
「自分は悪くない」「他人のせいでこうなった」と、自分の責任を他人に転嫁する気持ち。
【依存心】
「自分は一人では何もできない」「他人に助けてもらうしかない」と、他人に依存する気持ち。
[...]では、このような「すり合わせ」を適切におこなうには、どんなスキルが必要なのでしょうか?
私は「概念」でものごとを捉えるスキルだと思っています。
ここまでの話からすると「ユーザー目線で考える力」とか「コミュニケーション能力」が必要なのかな……と思うかもしれません。
もちろんそれはそうなのですが、適切な思考やコミュニケーションの「前提」となるのが、概念の理解なのです。
私に「概念整理」の大切さを教えてくれたのは、学生の頃にお世話になったプログラミングの師匠でした。
彼から口すっぱく言われていたのが「日本語で説明できないことを、プログラムで書けるわけがない」ということでした。「まずは日本語でプログラムしてください」と叩き込まれていたのです。
「情報を伝えるって難しいことだから、当然苦手な人もいる。でも、ただ「苦手」ってだけじゃなくて、ざっくりと傾向別に分類出来る。
大雑把に言うと
「①情報量が足りない人」
「②情報量が多すぎる人」
「③情報と情報のつなげ方がおかしい人」」
「①の人は、伝えるモチベーションが低いか、どんな情報が必要なのかが分からないから聞かれたことだけ答える、ってパターンが多い。だから、「どんな情報が必要なのか」をある程度限定して、伝達のコストを下げてあげる必要がある。情報は発散しなくなっちゃうけど、アンケート項目みたいな形で一旦絞っちゃうのがいい」
「②の人は、伝えるモチベーションは高いけど情報の取捨選択が苦手なのか、あるいは「誤解を与えないように」って意識が強すぎて前提や防御線を張り過ぎちゃう人か。こっちは「気付いてないこと」について知りたいわけだから、色々出てくるのはむしろありがたい。ただ、防御線ってあんま有益な情報じゃないことが多いから、「防御線不要」ってことは事前に納得してもらった方がいいし、「ここまでは知ってる」ってことは最初に伝えるのがいい。そうすると情報の取捨選択がしやすくなる」
「③の人は色んなパターンがあって難しい。元々話があっちこっち飛びやすい人か、頭の中では話がちゃんとつながってるんだけど接続のための情報が漏れちゃう人か。こっちが知らない前提を知ってるものと思い込んで話しちゃう、ってパターンもある。遠慮なく話せる関係性なら、話の優先順位をテンプレートにしてすりあわせるのがいいんだけど、客先だとそうもいかないから、yes/noのQA形式にした方が混乱しないかな」
怒られが発生してムカつくときにはあたかも指示内容と認識にズレがあったかのように「あ、そういうことだったんですね!ちょっと理解できてなかったです、すみません」とか言っとけばなんか相互理解が深まった有意義な会話みたいになって丸く収まります、社会人ライフハック
要するに結論と根拠を「したがって」と「なぜなならば」でつなぐのが、論理だというのだ。
確かに「論理とは筋道」である。
ただし波頭亮さんは、「論理的」というためには、条件がある、という。
それは、この「したがって」と「なぜならば」について、大多数の賛同が得られるような客観的妥当性と、受け手の納得感が求められることだ。
しかし。
そう考えていくと、論理というのはどこまでも主観的要素である、とも思えてしまう。
「結論から言って」と要請しても、「結論から言えない人」というのが、大量に存在したのだ。
その話は、こちらの記事に書いてある
そしてついに、「結論ってなんですか?」という人が現れた。
そして、上司もそれに答えることができない。
そう。
「論理的」と同様に、「結論」という言葉も、非常に抽象的、かつ定義の曖昧な言葉だったのだ。
結局、上の本にも書いた通り、10年以上コンサルタントをやってきて、出した答えは要するに
「結論」とは、「相手の最も知りたい話」のことだ。
繰り返すが、「結論から言う」とは要するに、「相手の一番知りたいことから話す」ということなのだ。
「結論から言う」ことは「相手の知りたい事から話すこと」それがすなわち、「論理的に話す」ということ。
これらは全く同じ行為。
それさえわかっていれば、「論理的思考」は、もう怖くない。
小難しいことを言わずに、「相手が欲しい順番に、欲しい情報を渡してあげる」こと。
「論理的」とは、たったそれだけのことだ。
マウントを取る人は、他人を競争相手としてみなすことが多く、これにより対等な関係を築くことが難しくなることがあります。また、マウントを取ることは、自分の価値や能力を認められない自己肯定感の低さから来ることもあります。対等性を持つためには、「相手の立場になって考える」「自分に優しくするから相手にも優しくできる」という考え方が重要です。これにより、マウント癖を抑え、より健全な人間関係を築くことができます。
また、「協力的態度」を持つことで、人間関係がより良くなる可能性があります。
