「情報を伝えるって難しいことだから、当然苦手な人もいる。でも、ただ「苦手」ってだけじゃなくて、ざっくりと傾向別に分類出来る。
大雑把に言うと
「①情報量が足りない人」
「②情報量が多すぎる人」
「③情報と情報のつなげ方がおかしい人」」
「①の人は、伝えるモチベーションが低いか、どんな情報が必要なのかが分からないから聞かれたことだけ答える、ってパターンが多い。だから、「どんな情報が必要なのか」をある程度限定して、伝達のコストを下げてあげる必要がある。情報は発散しなくなっちゃうけど、アンケート項目みたいな形で一旦絞っちゃうのがいい」
「②の人は、伝えるモチベーションは高いけど情報の取捨選択が苦手なのか、あるいは「誤解を与えないように」って意識が強すぎて前提や防御線を張り過ぎちゃう人か。こっちは「気付いてないこと」について知りたいわけだから、色々出てくるのはむしろありがたい。ただ、防御線ってあんま有益な情報じゃないことが多いから、「防御線不要」ってことは事前に納得してもらった方がいいし、「ここまでは知ってる」ってことは最初に伝えるのがいい。そうすると情報の取捨選択がしやすくなる」
「③の人は色んなパターンがあって難しい。元々話があっちこっち飛びやすい人か、頭の中では話がちゃんとつながってるんだけど接続のための情報が漏れちゃう人か。こっちが知らない前提を知ってるものと思い込んで話しちゃう、ってパターンもある。遠慮なく話せる関係性なら、話の優先順位をテンプレートにしてすりあわせるのがいいんだけど、客先だとそうもいかないから、yes/noのQA形式にした方が混乱しないかな」
怒られが発生してムカつくときにはあたかも指示内容と認識にズレがあったかのように「あ、そういうことだったんですね!ちょっと理解できてなかったです、すみません」とか言っとけばなんか相互理解が深まった有意義な会話みたいになって丸く収まります、社会人ライフハック
要するに結論と根拠を「したがって」と「なぜなならば」でつなぐのが、論理だというのだ。
確かに「論理とは筋道」である。
ただし波頭亮さんは、「論理的」というためには、条件がある、という。
それは、この「したがって」と「なぜならば」について、大多数の賛同が得られるような客観的妥当性と、受け手の納得感が求められることだ。
しかし。
そう考えていくと、論理というのはどこまでも主観的要素である、とも思えてしまう。
「結論から言って」と要請しても、「結論から言えない人」というのが、大量に存在したのだ。
その話は、こちらの記事に書いてある
そしてついに、「結論ってなんですか?」という人が現れた。
そして、上司もそれに答えることができない。
そう。
「論理的」と同様に、「結論」という言葉も、非常に抽象的、かつ定義の曖昧な言葉だったのだ。
結局、上の本にも書いた通り、10年以上コンサルタントをやってきて、出した答えは要するに
「結論」とは、「相手の最も知りたい話」のことだ。
繰り返すが、「結論から言う」とは要するに、「相手の一番知りたいことから話す」ということなのだ。
「結論から言う」ことは「相手の知りたい事から話すこと」それがすなわち、「論理的に話す」ということ。
これらは全く同じ行為。
それさえわかっていれば、「論理的思考」は、もう怖くない。
小難しいことを言わずに、「相手が欲しい順番に、欲しい情報を渡してあげる」こと。
「論理的」とは、たったそれだけのことだ。
マウントを取る人は、他人を競争相手としてみなすことが多く、これにより対等な関係を築くことが難しくなることがあります。また、マウントを取ることは、自分の価値や能力を認められない自己肯定感の低さから来ることもあります。対等性を持つためには、「相手の立場になって考える」「自分に優しくするから相手にも優しくできる」という考え方が重要です。これにより、マウント癖を抑え、より健全な人間関係を築くことができます。
また、「協力的態度」を持つことで、人間関係がより良くなる可能性があります。
競合的態度とは、相手を裁く態度を指します。これは、自分の利益を他人の利益よりも優先することや、相手を下げることを目的とした行動を含みます。アドラー心理学では、「競合的態度」 competitive attitude と「協力的態度」 co-operative attitude を二項対立させており、人間関係がこじれるのは競合的な態度に起因すると考えられています。協力的な態度は、相手を裁かずに共通の目的のために一緒に仕事をすることを意味します。競合的な態度は、対立や矛盾するもの同士が争う様子を表現します。
競合的態度を持つ人々は、他人を過剰に警戒していることが多いです。
アドラー心理学によると、競争社会の中で他人への警戒心や過剰な緊張感を抱えて生きている人は少なくないとされています。このような態度は、ストレスが蓄積し、疲弊してしまうこともあるため、心の問題や対人関係の問題が生じる可能性があります。
また、競合的態度は「縦の関係」の視点から生じる問題とされており、自分の存在価値が貶められて自尊心が傷つくことを恐れるため、常に頑張り続けていなければならないという考え方があります。
競合的態度をとってしまう人が気を付けることは、以下のようなサインがあります。
(1) 他人を過剰に警戒:他人の意図や動機を常に疑う傾向がある場合です。
(2) 緊張感:ストレスが蓄積し、緊張していることが多いです。
(3) 自己否定:自分自身に対して厳しく、自己肯定感が低いことがあります。