競合的態度とは、相手を裁く態度を指します。これは、自分の利益を他人の利益よりも優先することや、相手を下げることを目的とした行動を含みます。アドラー心理学では、「競合的態度」 competitive attitude と「協力的態度」 co-operative attitude を二項対立させており、人間関係がこじれるのは競合的な態度に起因すると考えられています。協力的な態度は、相手を裁かずに共通の目的のために一緒に仕事をすることを意味します。競合的な態度は、対立や矛盾するもの同士が争う様子を表現します。
競合的態度を持つ人々は、他人を過剰に警戒していることが多いです。
アドラー心理学によると、競争社会の中で他人への警戒心や過剰な緊張感を抱えて生きている人は少なくないとされています。このような態度は、ストレスが蓄積し、疲弊してしまうこともあるため、心の問題や対人関係の問題が生じる可能性があります。
また、競合的態度は「縦の関係」の視点から生じる問題とされており、自分の存在価値が貶められて自尊心が傷つくことを恐れるため、常に頑張り続けていなければならないという考え方があります。
競合的態度をとってしまう人が気を付けることは、以下のようなサインがあります。
(1) 他人を過剰に警戒:他人の意図や動機を常に疑う傾向がある場合です。
(2) 緊張感:ストレスが蓄積し、緊張していることが多いです。
(3) 自己否定:自分自身に対して厳しく、自己肯定感が低いことがあります。
(4) 対等性の欠如:他人との関係で対等性を感じないことがあります。
(5) 競争心:他人との競争を好むことが多く、協力的な関係を築くことに苦労することがあります。
「なぜを6回繰り返すと問題の本質がわかる」という理論はトヨタのような優秀な社員が多い企業でのみ有効です。バイトで働いている「失敗して落ち込んでいる人」にやらせると「自分が無能な愚か者だったからです」という結論になりやすくなります。私も結論が大抵はこれになります。
そもそも「イヤな相手」を、なぜイヤだと思うのでしょうか。
その本質は非常に単純です。
「その人と付き合うメリット」から、「デメリット」を差し引いた結果が、マイナスの人物だからです。
付き合うメリットより、デメリットの方が大きい人、いますよね。それが「イヤなやつ」です。
[...]だから、「人間関係」に悩んだら、他にメリットのある人間関係を数多く作ればよいのです。
そうすれば「デメリットの大きい関係」の相対的な価値が下がる。
ストレスのかかる、デメリットの大きな人付き合いをしなければならないとしても、他の人間関係を作って、その重要度を下げてやればいいのです。
[...]ただし、これには注意点もあります。
「実は、自分自身がイヤなやつだった」という場合です。
「フリーライダー」、つまり相手の善意にただ乗りしている場合。
人間関係からメリットを得ているのが自分だけの場合。
相手を良い気分にさせていない場合。
こういうケースは、自分では気づきにくいです。
が、相手からすれば「あなたとの関係こそ、切るべき関係だった」という事が往々にしてあります。
1. なぜやるかを明確にしている
2. 何をどこまでやるかを明確にしている
3. いつまでにやるかを明確にしている
4. 選択肢を出し提案して決めている
5. 自分から状況を共有・相談している
これはマジな話ですが「心に余裕がない」「見通しが立てられない」「体調が悪い」の3カードが揃うと「性格がめちゃくちゃ悪い人」になります。自分もそうなるし、相手もそうなると覚えておくと、視野が広がりますよ。
ライブ会場で座席がなかった件が話題だから、こういったトラブルが発生した時にイベントの中の人として客にされたくない行動を紹介したい。
仮定
ライブを見るために会場を訪れたところ、座席がない。スタッフに問い合わせると返金と元々想定されていた座席よりもランクダウンした代わりの座席への移動を提案される。目標は同等ランクの席に座ること。
①責任者を呼ぶ
被害が広い場合は複数人のスタッフがその場にいると思うが、ほとんどアルバイトやイベンター側の平社員なので、必ず責任者を呼ぶこと。
②責任者から名刺を受け取る
責任者の名前と役職を確認するために必要
③許可をとって会話を録音する
後から言った言わないで揉めないため。許可のない録音は証拠にならない可能性があるのと、相手も悪人ではないので事前に必ず一言断ってから録音しよう。
④他の人と離れた場所で交渉
良い座席が1つだけ空いている、といった情報が引き出しやすくなり、被害を受けた集団の代表ではなく個人である方が交渉がスムーズに進む。
⑤返金、座席の振替に絶対に応じない
上記のような望んだ対応が得られない場合は応じてはいけない。返金や振替に納得していない旨をしっかり伝える
⑥さらに上の立場の人に繋いでもらう
その場にいない、会場責任者の上司などに電話を繋がせる。会場内の出来事として処理させず、社内に被害を直接伝える。
⑦警察を呼ぶ
交渉が決裂した場合や、相手が高圧的で恐怖を感じた場合、交渉にまったく応じないなどの場合は「警察呼んでもいいですか?」と声をかけよう。これくらいで?と思う人もいるだろうけど、地域のトラブルを仲裁解決するのも警官の仕事なので大丈夫。あとイベントの中の人は開演前に警察呼ばれるのめちゃくちゃ嫌うので交渉の材料にもなる。
今回みたいな200人規模になると全員が助かるのは難しいけれど、自分だけ良席を取り戻したい場合はこの手順である程度交渉できると思う。
被害者ならば、とにかく相手の立場になって、相手がやってほしくないことをしよう。
人って基本的に自認の通りの人物になるから、毎朝起きてから「わたしは誠実で勤勉で健康的な食事ばっか取るからいつも気分もいいしスマートな女だ」とか呟いておけばなぜか本当にそれ寄りな感じの生活できるんだよね。マジ脳みそ単純で人生ちょろい
己自身は挑戦をしない。挑戦しないから失敗することもない。そして、挑戦し失敗した者を笑っていればプライドは傷付かず、失敗を予見していた自分はすごい!と自画自賛できる。
しかし、所詮外野の予想など当たるも八卦外れるも八卦なので全く参考にならないのだ。
失敗の理由や経緯はそれぞれ違うだろう。
それを知る立場に無い者がどれだけ賢しげに語ったところで所詮外野の囀り。
むしろ、挑戦しない事自体が失敗であることに気付けないまま老人になってしまった哀れさが際立つ始末である。
昔、友人に言われた「本当にお前が優秀で相手がバカなんだったら、バカを説得したり騙したりして味方につけられるはずだけど、それが出来ないならお前も同レベルのバカなんだから、あんまり人を見下したりしない方が良いよ」って忠告、歳を重ねるほどに沁みてくるな。
議題
所要時間
必須参加者
他参加者
目的(意思決定、情報共有、フィードバック)
意思決定の場合:
・(1) 何の意思決定が必要?
・(2) 誰の意思決定が必要?
・(3) その意思決定は後でやり直しがきくもの?
上司「議論は相手から引き出せるものがあると思うなら、どんどんしろ。それは生産的な議論だ」
上司「相手を説き伏せたいだけなやら、やめろ。生産性がないし恨みを買うだけだから」
会社が変わってからも、このルールに沿って議論をするかどうかの判断をしているけど、人生が捗りまくっている。
「参上」は「偉い人に呼ばれて来たぞ」で
「見参」は普通の「来たぞ」で
「推参」は「勝手に来たぞ」
という意味だと知ったのが今日のハイライト。推して参るやつは身勝手で、忍者ハットリくんは謙虚。
「仕事ができない人間ほど『本当にどうでもいいこと』や『書いてあること』は延々と聞いてくるくせに、『絶対に勝手な判断をしてはいけないこと/間違ってはいけないこと』だけは手遅れになるまで口にしない。ホウレンソウは基礎にして神髄」という指導を思い出すなぁ……(┐「ε:)
信用を失う人の語尾
1. 〜の認識です
2. 〜だと思います
3. 〜な気がします
4. 〜です、恐らく
5. 〜と思われます
保険をかけるな、自分の言葉に責任持て。
あらゆる議論・討論において絶対に示し続けなければならない4つの要素
「目的は何で」
「状況はどうで」
「何をして」
「それで結果どうなるのか」
判断し、そして行動せねばならない
天空の扉 第6巻
「違う気がします」
「おかしいのでは?」
といった言葉で何かを済ませようとするクセは、絶対にやめた方がいいです。
理系の学問の世界でも仕事でも通用しません。
「このような式でこうきれいに解けるので、こちらの仮説が正しい」
とやらなきゃ、まるで文系論文じゃないですか~🤣
「あなたが『違う気がする』かどうかはどうでもいいから、根拠を出してくれ。何をさぼってるんだ」
と指導教官からきっちり教わるはずですよ。
ああ、個人の感想や夢を論文に書いてはいけないんだな、と。
さすがにその程度は、その程度までは、学問をやったなら身に着けてくださいよぅ😂
子供とは何か、という質問に答えたある人の「人を傷つけたことに気付かず、人に許されていることに気付かない段階」という答えほど完璧なものはありませんでした
ふむ。
ご参考までにスウェーデン企業のいらない人材の追い出し方(N=1)
1, 役職を上げる、給料は上げない
2, 部下をつけない
3, 1人VPになって周りに気を使われる
4, 気を使われるのが嫌になり転職
「○○は新たなチャレンジを外部に求めた、彼(彼女)の輝かしい未来をみんなで祝おう」の社長メールで終了w
JTCはクビにならないと言うけれど、追い出し部署異動からの分社化で減給という真綿で首を絞めるような手法はメジャーなんだよね。
「その話興味ないな」とか「結局何の話なんだろう」と思いながら聞き流したことは誰しもあるでしょう。この状況では言い方が丁寧であったり、思いやりを感じたり、全体最適を目指していることが伝わっても「適切な情報伝達ではない」という問題は変わりません。