(4) 対等性の欠如:他人との関係で対等性を感じないことがあります。
(5) 競争心:他人との競争を好むことが多く、協力的な関係を築くことに苦労することがあります。
「なぜを6回繰り返すと問題の本質がわかる」という理論はトヨタのような優秀な社員が多い企業でのみ有効です。バイトで働いている「失敗して落ち込んでいる人」にやらせると「自分が無能な愚か者だったからです」という結論になりやすくなります。私も結論が大抵はこれになります。
そもそも「イヤな相手」を、なぜイヤだと思うのでしょうか。
その本質は非常に単純です。
「その人と付き合うメリット」から、「デメリット」を差し引いた結果が、マイナスの人物だからです。
付き合うメリットより、デメリットの方が大きい人、いますよね。それが「イヤなやつ」です。
[...]だから、「人間関係」に悩んだら、他にメリットのある人間関係を数多く作ればよいのです。
そうすれば「デメリットの大きい関係」の相対的な価値が下がる。
ストレスのかかる、デメリットの大きな人付き合いをしなければならないとしても、他の人間関係を作って、その重要度を下げてやればいいのです。
[...]ただし、これには注意点もあります。
「実は、自分自身がイヤなやつだった」という場合です。
「フリーライダー」、つまり相手の善意にただ乗りしている場合。
人間関係からメリットを得ているのが自分だけの場合。
相手を良い気分にさせていない場合。
こういうケースは、自分では気づきにくいです。
が、相手からすれば「あなたとの関係こそ、切るべき関係だった」という事が往々にしてあります。
1. なぜやるかを明確にしている
2. 何をどこまでやるかを明確にしている
3. いつまでにやるかを明確にしている
4. 選択肢を出し提案して決めている
5. 自分から状況を共有・相談している
これはマジな話ですが「心に余裕がない」「見通しが立てられない」「体調が悪い」の3カードが揃うと「性格がめちゃくちゃ悪い人」になります。自分もそうなるし、相手もそうなると覚えておくと、視野が広がりますよ。
ライブ会場で座席がなかった件が話題だから、こういったトラブルが発生した時にイベントの中の人として客にされたくない行動を紹介したい。
仮定
ライブを見るために会場を訪れたところ、座席がない。スタッフに問い合わせると返金と元々想定されていた座席よりもランクダウンした代わりの座席への移動を提案される。目標は同等ランクの席に座ること。
①責任者を呼ぶ
被害が広い場合は複数人のスタッフがその場にいると思うが、ほとんどアルバイトやイベンター側の平社員なので、必ず責任者を呼ぶこと。
②責任者から名刺を受け取る
責任者の名前と役職を確認するために必要
③許可をとって会話を録音する
後から言った言わないで揉めないため。許可のない録音は証拠にならない可能性があるのと、相手も悪人ではないので事前に必ず一言断ってから録音しよう。
④他の人と離れた場所で交渉
良い座席が1つだけ空いている、といった情報が引き出しやすくなり、被害を受けた集団の代表ではなく個人である方が交渉がスムーズに進む。
⑤返金、座席の振替に絶対に応じない
上記のような望んだ対応が得られない場合は応じてはいけない。返金や振替に納得していない旨をしっかり伝える
⑥さらに上の立場の人に繋いでもらう
その場にいない、会場責任者の上司などに電話を繋がせる。会場内の出来事として処理させず、社内に被害を直接伝える。
⑦警察を呼ぶ
交渉が決裂した場合や、相手が高圧的で恐怖を感じた場合、交渉にまったく応じないなどの場合は「警察呼んでもいいですか?」と声をかけよう。これくらいで?と思う人もいるだろうけど、地域のトラブルを仲裁解決するのも警官の仕事なので大丈夫。あとイベントの中の人は開演前に警察呼ばれるのめちゃくちゃ嫌うので交渉の材料にもなる。
今回みたいな200人規模になると全員が助かるのは難しいけれど、自分だけ良席を取り戻したい場合はこの手順である程度交渉できると思う。
被害者ならば、とにかく相手の立場になって、相手がやってほしくないことをしよう。
人って基本的に自認の通りの人物になるから、毎朝起きてから「わたしは誠実で勤勉で健康的な食事ばっか取るからいつも気分もいいしスマートな女だ」とか呟いておけばなぜか本当にそれ寄りな感じの生活できるんだよね。マジ脳みそ単純で人生ちょろい
己自身は挑戦をしない。挑戦しないから失敗することもない。そして、挑戦し失敗した者を笑っていればプライドは傷付かず、失敗を予見していた自分はすごい!と自画自賛できる。
しかし、所詮外野の予想など当たるも八卦外れるも八卦なので全く参考にならないのだ。
失敗の理由や経緯はそれぞれ違うだろう。
それを知る立場に無い者がどれだけ賢しげに語ったところで所詮外野の囀り。
むしろ、挑戦しない事自体が失敗であることに気付けないまま老人になってしまった哀れさが際立つ始末である。
昔、友人に言われた「本当にお前が優秀で相手がバカなんだったら、バカを説得したり騙したりして味方につけられるはずだけど、それが出来ないならお前も同レベルのバカなんだから、あんまり人を見下したりしない方が良いよ」って忠告、歳を重ねるほどに沁みてくるな。
議題
所要時間
必須参加者
他参加者
目的(意思決定、情報共有、フィードバック)
意思決定の場合:
・(1) 何の意思決定が必要?
・(2) 誰の意思決定が必要?
・(3) その意思決定は後でやり直しがきくもの?