人はコミュニケーションに不安がある時、丁寧さで解決しがちだと私は考えています。もちろん敬意や丁寧さは重要です。しかし実際のところ多くの場合改善されるべきなのはその内容です。「お疲れ様です!」とか「大変お忙しいかと思いますが...」といった前置きは相手の心理的負担の軽減には貢献しますが、業務の本質である「良い意思決定」には貢献できません。コミュニケーションの負荷は、丁寧さを足すことではなく内容の改善で軽減していきましょう。
多くの人が「相手の知りたいことを伝える」、ということを意識はしていると思います思います。しかし、その知りたいことを当てることに苦戦しているケースもあるのではないでしょうか。その場合には「相手のロジック」を理解すると良いでしょう。相手のロジックとは「相手の意思決定フロー」とも言い換えられます。
[...]とすると当然ながら「意思決定に足る情報を提示できているか」が重要になります。(後述しますが情報が足りない場合、それは質問という形のフィードバックされます)
実際にはそんなフローチャートを整理している人はいないでしょうが、ここに週末の誘いに行くのか決めているフローの例を見てみましょう。
- その日別の予定がある -> yes なら断る
- いきたい or いったほうがいい -> no なら断る
- 予算が自分の都合に合う -> no なら断る
- 次の日に仕事がある -> no なら行く
- 仕事に影響しなさそうな内容である -> yes なら行く
- ここまで来たら no にする
ざっくりこんな感じだとすると
- 日曜日の13:00から一緒に東京ドームに野球見に行かない?
- 一人3000円になると思う。
- 月曜仕事だし試合後はちょっとお茶して解散のイメージ
と言われれば、使う時間もかかる費用もイメージできるので意思決定できそうです。
意思決定をしてほしい場合、大坪は下の順に伝えています。
- 意思決定をしてほしいという事実
- 理由 (相手のロジックに合わせて)
- 判断の余地
- 自分の意見
- 補足リンク
具体例を示すと下のような感じです
- @プロダクトオーナー
- リリース日を1週間遅らせていいですか? (意思決定のお願いの明示)
- 重要なバグがまだあり品質を担保するために必要です (理由1)
- 遅れは1週間の予定です。直し方は見えています (理由2)
- 広報 / CS としては問題ないことを確認しました(理由3)
- 中途半端な見え方になるので自分としては遅らせるのが妥当だと思います (意見)
- ただ、最悪 A 機能を落とせばそのままでもいけます (判断の余地
- 補足: バグの詳細のリンク
理由の1つ目はわりと「先週から解消しようとしているバグがどうしても直りきらず...」というような経緯を話してしまう事が多いと思います。大事なのは「品質担保のためである」という事実です。
理由の2つ目と3つ目は抜けがちです。意思決定者からすると「品質のためである」とだけ言われても「それはズルズルと無限に遅くならないか?」とか「Dev は良くても他の部署的に困ったりしないのか?」とかが気になったりするでしょう。このあたりは意思決定者のロジックを想像することで補えます。
思考の過程を掘り下げたくて理由を聞く、というのはわりとよくあるコミュニケーション様式である。日常でもよく使うし、仕事では実際にそれを聞くのが大事なので、もっと使う(それはそうと、あくまでつねにニコニコしながらやらなければならないと思う)。その一方、だいたい、あまりよく考えずになんとなくそう思った、くらいのテンションのときは、なんで、どこが、と言われると答えに窮してしまうし、痛いところを突かれたような心地がすることもある。
それとは別に世の中にあるコミュニケーション様式として、婉曲的に相手に意図を伝達するというのがあり、その派生として、理由を聞く形式で間接的に糾弾するというやつがある。答えられない疑問を突き付けることで非難を行うというタイプのやつであり、「どうしてこんなことしたんだ」とか「これのどこがいいんだ」という表現が典型的である。 自分は問い詰めるタイプのコミュニケーションは苦手だし、文字通りのコミュニケーションが基本的に好きなので、あまりこういうコミュニケーションはやらない。やられると、「わかって言っているくせに」と思ってしまうからである。
それはそうと疑問形で間接的に強勢を表現するのは世界的にもありふれているので、別に否定するほどでもないのだが、どっちなのかを判別する必要があるし、人によっては表情が乏しいのでどっちの意味で言ってるのか分からなかったりする。
とはいえ、素朴に理由に興味がある場合が多いと思う。上掲されている「kwsk」もとても良いと思う。はてなで働くようになってから覚えたコミュニケーション(はてな用語?ひとでさん用語?)として「その心は」と書く/訊くというのがある。
「その心は」という単語には、特に相手を責めたり問い詰めたりする印象がない。なぞかけ的な雰囲気がある。言いやすいし答えやすい。消極的な要素よりも、積極的な要素に目を向けやすい気がする。「その心は!! 」って怒る人をあまりイメージできない。
では、「説明能力」の高低がよく現れる場所はどこなのだろうか?
そもそも「説明能力が高い」とはどういうことなのか。
我々の認識では、
「相手が聞きたい(であろう)ことを話し、相手の疑問をすぐに解消する」
ことができれば、「説明能力が高い」とみなされた。
[...]以上のように、説明能力の高い人は「相手の知りたいこと」だけに説明を絞り込む。
そして、相手に都度「確認」を求め、「質問」を誘導する。
- (1)学びたいと思った知識が書いてありそうな本を2~5冊選ぶ
- (2)1冊ずつざっくり読みながら、面白かった部分・気になった部分はKindleで黄色にハイライトしておく
- (3)全冊読み終わったら、ハイライトした部分だけ眺めて、やっぱりおもしろいと思ったところは赤のハイライトを付け直す
- (4)赤のハイライトを眺めて、読書ノートに転記する
- (5)とくにおもしろい部分については、自分の知見まとめノートにカテゴリごとに整理する
しばらくこれを続けて感じたのは、結局のところ(4)〜(5)に至るまで書籍の内容が全然頭に入っていないということだ。(4)(5)の時に、はじめて「書いている内容が言いたかったのはこういうことだったのか」と頭が急に理解したり、「この知識は今の仕事のこの部分に役立ちそうだ」と急にアイデアが出たりする。読んでる段階でも自分では理解できていると感じているが、その段階だけで急に理解できたと感じる瞬間はあまりなく、振り返ってみるとまったく理解できてないことに気づく。
コンサルタントをやっていた時、「できない理由」を並べ立てる人々に数多く出会った。
彼らの習性として「新しい何か」には、ほぼ「忙しい」と反対する。
また、リスクばかりを強調し、その打開策は探そうとしない
「できない理由」を並べる人々は、とりあえず無視して構わない。
説得を試みてもいけない。
批判をしてもいけない。
とにかく、権力を味方につける。
英米法は法律をあんまり制定しなくて、事件が起こったらその場その場で裁判官が判断して、それが判例になります。だから裁判官が法律を作ってるようなものです。裁判は主に過去の判例によって裁かれます。過去の経験から一般原則を生み出すのが帰納法的ですね。
対して大陸法では、あらかじめ法律が議会でつくられて、システマティックな体型の中で論理の操作によって裁判は行われます。基本的に。演繹的ですね。
日本はこちらです。というか、それが普通ですよね、日本人としては。ところがアメリカは基本的にこっちじゃないんですよ。びっくり。
銃の本体と言ったら普通弾じゃなくて撃ち出す方を指すと思う。シャーペンの本体も替え芯ではなくてペンの方だろうし、アイコスもスティックではなく機械の方を指すと思う。
消耗品ではなかったり、サイズ的に主従関係の主の方にありそうな部分を本体って呼ぶんだと思う。
でも機能の核になってるのは消耗品の方だ。
銃本体だけがあっても鈍器にしかならない。銃弾さえあれば、専用の銃がなくとも筒と釘と石でもあれば撃ち出せるらしい。シャーペンだって最悪芯を指でつまめば筆記具になるけれど、ペンだけでは何の役にも立たない。アイコスだってただのヒーターで、肝心なのはタバコ葉の方だ。
主人公はむしろ消耗品の方と言ってもいいのに、手元に残り続ける方が得てして本体と呼ばれ大事にされるのにほんのりと違和感を覚える。
初期段階で「面白い人なんだけどちょっと失礼だな」と感じた相手はトータルで不快な目に遭うことが多く、関係切った後「なんて無駄な時間を…」と後悔する。いかんせん表面的には魅力があったりするのでついやられてしまうのだが、小さな違和感を放置すべきではない
負のリアクションにはいろいろなタイプがあります。ここでは以下の三つのタイプについてのみ述べます。
- 馬鹿だのアホだのいう悪口
- 答えが無いものについての反対意見
- 誤りの指摘
複数のタイプが混ざり合ったものもあります。たとえば「ここの定義が間違えている。こいつは頭がおかしい」は誤りの指摘と悪口が混じっているといえます。
30越えると、人や過去、環境のせいにばかりしてる人と会話するのがいよいよ辛くなってくる。昔はそれでも良かったのよ。「そうだね、あなたは悪くないよ」と傷の舐め合いしてりゃあ心地よかったし。だけどもうこの年齢になるとね。あんたの周りにあるものはもう、あんたの選んだものしか残ってないよ。
恨み辛みしか周りにないのなら、それは貴方が恨み辛みを好んでそばに残しているのよ。本当に強い人はね、自らの意思で手放すの。過去も環境も他人も、不愉快なものはちゃんと手放して、自分で自分の好きなものをそばにおく努力をする。それはとても難しく苦しい作業だけど、やらなきゃ前には進まんの。
■ しなければ
その日にしなければならないこと(マスト)。
■ したほうがよい
将来のためにやっておくべきだと思うもののうち、まだ手をつけていないこと。すぐにやらなくても特に大きな問題がないもの。
■ したい