上司「議論は相手から引き出せるものがあると思うなら、どんどんしろ。それは生産的な議論だ」
上司「相手を説き伏せたいだけなやら、やめろ。生産性がないし恨みを買うだけだから」
会社が変わってからも、このルールに沿って議論をするかどうかの判断をしているけど、人生が捗りまくっている。
「参上」は「偉い人に呼ばれて来たぞ」で
「見参」は普通の「来たぞ」で
「推参」は「勝手に来たぞ」
という意味だと知ったのが今日のハイライト。推して参るやつは身勝手で、忍者ハットリくんは謙虚。
「仕事ができない人間ほど『本当にどうでもいいこと』や『書いてあること』は延々と聞いてくるくせに、『絶対に勝手な判断をしてはいけないこと/間違ってはいけないこと』だけは手遅れになるまで口にしない。ホウレンソウは基礎にして神髄」という指導を思い出すなぁ……(┐「ε:)
信用を失う人の語尾
1. 〜の認識です
2. 〜だと思います
3. 〜な気がします
4. 〜です、恐らく
5. 〜と思われます
保険をかけるな、自分の言葉に責任持て。
あらゆる議論・討論において絶対に示し続けなければならない4つの要素
「目的は何で」
「状況はどうで」
「何をして」
「それで結果どうなるのか」
判断し、そして行動せねばならない
天空の扉 第6巻
「違う気がします」
「おかしいのでは?」
といった言葉で何かを済ませようとするクセは、絶対にやめた方がいいです。
理系の学問の世界でも仕事でも通用しません。
「このような式でこうきれいに解けるので、こちらの仮説が正しい」
とやらなきゃ、まるで文系論文じゃないですか~🤣
「あなたが『違う気がする』かどうかはどうでもいいから、根拠を出してくれ。何をさぼってるんだ」
と指導教官からきっちり教わるはずですよ。
ああ、個人の感想や夢を論文に書いてはいけないんだな、と。
さすがにその程度は、その程度までは、学問をやったなら身に着けてくださいよぅ😂
子供とは何か、という質問に答えたある人の「人を傷つけたことに気付かず、人に許されていることに気付かない段階」という答えほど完璧なものはありませんでした
ふむ。
ご参考までにスウェーデン企業のいらない人材の追い出し方(N=1)
1, 役職を上げる、給料は上げない
2, 部下をつけない
3, 1人VPになって周りに気を使われる
4, 気を使われるのが嫌になり転職
「○○は新たなチャレンジを外部に求めた、彼(彼女)の輝かしい未来をみんなで祝おう」の社長メールで終了w
JTCはクビにならないと言うけれど、追い出し部署異動からの分社化で減給という真綿で首を絞めるような手法はメジャーなんだよね。
「その話興味ないな」とか「結局何の話なんだろう」と思いながら聞き流したことは誰しもあるでしょう。この状況では言い方が丁寧であったり、思いやりを感じたり、全体最適を目指していることが伝わっても「適切な情報伝達ではない」という問題は変わりません。
人はコミュニケーションに不安がある時、丁寧さで解決しがちだと私は考えています。もちろん敬意や丁寧さは重要です。しかし実際のところ多くの場合改善されるべきなのはその内容です。「お疲れ様です!」とか「大変お忙しいかと思いますが...」といった前置きは相手の心理的負担の軽減には貢献しますが、業務の本質である「良い意思決定」には貢献できません。コミュニケーションの負荷は、丁寧さを足すことではなく内容の改善で軽減していきましょう。
多くの人が「相手の知りたいことを伝える」、ということを意識はしていると思います思います。しかし、その知りたいことを当てることに苦戦しているケースもあるのではないでしょうか。その場合には「相手のロジック」を理解すると良いでしょう。相手のロジックとは「相手の意思決定フロー」とも言い換えられます。
[...]とすると当然ながら「意思決定に足る情報を提示できているか」が重要になります。(後述しますが情報が足りない場合、それは質問という形のフィードバックされます)
実際にはそんなフローチャートを整理している人はいないでしょうが、ここに週末の誘いに行くのか決めているフローの例を見てみましょう。
- その日別の予定がある -> yes なら断る
- いきたい or いったほうがいい -> no なら断る
- 予算が自分の都合に合う -> no なら断る
- 次の日に仕事がある -> no なら行く
- 仕事に影響しなさそうな内容である -> yes なら行く
- ここまで来たら no にする
ざっくりこんな感じだとすると
- 日曜日の13:00から一緒に東京ドームに野球見に行かない?
- 一人3000円になると思う。
- 月曜仕事だし試合後はちょっとお茶して解散のイメージ
と言われれば、使う時間もかかる費用もイメージできるので意思決定できそうです。
意思決定をしてほしい場合、大坪は下の順に伝えています。
- 意思決定をしてほしいという事実
- 理由 (相手のロジックに合わせて)
- 判断の余地
- 自分の意見
- 補足リンク
具体例を示すと下のような感じです
- @プロダクトオーナー
- リリース日を1週間遅らせていいですか? (意思決定のお願いの明示)
- 重要なバグがまだあり品質を担保するために必要です (理由1)
- 遅れは1週間の予定です。直し方は見えています (理由2)
- 広報 / CS としては問題ないことを確認しました(理由3)
- 中途半端な見え方になるので自分としては遅らせるのが妥当だと思います (意見)
- ただ、最悪 A 機能を落とせばそのままでもいけます (判断の余地
- 補足: バグの詳細のリンク
理由の1つ目はわりと「先週から解消しようとしているバグがどうしても直りきらず...」というような経緯を話してしまう事が多いと思います。大事なのは「品質担保のためである」という事実です。
理由の2つ目と3つ目は抜けがちです。意思決定者からすると「品質のためである」とだけ言われても「それはズルズルと無限に遅くならないか?」とか「Dev は良くても他の部署的に困ったりしないのか?」とかが気になったりするでしょう。このあたりは意思決定者のロジックを想像することで補えます。
思考の過程を掘り下げたくて理由を聞く、というのはわりとよくあるコミュニケーション様式である。日常でもよく使うし、仕事では実際にそれを聞くのが大事なので、もっと使う(それはそうと、あくまでつねにニコニコしながらやらなければならないと思う)。その一方、だいたい、あまりよく考えずになんとなくそう思った、くらいのテンションのときは、なんで、どこが、と言われると答えに窮してしまうし、痛いところを突かれたような心地がすることもある。
それとは別に世の中にあるコミュニケーション様式として、婉曲的に相手に意図を伝達するというのがあり、その派生として、理由を聞く形式で間接的に糾弾するというやつがある。答えられない疑問を突き付けることで非難を行うというタイプのやつであり、「どうしてこんなことしたんだ」とか「これのどこがいいんだ」という表現が典型的である。 自分は問い詰めるタイプのコミュニケーションは苦手だし、文字通りのコミュニケーションが基本的に好きなので、あまりこういうコミュニケーションはやらない。やられると、「わかって言っているくせに」と思ってしまうからである。
それはそうと疑問形で間接的に強勢を表現するのは世界的にもありふれているので、別に否定するほどでもないのだが、どっちなのかを判別する必要があるし、人によっては表情が乏しいのでどっちの意味で言ってるのか分からなかったりする。
とはいえ、素朴に理由に興味がある場合が多いと思う。上掲されている「kwsk」もとても良いと思う。はてなで働くようになってから覚えたコミュニケーション(はてな用語?ひとでさん用語?)として「その心は」と書く/訊くというのがある。
「その心は」という単語には、特に相手を責めたり問い詰めたりする印象がない。なぞかけ的な雰囲気がある。言いやすいし答えやすい。消極的な要素よりも、積極的な要素に目を向けやすい気がする。「その心は!! 」って怒る人をあまりイメージできない。
では、「説明能力」の高低がよく現れる場所はどこなのだろうか?
そもそも「説明能力が高い」とはどういうことなのか。
我々の認識では、
「相手が聞きたい(であろう)ことを話し、相手の疑問をすぐに解消する」
ことができれば、「説明能力が高い」とみなされた。
[...]以上のように、説明能力の高い人は「相手の知りたいこと」だけに説明を絞り込む。
そして、相手に都度「確認」を求め、「質問」を誘導する。
- (1)学びたいと思った知識が書いてありそうな本を2~5冊選ぶ
- (2)1冊ずつざっくり読みながら、面白かった部分・気になった部分はKindleで黄色にハイライトしておく
- (3)全冊読み終わったら、ハイライトした部分だけ眺めて、やっぱりおもしろいと思ったところは赤のハイライトを付け直す
- (4)赤のハイライトを眺めて、読書ノートに転記する
- (5)とくにおもしろい部分については、自分の知見まとめノートにカテゴリごとに整理する
しばらくこれを続けて感じたのは、結局のところ(4)〜(5)に至るまで書籍の内容が全然頭に入っていないということだ。(4)(5)の時に、はじめて「書いている内容が言いたかったのはこういうことだったのか」と頭が急に理解したり、「この知識は今の仕事のこの部分に役立ちそうだ」と急にアイデアが出たりする。読んでる段階でも自分では理解できていると感じているが、その段階だけで急に理解できたと感じる瞬間はあまりなく、振り返ってみるとまったく理解できてないことに気づく。
コンサルタントをやっていた時、「できない理由」を並べ立てる人々に数多く出会った。
彼らの習性として「新しい何か」には、ほぼ「忙しい」と反対する。
また、リスクばかりを強調し、その打開策は探そうとしない
「できない理由」を並べる人々は、とりあえず無視して構わない。
説得を試みてもいけない。
批判をしてもいけない。
とにかく、権力を味方につける。
英米法は法律をあんまり制定しなくて、事件が起こったらその場その場で裁判官が判断して、それが判例になります。だから裁判官が法律を作ってるようなものです。裁判は主に過去の判例によって裁かれます。過去の経験から一般原則を生み出すのが帰納法的ですね。
対して大陸法では、あらかじめ法律が議会でつくられて、システマティックな体型の中で論理の操作によって裁判は行われます。基本的に。演繹的ですね。
日本はこちらです。というか、それが普通ですよね、日本人としては。ところがアメリカは基本的にこっちじゃないんですよ。びっくり。
銃の本体と言ったら普通弾じゃなくて撃ち出す方を指すと思う。シャーペンの本体も替え芯ではなくてペンの方だろうし、アイコスもスティックではなく機械の方を指すと思う。
消耗品ではなかったり、サイズ的に主従関係の主の方にありそうな部分を本体って呼ぶんだと思う。
でも機能の核になってるのは消耗品の方だ。
銃本体だけがあっても鈍器にしかならない。銃弾さえあれば、専用の銃がなくとも筒と釘と石でもあれば撃ち出せるらしい。シャーペンだって最悪芯を指でつまめば筆記具になるけれど、ペンだけでは何の役にも立たない。アイコスだってただのヒーターで、肝心なのはタバコ葉の方だ。
主人公はむしろ消耗品の方と言ってもいいのに、手元に残り続ける方が得てして本体と呼ばれ大事にされるのにほんのりと違和感を覚える。
初期段階で「面白い人なんだけどちょっと失礼だな」と感じた相手はトータルで不快な目に遭うことが多く、関係切った後「なんて無駄な時間を…」と後悔する。いかんせん表面的には魅力があったりするのでついやられてしまうのだが、小さな違和感を放置すべきではない
負のリアクションにはいろいろなタイプがあります。ここでは以下の三つのタイプについてのみ述べます。
- 馬鹿だのアホだのいう悪口
- 答えが無いものについての反対意見
- 誤りの指摘
複数のタイプが混ざり合ったものもあります。たとえば「ここの定義が間違えている。こいつは頭がおかしい」は誤りの指摘と悪口が混じっているといえます。
30越えると、人や過去、環境のせいにばかりしてる人と会話するのがいよいよ辛くなってくる。昔はそれでも良かったのよ。「そうだね、あなたは悪くないよ」と傷の舐め合いしてりゃあ心地よかったし。だけどもうこの年齢になるとね。あんたの周りにあるものはもう、あんたの選んだものしか残ってないよ。
恨み辛みしか周りにないのなら、それは貴方が恨み辛みを好んでそばに残しているのよ。本当に強い人はね、自らの意思で手放すの。過去も環境も他人も、不愉快なものはちゃんと手放して、自分で自分の好きなものをそばにおく努力をする。それはとても難しく苦しい作業だけど、やらなきゃ前には進まんの。
■ しなければ
その日にしなければならないこと(マスト)。
■ したほうがよい
将来のためにやっておくべきだと思うもののうち、まだ手をつけていないこと。すぐにやらなくても特に大きな問題がないもの。
■ したい
自分がしたいこと。当面の責任を負っている作業かどうかは気にしない。
リストを作成したら、「しなければ→したほうがよい→したい」の順に完了させていきます。
「しなければ」と「したほうがよい」をこなしていけば、「したい」ことを実行する余裕が生まれます。
また、「したいこと」というご褒美を残しておくことで、どうしても外せない作業を乗り切ろうとするモチベーションにもなるでしょう。
ネトゲで50人ほどの小規模コミュニティを運用してたときの話。メンバーは大体5つに分類できて。
1)挨拶や呼び掛け、提案を積極的にしてくれる人
2)上記に割と乗ってくれ、発言も多い人
3)名指しで声掛けしたりお膳立てしないと乗らない人
4)とりあえずラジオにしてる人
5)空気
3~5はどう働きかけても、なにをしても、コミュニティに対して積極性を持ってはくれなかった。
ただ、4~5は別に誘われなくても気にしてない。そもそもコミュニティに対して期待感が0だから。
3はスルーすると不満を持つけど、だからといって能動的な行動をとるわけでもなく、誘ってくれなかった1と2にヘイトを向けがち。