自分がしたいこと。当面の責任を負っている作業かどうかは気にしない。
リストを作成したら、「しなければ→したほうがよい→したい」の順に完了させていきます。
「しなければ」と「したほうがよい」をこなしていけば、「したい」ことを実行する余裕が生まれます。
また、「したいこと」というご褒美を残しておくことで、どうしても外せない作業を乗り切ろうとするモチベーションにもなるでしょう。
ネトゲで50人ほどの小規模コミュニティを運用してたときの話。メンバーは大体5つに分類できて。
1)挨拶や呼び掛け、提案を積極的にしてくれる人
2)上記に割と乗ってくれ、発言も多い人
3)名指しで声掛けしたりお膳立てしないと乗らない人
4)とりあえずラジオにしてる人
5)空気
3~5はどう働きかけても、なにをしても、コミュニティに対して積極性を持ってはくれなかった。
ただ、4~5は別に誘われなくても気にしてない。そもそもコミュニティに対して期待感が0だから。
3はスルーすると不満を持つけど、だからといって能動的な行動をとるわけでもなく、誘ってくれなかった1と2にヘイトを向けがち。
コミュニティのリーダーや2に「私嫌われてるのかな…」「1さん、僕のこと好きじゃないみたいなんで…」と相談しがち。
ここでまずケアするべきなのは誰か。
悩みを顕在化させている(ように見える)3ではなく、1と2。
特に1はほぼ善意のGiverなので、嫌気がさして離脱されるとコミュニティにとってあまりにも損失が大きい。
2も同様。コミュニティを活性化する存在が3の「相談」ですり減らされると、板挟みになった末に疲れて消えてしまう。
3の悩み()は聞き流してよい。どんなビッグネームだろうが、3に分類される位置にいる人間はコミュニティの恩恵を消費するだけの存在なので、消えても問題ない。
どっかで愚痴を吐き散らすだろうが、見えなければないものとして良い。
一見悩みを抱えているようにみえる3をケアしても、その労力はコミュニティの活性化と長寿命化にはなにも貢献しない。
一言で言うと、
「取られてもいないマウントを、勝手に想像して反発しているだけ」と言える。
話の中身はどうでもいいのだ。
世の中には、何か言われるたびに、あるいは勝手に想像の中で
「マウントを取られた!むかつく!なんか言ったれ!」
と勝手に負のスパイラルに陥る人が、死ぬほどたくさんいる。
彼らは気にくわない「権威」「業績」「忠告」に対してはもちろん、「提案」や「おすすめ」、時には「優しいことば」すら、「マウントを取られた」と思い込むため、「そうですね」が決して言えない。
つまらない反論をしても敵を増やすだけだし何にもならない。
そしてなにより、「すぐ否定から入る人」は、すぐに誰からも必要とされなくなってしまう。
それが「人間的な弱さ」の象徴だとみなされてしまうからだ。
他者から叱ってもらえなくなる話、とにかく自律駆動に切り替えることだよ。他者駆動で動いていると中年になってフィードバックがもらえなくなったり、仕事の引退などで自分自身で動き方を決める必要が出てきた時に詰んでしまう。
若いうちに他者駆動の経験を増やせば増やすほど、人生後半の満足度が低くなるんじゃないか。それがミドルエイジクライシスだったり、定年後に何をして良いかわからなくなる現象につながるのでは。
それはそれで、人間は自分に甘いので、お互い信頼し合ってどうケツを叩きあうか、みたいな話は大事。
職業選択の自由や、パートナー選定の自由と同じで、昔は親や周りに決めてもらえていたものが、自分で決めないといけなくなった。代償は感じるかもしれないけど、その自由をどう享受するか、という話
外的な理不尽な状況や命令を自分の手腕でねじ伏せたりとか、周りからの信頼に応えるとか、そういうの楽しいけど、そこへの直接の依存割合が増えていって、自分自身のやりたいことから乖離してきたり、やりたいことそのものが無くなってしまうと不幸。これは最近の僕自身の課題でもある。
だから、子供や若い人の育て方も、命令して言うことを聞かせるのではなくて、とにかく「決断してもらう回数を増やして、その結果の振り返りを行う」というのが良い。
漫画家志望者の人へ
14年作家しながら3年間マンガを教えていて分かった少しのこと。
「漫画家になりたい」という人はだいたい潰えます。
「漫画を描きたい」というタイプは道が続いている。
「大作があるんですけど数百Pいくと思うんです」は100%描かない。
ネームの時点で50Pを超えて完成した子はいない。
「4P漫画ですか?描く意味ありますか?」の人は4Pにまとめる能力がそもそも無い。
「自分天才なんで」というタイプは現実つきつけられると急に描かなくなります。
「言われた通り何でも直します」のタイプは迷走します。
「それでも自分はこう描きたい」というタイプが、道を切り拓けます。
何かにつけて先に言い訳を用意してくる人は伸びません。