コミュニティのリーダーや2に「私嫌われてるのかな…」「1さん、僕のこと好きじゃないみたいなんで…」と相談しがち。
ここでまずケアするべきなのは誰か。
悩みを顕在化させている(ように見える)3ではなく、1と2。
特に1はほぼ善意のGiverなので、嫌気がさして離脱されるとコミュニティにとってあまりにも損失が大きい。
2も同様。コミュニティを活性化する存在が3の「相談」ですり減らされると、板挟みになった末に疲れて消えてしまう。
3の悩み()は聞き流してよい。どんなビッグネームだろうが、3に分類される位置にいる人間はコミュニティの恩恵を消費するだけの存在なので、消えても問題ない。
どっかで愚痴を吐き散らすだろうが、見えなければないものとして良い。
一見悩みを抱えているようにみえる3をケアしても、その労力はコミュニティの活性化と長寿命化にはなにも貢献しない。
一言で言うと、
「取られてもいないマウントを、勝手に想像して反発しているだけ」と言える。
話の中身はどうでもいいのだ。
世の中には、何か言われるたびに、あるいは勝手に想像の中で
「マウントを取られた!むかつく!なんか言ったれ!」
と勝手に負のスパイラルに陥る人が、死ぬほどたくさんいる。
彼らは気にくわない「権威」「業績」「忠告」に対してはもちろん、「提案」や「おすすめ」、時には「優しいことば」すら、「マウントを取られた」と思い込むため、「そうですね」が決して言えない。
つまらない反論をしても敵を増やすだけだし何にもならない。
そしてなにより、「すぐ否定から入る人」は、すぐに誰からも必要とされなくなってしまう。
それが「人間的な弱さ」の象徴だとみなされてしまうからだ。
他者から叱ってもらえなくなる話、とにかく自律駆動に切り替えることだよ。他者駆動で動いていると中年になってフィードバックがもらえなくなったり、仕事の引退などで自分自身で動き方を決める必要が出てきた時に詰んでしまう。
若いうちに他者駆動の経験を増やせば増やすほど、人生後半の満足度が低くなるんじゃないか。それがミドルエイジクライシスだったり、定年後に何をして良いかわからなくなる現象につながるのでは。
それはそれで、人間は自分に甘いので、お互い信頼し合ってどうケツを叩きあうか、みたいな話は大事。
職業選択の自由や、パートナー選定の自由と同じで、昔は親や周りに決めてもらえていたものが、自分で決めないといけなくなった。代償は感じるかもしれないけど、その自由をどう享受するか、という話
外的な理不尽な状況や命令を自分の手腕でねじ伏せたりとか、周りからの信頼に応えるとか、そういうの楽しいけど、そこへの直接の依存割合が増えていって、自分自身のやりたいことから乖離してきたり、やりたいことそのものが無くなってしまうと不幸。これは最近の僕自身の課題でもある。
だから、子供や若い人の育て方も、命令して言うことを聞かせるのではなくて、とにかく「決断してもらう回数を増やして、その結果の振り返りを行う」というのが良い。
漫画家志望者の人へ
14年作家しながら3年間マンガを教えていて分かった少しのこと。
「漫画家になりたい」という人はだいたい潰えます。
「漫画を描きたい」というタイプは道が続いている。
「大作があるんですけど数百Pいくと思うんです」は100%描かない。
ネームの時点で50Pを超えて完成した子はいない。
「4P漫画ですか?描く意味ありますか?」の人は4Pにまとめる能力がそもそも無い。
「自分天才なんで」というタイプは現実つきつけられると急に描かなくなります。
「言われた通り何でも直します」のタイプは迷走します。
「それでも自分はこう描きたい」というタイプが、道を切り拓けます。
何かにつけて先に言い訳を用意してくる人は伸びません。
ありがとうが言えない人は切り捨てられます。
漫画家に限った話ではないな
アメリカ人特有の技術として「出る杭として打たれないように、周りをなだらかに持ち上げて丘にする」というのがある
そして、そののまま山に成長して山頂として君臨することで人が勝手に登ってくる仕組みを作るのが非常に上手い
ゲーム産業でもこの技術はしっかりと生かされていて、少数の企業が最新技術を独占していて、毎年数本のAAAゲームしか発売されないとしたら、ゲームは予定通り規制もされていただろうが
ゲームエンジン公開からの小規模中規模開発乱立 → 巨大経済圏を形成して街の税収すら左右するレベルになると
特定の企業を叩いても仕方がないし、数が多すぎて誰も止められないので、わりとやりたい放題の状況になっているというわけだ
これが技術を独占して「出る杭」になっていたらGTAなどをきっかけに潰されていただろうが、周りを持ち上げて丘や山にすることで「打ち」に耐久することが出来ている
これはMOD開発コミュニティ形成についても同じ思想で、日本はゲーム開発企業が開発技術を独占しがちで、ゲーム=遊び=いつか卒業するくだらないもの、というイメージは拭えない
一方でアメリカでは一般人が好みのゲームの追加コンテンツを勝手に作る事が多く、ゲーム=開発者への入り口なので
「出る杭は打たれる」ってのは世界中どこでもそうなので、出たい人間は、自分一人だけ出るんじゃなくて、周りを持ち上げることで丘や山になることを心がけるべき
・Aタスク:重要でクリティカルで期限が迫っている「必ずやらなければならない」タスク。
・Bタスク:「やるべき」とされ、中程度の優先度がある。時間の経過とともに重要になるが、期限が迫っていないもの。
・Cタスク:現時点で低優先度のもの。即座の影響が少ないか、近い期限がない。
「人は誰しも得意不得意があり、完璧では無い。役職等の立場は単に仕事上のロールを担ってるだけ。どの人からも学ぶことがあれば、どの人へも教えられることがある」って考えると、別に自分の苦手を引け目に感じて消極的になることもないし、自分の思ったことをちゃんと発言できるようになると思ってる
一つ目、当人が失敗して反省するという貴重な経験を奪う
命に関わる失敗はまずいですが、オフィスワークでそのようなことはまず、起きません。