ありがとうが言えない人は切り捨てられます。
漫画家に限った話ではないな
アメリカ人特有の技術として「出る杭として打たれないように、周りをなだらかに持ち上げて丘にする」というのがある
そして、そののまま山に成長して山頂として君臨することで人が勝手に登ってくる仕組みを作るのが非常に上手い
ゲーム産業でもこの技術はしっかりと生かされていて、少数の企業が最新技術を独占していて、毎年数本のAAAゲームしか発売されないとしたら、ゲームは予定通り規制もされていただろうが
ゲームエンジン公開からの小規模中規模開発乱立 → 巨大経済圏を形成して街の税収すら左右するレベルになると
特定の企業を叩いても仕方がないし、数が多すぎて誰も止められないので、わりとやりたい放題の状況になっているというわけだ
これが技術を独占して「出る杭」になっていたらGTAなどをきっかけに潰されていただろうが、周りを持ち上げて丘や山にすることで「打ち」に耐久することが出来ている
これはMOD開発コミュニティ形成についても同じ思想で、日本はゲーム開発企業が開発技術を独占しがちで、ゲーム=遊び=いつか卒業するくだらないもの、というイメージは拭えない
一方でアメリカでは一般人が好みのゲームの追加コンテンツを勝手に作る事が多く、ゲーム=開発者への入り口なので
「出る杭は打たれる」ってのは世界中どこでもそうなので、出たい人間は、自分一人だけ出るんじゃなくて、周りを持ち上げることで丘や山になることを心がけるべき
・Aタスク:重要でクリティカルで期限が迫っている「必ずやらなければならない」タスク。
・Bタスク:「やるべき」とされ、中程度の優先度がある。時間の経過とともに重要になるが、期限が迫っていないもの。
・Cタスク:現時点で低優先度のもの。即座の影響が少ないか、近い期限がない。
「人は誰しも得意不得意があり、完璧では無い。役職等の立場は単に仕事上のロールを担ってるだけ。どの人からも学ぶことがあれば、どの人へも教えられることがある」って考えると、別に自分の苦手を引け目に感じて消極的になることもないし、自分の思ったことをちゃんと発言できるようになると思ってる
一つ目、当人が失敗して反省するという貴重な経験を奪う
命に関わる失敗はまずいですが、オフィスワークでそのようなことはまず、起きません。
むしろ、失敗から学ぶことは非常に多いので、失敗する前に助けてしまうと、いつまでたっても一人前になれません。
二つ目、自分からヘルプを出せない人に未来はない
ヘルプを自分から出すことは、社会人の必須の教養です。
部下には「助けてほしいときは「助けてくれ」とはっきり言うこと」と、徹底して教えましょう。
三つ目、勝手に助けると、感謝されるどころか、嫌な気持ちになるかもしれない
三番目については、不思議な気がしたので「なぜですか?」と私は突っ込んで聞きました。
すると彼は「求めてもいないのに、余計なことをするな」という人もいるし、助けると「助けるのが遅い」「助け方が悪い」「上から目線」とか、理不尽な人も少なくない、と言いました。
あるいは「助けてもらって当然」という態度をとる人もいます。
プライドが高い人は目標のためのプロセス(努力や調べるための行動)をやたら惜しもうとする。もっと言えば、偶然とか運とか他人からの好意とか、そういった無作為な何かで自分が欲しいと思うものが勝手に寄ってくると思っている。割と本気で。
自分ではない第三者が自分が望んだ結果を持ってくると思うから、自分は何もしなくていい。結果、成長しない。実に簡単な構図だろう。
プライドが高い人は自己愛が誰よりも強い。
言い換えれば、自分が好きで大事すぎるから傷つきたくない。また、周りもそれを許してくれたから、自分は特別だと思いたくてすぐに諦めてしまったり、目標の為の努力から遠ざかってしまうのではないか。
ワガママや傲慢さの一つをとっても、そうやって驕ってしまうのは「自分は特別であるから」というものがあるからではないか。
それをまた「万能感」と言ったりするのだが。
大人になればなるほど失敗が恥に思えてきてチャレンジを惜しみ始める。
ダラダラ現状維持で生きるから、狭い世界にいることを忘れて「むしろ自分は優秀で素晴らしいんじゃないか」と思い込む。
焦ったときには年老いてしまってどうにもならない、なんてことになる。
T(テーマ) 最初に、テーマを伝える
N(ナンバー)次に、言いたいことの数を伝え
P(ポイント) それから、要点(結論)を先に言う。
R(理由) その後で、その要点(結論)が正しいと言える理由や
E(具体例)具体例を伝え、
P(ポイント) 最後に要点を繰り返し念押しする
「嘘つきは?」
『数字を使う』
「数値を出してきたら?」
『割合を見る』
「割合を出してきたら?」
『数値を見る』
「それっぽいグラフを出してきたら?」
『縦軸を見る』
「よし、論破してきな」