むしろ、失敗から学ぶことは非常に多いので、失敗する前に助けてしまうと、いつまでたっても一人前になれません。
二つ目、自分からヘルプを出せない人に未来はない
ヘルプを自分から出すことは、社会人の必須の教養です。
部下には「助けてほしいときは「助けてくれ」とはっきり言うこと」と、徹底して教えましょう。
三つ目、勝手に助けると、感謝されるどころか、嫌な気持ちになるかもしれない
三番目については、不思議な気がしたので「なぜですか?」と私は突っ込んで聞きました。
すると彼は「求めてもいないのに、余計なことをするな」という人もいるし、助けると「助けるのが遅い」「助け方が悪い」「上から目線」とか、理不尽な人も少なくない、と言いました。
あるいは「助けてもらって当然」という態度をとる人もいます。
プライドが高い人は目標のためのプロセス(努力や調べるための行動)をやたら惜しもうとする。もっと言えば、偶然とか運とか他人からの好意とか、そういった無作為な何かで自分が欲しいと思うものが勝手に寄ってくると思っている。割と本気で。
自分ではない第三者が自分が望んだ結果を持ってくると思うから、自分は何もしなくていい。結果、成長しない。実に簡単な構図だろう。
プライドが高い人は自己愛が誰よりも強い。
言い換えれば、自分が好きで大事すぎるから傷つきたくない。また、周りもそれを許してくれたから、自分は特別だと思いたくてすぐに諦めてしまったり、目標の為の努力から遠ざかってしまうのではないか。
ワガママや傲慢さの一つをとっても、そうやって驕ってしまうのは「自分は特別であるから」というものがあるからではないか。
それをまた「万能感」と言ったりするのだが。
大人になればなるほど失敗が恥に思えてきてチャレンジを惜しみ始める。
ダラダラ現状維持で生きるから、狭い世界にいることを忘れて「むしろ自分は優秀で素晴らしいんじゃないか」と思い込む。
焦ったときには年老いてしまってどうにもならない、なんてことになる。
T(テーマ) 最初に、テーマを伝える
N(ナンバー)次に、言いたいことの数を伝え
P(ポイント) それから、要点(結論)を先に言う。
R(理由) その後で、その要点(結論)が正しいと言える理由や
E(具体例)具体例を伝え、
P(ポイント) 最後に要点を繰り返し念押しする
「嘘つきは?」
『数字を使う』
「数値を出してきたら?」
『割合を見る』
「割合を出してきたら?」
『数値を見る』
「それっぽいグラフを出してきたら?」
『縦軸を見る』
「よし、論破してきな」
(おそらく大学教員勢そういうのがめっちゃ多いと思うのだが…)就職してずいぶん経つまで、「相手が話し終わる前にさえぎって話を始める」ということが世間では蛇蝎のごとく嫌われる悪の所業なのだという自覚がほとんどなかった…。
というか「人の話を最後まで聞けない」勢めっちゃ多い気がしている。自戒を込めて。
手に入らないとわかった途端に手に入らなかったものを悪く言うのは本当にみっともないこと。
推しの熱愛がわかった途端に推しを悪く言うオタクや、未練があった元交際相手の幸福に私怨を募らせる人や、不採用になったお店を悪く言う人も全て
『酸っぱい葡萄』という寓話を知って欲しい。
その通りである
よっぽどヤバい勉強法をしている場合はしらないですけど、まあ大抵の場合は質より量ですよ。「教科書と青チャートを全部3回写経する」みたいな工夫もへったくれもない(そして私には確実に向いてなかった)勉強法でも、やった人はみんないい大学に行きました。
ほぼ全ての人間は正しく文章や数式や英文を読めないし回答作業の手順があやふやなので、成績依然の問題なんですね。で、よっぽどアホなことをしない限り、量をこなすと慣れるのでできるようになります。(逆に量以外は殆ど関係しない気がする)。接客でレジ打ちするのと同じですよ。
アホみたいに伸びてるので念のために補足すると、質を考えること自体は大事ですよ。流石に上の勉強法でたとえば東大理三とかに現役合格するんかとか言われると相当怪しいですし。まずは量をこ無し、色々と慣れて、最終的に質の高い手段を身につけろと言う意味です。
・最後は決めるだけだという考えを持つ
・目的や満たしたいことを明確にする
・最終的な決め方や期日を明確にする
・選択肢を広げて考える
・今は意思決定しない、という意思決定も選択肢に入れる
・意思決定の軸を明確にする
・軸をもとに定量/定性データを集める
・軸をもとに選択肢を評価する
・自分はこうしたいという"推し"を決めてたたき台にする
・ここまでの話をドキュメントにしている
・ここまでのプロセスに時間をかけない
・意見を聞く人を見定めてフィードバックをもらう
・最初に明確にした決め方で意思決定する
・意思決定できない場合は決め方と期日と意思決定軸を再定義する
・決定打にかける議論が続く時は自分はこうすべきと思う意見を出して対案を引き出す
・意思決定したことをドキュメントに残す
・意思決定したことを正解にするべくトライアンドエラーを高速でまわす
67: Trader@Live! 2014/05/05(月) 09:00:09.54 ID:yvxG4pM5.net
小さい子供が公園で遊んでいる
この子供が何をするかは予測不能だ
しかし鳩の群れに向かっていくのを見た瞬間、鳩が飛び立つのは予測できる
損をする人は子供の挙動に賭けているのだ、だから当たったりはずれたりする
子供が鳩の群れに向かうまで待つのだ、そして鳩が飛び立つのに賭ける
5年ぐらい前に公園でぼーっとしてる時に思った事
それ以来、勝てるようになった
2chの市況2板で、FXで資産が億を超えた人の書き込みらしい
「代案を出せ」は言葉の暴力である。なぜなら、(まともな)代案を出せない相手に言っているのがわかっているから。反撃ができない相手をボコボコにする、大人気のない行為である。それがわかっていても僕らはつい「代案出せ」を口にしてしまう。