(おそらく大学教員勢そういうのがめっちゃ多いと思うのだが…)就職してずいぶん経つまで、「相手が話し終わる前にさえぎって話を始める」ということが世間では蛇蝎のごとく嫌われる悪の所業なのだという自覚がほとんどなかった…。
というか「人の話を最後まで聞けない」勢めっちゃ多い気がしている。自戒を込めて。
手に入らないとわかった途端に手に入らなかったものを悪く言うのは本当にみっともないこと。
推しの熱愛がわかった途端に推しを悪く言うオタクや、未練があった元交際相手の幸福に私怨を募らせる人や、不採用になったお店を悪く言う人も全て
『酸っぱい葡萄』という寓話を知って欲しい。
その通りである
よっぽどヤバい勉強法をしている場合はしらないですけど、まあ大抵の場合は質より量ですよ。「教科書と青チャートを全部3回写経する」みたいな工夫もへったくれもない(そして私には確実に向いてなかった)勉強法でも、やった人はみんないい大学に行きました。
ほぼ全ての人間は正しく文章や数式や英文を読めないし回答作業の手順があやふやなので、成績依然の問題なんですね。で、よっぽどアホなことをしない限り、量をこなすと慣れるのでできるようになります。(逆に量以外は殆ど関係しない気がする)。接客でレジ打ちするのと同じですよ。
アホみたいに伸びてるので念のために補足すると、質を考えること自体は大事ですよ。流石に上の勉強法でたとえば東大理三とかに現役合格するんかとか言われると相当怪しいですし。まずは量をこ無し、色々と慣れて、最終的に質の高い手段を身につけろと言う意味です。
・最後は決めるだけだという考えを持つ
・目的や満たしたいことを明確にする
・最終的な決め方や期日を明確にする
・選択肢を広げて考える
・今は意思決定しない、という意思決定も選択肢に入れる
・意思決定の軸を明確にする
・軸をもとに定量/定性データを集める
・軸をもとに選択肢を評価する
・自分はこうしたいという"推し"を決めてたたき台にする
・ここまでの話をドキュメントにしている
・ここまでのプロセスに時間をかけない
・意見を聞く人を見定めてフィードバックをもらう
・最初に明確にした決め方で意思決定する
・意思決定できない場合は決め方と期日と意思決定軸を再定義する
・決定打にかける議論が続く時は自分はこうすべきと思う意見を出して対案を引き出す
・意思決定したことをドキュメントに残す
・意思決定したことを正解にするべくトライアンドエラーを高速でまわす
67: Trader@Live! 2014/05/05(月) 09:00:09.54 ID:yvxG4pM5.net
小さい子供が公園で遊んでいる
この子供が何をするかは予測不能だ
しかし鳩の群れに向かっていくのを見た瞬間、鳩が飛び立つのは予測できる
損をする人は子供の挙動に賭けているのだ、だから当たったりはずれたりする
子供が鳩の群れに向かうまで待つのだ、そして鳩が飛び立つのに賭ける
5年ぐらい前に公園でぼーっとしてる時に思った事
それ以来、勝てるようになった
2chの市況2板で、FXで資産が億を超えた人の書き込みらしい
「代案を出せ」は言葉の暴力である。なぜなら、(まともな)代案を出せない相手に言っているのがわかっているから。反撃ができない相手をボコボコにする、大人気のない行為である。それがわかっていても僕らはつい「代案出せ」を口にしてしまう。
理由は簡単。頭に来るからだ。ムカつくからだ。根底には「人の意見に反対するのならば、代わりとなるアイデアがあってしかるべきである」という他人に対する期待がある。その期待があるから、反対するだけなら子どもでもできる、という決めつけが生まれ、もし代案がないなら感情的な動機から反対しているだけなのでは? と疑いが生まれる。「同期社員同士の醜い争い」や「嫌いな相手を困らせたい」といったくだらない感情的な問題の帰結としての「反対」は存在する。まともな代案を出せない反対は、そういうものに見えてしまうのだ。
反対は違和感のあらわれ。そう捉えれば、自分の意見に対する反対表明についても、いちいち頭に来ない。ムカつかない。車の走行中に異音がしたら路肩に停車させて点検をするはずである。反対は異音なのだ。提案やアイデアに対して「反対!」が出たら「点検しろ!」のサインなのである。
しっかりとか、ちゃんととか、丁寧にとかで説明を終えるのを、私は「副詞に逃げる」と言って学生たちにはやめるように指示しています。その内容を具体的に説明しないとだめ。自分の頭の中には完成形が描かれているのでしょうが、説明を受ける側は何のことだかわからない。
教養とは「すぐに優劣をつけない力」だと思ってます。例えば「小説は良いが、漫画はダメ」ではなく「それぞれ良いところがある」と判断できるのが教養です。教養がないと白と黒の間にある「グレーゾーン」がわからなくなります。世の中のことは、たいていは「好みの問題」です。