理由は簡単。頭に来るからだ。ムカつくからだ。根底には「人の意見に反対するのならば、代わりとなるアイデアがあってしかるべきである」という他人に対する期待がある。その期待があるから、反対するだけなら子どもでもできる、という決めつけが生まれ、もし代案がないなら感情的な動機から反対しているだけなのでは? と疑いが生まれる。「同期社員同士の醜い争い」や「嫌いな相手を困らせたい」といったくだらない感情的な問題の帰結としての「反対」は存在する。まともな代案を出せない反対は、そういうものに見えてしまうのだ。
反対は違和感のあらわれ。そう捉えれば、自分の意見に対する反対表明についても、いちいち頭に来ない。ムカつかない。車の走行中に異音がしたら路肩に停車させて点検をするはずである。反対は異音なのだ。提案やアイデアに対して「反対!」が出たら「点検しろ!」のサインなのである。
しっかりとか、ちゃんととか、丁寧にとかで説明を終えるのを、私は「副詞に逃げる」と言って学生たちにはやめるように指示しています。その内容を具体的に説明しないとだめ。自分の頭の中には完成形が描かれているのでしょうが、説明を受ける側は何のことだかわからない。
教養とは「すぐに優劣をつけない力」だと思ってます。例えば「小説は良いが、漫画はダメ」ではなく「それぞれ良いところがある」と判断できるのが教養です。教養がないと白と黒の間にある「グレーゾーン」がわからなくなります。世の中のことは、たいていは「好みの問題」です。
交渉とは自分の事情を相手に叩きつけることではなく、相手に対しこちらの主張を受け入れた方が「トータルで」メリットがあると伝える作業である。単にそちらの事情やら希望やらだけ叩きつけられても「知らんがな」で終わってしまう。
その辺の「メリット」を提示できない場合、長時間拘束して相手の根負けを狙うとか、意味不明な脅迫をするとかに移行しちゃう人多い
■ 人の話が処理出来ない奴へのアドバイス
一時期、人の指示を全然処理できない40代を複数名、相手にしてた事がある。
その時の経験から、ちょっと気づいた事をアドバイスしてみるよ。
まず、自分の解釈を傍に置いて、最後まで読んでくれ。
いいか、読み終わるまで、自分の解釈は傍に置くんだぞ。
■ 結論
結論から言うと
・相手の話を出来る限り一字一句聞き取る練習をしろ
・その際、相手の言っていない事は絶対に書き取らない
・聞き取れなかった部分は、相手に質問する、録音を再生する、などして欠けた情報を埋める事
これを仕事の中で出来る限り愚直にやれ。最適なのは議事録を書くこと。
※半年経っても伸びないなら小学・中学の国語ドリルを小学三年生分から全部やって、スキルアップをブーストさせる事。
■ 判断した根拠
そう判断した根拠は、次の文章にある。
今日も仕事で自分の提案資料に対して上司に指摘をうけたが、よくわからなくて途中から思考停止してた。
話が理解できないというか、意図がわからない、何が求められてるのかわからないって感じ。
この一文に問題が現れている。
・話が「理解」出来ない、と言うけど、何で話を「理解」しないといけないの?
・そもそも、相手のメッセージを正しく聞けてる?
・話を「理解」出来なかった後に「思考停止」するってどう言うこと?話聞くのをやめたの?
ということ。
■ 話を聞く時の癖
ここから一つの癖が浮かび上がってくるんだよ。
あんたは、相手の話をそのまま聞けていない。
もっと正確に言うと、相手の話は耳に入っているんだけど、それを素材に、自分で考え、情報を加工してしまっている癖がある。
もっと具体的な話をしようか。
指示されたことについて、
・「自分の解釈を加えずに」メモを取ることはできてる?
・「相手が言っていない事を加えずに」要約することは出来てる?
はっきり言うけど、これが出来ない人、多いのよ。
相手が喋っている時に、相手の言葉に自分の思考回路が反応しちゃうの。そして、自分の世界に入っちゃうの。
その結果、相手の話をキャッチする代わりに、自分の思考回路で加工した情報が頭に残ってしまうのよ。
■ 話を聞き損なった結果
その情報で仕事してみたら、どうなるかな?
当然「お前は指示を理解してるのか?」と、言われることになるわけ。
だって、言われてない情報に、自分で加工しちゃってるんだから。
指示した側の立場になってみれば分かるよね。
・「お前何言われてもないことしてんのよ」
・「勝手にXXされたら、こちらの意図が狂うんだけど」
となる。
それをあんたは、「話し手の意図を理解する」事でカバーしようとしてきた。相手の意図が理解出来てればズレないだろう?って。
違うんだよ。
話し手の立場になって考えてみなよ。余計な忖度して勝手に動く奴に、細かい指示なんか怖くて出せなくない?
そして、細かい指示出せないような奴に、もっとレベルの高いお願いなんか、出来なくない?という事。
だから、今必要なのは、あんたが
・「言われたことだけ」を愚直に記録し
・「言われたことだけをベースに」要約する
事なんだよ。
恐らく現状対応するべき事は、指摘者の話の中に含まれていて、それをお前がキャッチできていない可能性が高い。
少なくとも、正しく情報が聞けていれば、あとは個々のトピックの理解レベルの問題になっていき、課題の各個撃破が出来るようになるはずなのだけど、この書き込みからは、その前段階でつまづいているようにしか見えないのだよね。
■ 癖への対処法
人は、相手の話を聞くと、自分の頭の中で、自分の考えが走りそうになるんだ。多分これは人間の仕組み。
でも、その動きを一旦抑えて、相手が何を話したかを正確に聞き取れるかどうかで、差がついてくる。
必ずしも内容に全て同意する必要なんかない。
ただ、相手が何を言ったのかを加工せずに、保持し、記録しろ。情報に欠落があれば、その点を直後に(当人でも、同席者でも)確認しろ。
大事な事は、相手が話した事を原則加工せずに受け取る事。
そして、可能な限り、相手が話した内容について、理解できるまで質問をして補完すればよい。
■ 国語のスキル
最近、ホストに国語ドリル解かせる動画がバズってるのは知ってる?
1:40ごろから観て欲しいのだけど、
基本的には読解から思考をして
思考した内容を口からはく なので
その一番最初の段階の読解をミスると
全てを間違えてしまう
これが全て。
家族とのコミュニケーションとか、友達と遊ぶレベルであれば表面化しないけど、仕事では結構残酷に表面化するんだよ。
今俺が言ってるトレーニングの中には、「相手の言っていない事は絶対に書き取らない」がある。
悪い癖がどうしても抜けない40代もいるのよ。
大抵は国語力が欠けていて、勝手に脳内で情報補完する癖がついてるわけ。
もし、改善スピードが上がらないのであれば、小学・中学の国語ドリルからやった方が良い、ということ。
(こう言った時に勝手に小学のドリルをスキップしないのも大事だからな。何故小学からやり直すのか、を知りもしないのに勝手に手順を変更しない事)
相手が言った事を正確にキャッチする訓練が、あんたには必要なんだ。
■ 話を聞く訓練
世の中では、コーチングとかカウンセリングをやろうって人は基本、相手の話を聞くトレーニングを教育過程の何処かでやる。いわゆる傾聴って奴だ。
ぶっちゃけスクールでは出来ない人はとても多いけど、一人前にやってけるようになった人は、みんなこれを身に付けてる。
自分もこのトレーニングをやって、それまで本当に自分が相手の話を聞けていなかった、と涙したね。
トレーニング後は、一気に仕事が回るようになって驚いたよ。上司と話をするのが簡単になったし、他部署、他企業といった他流試合もよりスムーズに回るようになった。
人の話を正しく聞けるって、本当に大きいからな。
なお、この話は余談で、この手のトレーニングを受けろ、という話ではない。
■ まとめ
ところで、僕がここまで書いてきた事、ちゃんと頭に残ってる?
ここまで書いてきた事を一字一句、メモに取るのも練習だけど、ちょっと情報量が多いんだよね。
そんな時には要約が必要となる。
そんな時には、相手の言った事や書いたことの情報量を減らして記録する必要がある。
余分な文章を切り捨てて情報量を減らす、という事だ。
大事な事は、
・意味を変える→絶対NG
という事。
意味が限界まで変わらないようにしつつ、情報量を圧縮する。この練習を仕事の中でやれ。
自分がただお呼ばれしてるだけの会議があったら、議事録を取れ。そして添削してもらえ。
添削時に議事録の中で表現の書き換えをしてくる奴は師匠には向いていない。だから、別の師匠を見つけて議事録のスキルアップのお願いをしろ。
(追記: 正しい表現に直すのは必要。だが、全然違う表現に直す癖がある奴に教えを乞うのはよくない、という事)
■ 最後に
という事で全てを書いた。
要は相手の話を正しく聞けるように、癖を直すためのトレーニングを指示通りに愚直に行え、という事だ。
自分の解釈を傍に置いて読む事はできたか?
それが今より出来るようになる事が、読解力向上への道だ。自分の解釈を捨てて、正確に情報を取る練習をしろ。
自己流ではもう伸びない。気持ちはわかるが、今はそういうステージにいないことを理解した方がいい。
まあ、ここまで言ってもなお、自己流に固執するなら、一生もがき苦しむんじゃない?毎回人の意見の読解に失敗して、全てを間違えるんだから。
それが嫌だからここに書き込んだんでしょ。
だから、頑張れ。
知見や理論としては一理ありそうだけど、元の質問みたいな「話を聞いてる最中に思考を放棄してしまう」という癖は、親や上長などから理不尽な詰めを食らい続けた人が陥るある種の解離状態である可能性が高いように思われる。
これは訓練というよりはカウンセリングやSSTなどで「治療」すべき問題ではないだろうか。
グラフの作成によって批判的思考力を高めるためには適切な指導が必要だと言われており、そのような指導をする教員の負担などが学校教育にグラフを導入する上での大きな課題でした。特に日本では教員が忙しすぎるため負担を増やすわけにいきません。学習指導要領に沿った通常の授業において、教員に余分な負担をかけずにグラフを導入する必要があります。そこで共同研究チームは、最近の学校教育でグループディスカッション(協調学習)が盛んに行われていることに着目し、二つの高校での実験によって下記の仮説[H]の検証を試みました。
仮説[H]:通常の授業においてグループディスカッションの内容を表すグラフを生徒が共同作成することは教員の負担を増やすことなく可能であり、それによって生徒の批判的思考力が向上する。
テキストよりもグラフの方が文書処理の効率が高く、グラフを作成すると批判的思考力が高まるという先行研究の成果は、大学生以上の大人に関する知見であり、高校生でも同じことが成立するかどうかは不明でした。しかし、実験によって仮説[H]が証明されれば、高校生でもグラフの作成が批判的思考力を高めることが明らかになります。また、高校生にとってもテキストよりグラフの方が作りやすいことが証明はされないものの、示唆されることになります。
マインドマップとかKJ法的なイメージだろうか
他責性が強い人間が組織にいると、チームの雰囲気がよどむし、経営者の気分も悪くなる。とにかく、一刻も早く辞めて貰うしかない。ちなみに、他責タイプの人間で成果を出せている人は、社会人経験20年以上にして、今までただの一人も見ていない。まあ、成果を出していたら、他責する必要はないからね。
頭で理解するのが遅いのではなくて、実は、目の動くスピードと視野幅、が問題なのです。
英語話者の読書家は速読ができます=それは一文字ずつを認識するのではなくて 新聞などの横幅↓くらいを同時に認識する方法です
日本語では 漢字と平仮名が有るので、漢字を流し見してるだけで意味がそれなりに分かりますが、アルファベットではそれができないので、たくさんの情報を必要とする人や沢山本を読む英語話者は必ず 速読の練習をしています(自然に子供の時からできる人もいますが、ちょっとした訓練で日本人でもできますから、もし興味があったらやってみてください。)
1 TIME や 英語新聞 Readers digest などの 一定幅で切れて下へ向かって読むタイプの原稿を用意します
2 読み始めて 最初は一字一字を認識するのが日本人です
3 速読でいちばん大事なのは 切れているこれらの記事の 横幅全体を同時に認識できる 視野(Eye span) を作ることです(そのために、これらの文献は縦に配置されているのです)
4 ぱっとみて 左から右まで全部の単語を一度に感じる(意味は取らなくていいです)練習をします。
5 4が出来るようになったら 縦に視線を移していくだけで読む練習をします
これは「何故論文は2段組で印刷されることが多いのか?」に対する回答なのではないか?