(おそらく大学教員勢そういうのがめっちゃ多いと思うのだが…)就職してずいぶん経つまで、「相手が話し終わる前にさえぎって話を始める」ということが世間では蛇蝎のごとく嫌われる悪の所業なのだという自覚がほとんどなかった…。
というか「人の話を最後まで聞けない」勢めっちゃ多い気がしている。自戒を込めて。
手に入らないとわかった途端に手に入らなかったものを悪く言うのは本当にみっともないこと。
推しの熱愛がわかった途端に推しを悪く言うオタクや、未練があった元交際相手の幸福に私怨を募らせる人や、不採用になったお店を悪く言う人も全て
『酸っぱい葡萄』という寓話を知って欲しい。
その通りである
よっぽどヤバい勉強法をしている場合はしらないですけど、まあ大抵の場合は質より量ですよ。「教科書と青チャートを全部3回写経する」みたいな工夫もへったくれもない(そして私には確実に向いてなかった)勉強法でも、やった人はみんないい大学に行きました。
ほぼ全ての人間は正しく文章や数式や英文を読めないし回答作業の手順があやふやなので、成績依然の問題なんですね。で、よっぽどアホなことをしない限り、量をこなすと慣れるのでできるようになります。(逆に量以外は殆ど関係しない気がする)。接客でレジ打ちするのと同じですよ。
アホみたいに伸びてるので念のために補足すると、質を考えること自体は大事ですよ。流石に上の勉強法でたとえば東大理三とかに現役合格するんかとか言われると相当怪しいですし。まずは量をこ無し、色々と慣れて、最終的に質の高い手段を身につけろと言う意味です。
・最後は決めるだけだという考えを持つ
・目的や満たしたいことを明確にする
・最終的な決め方や期日を明確にする
・選択肢を広げて考える
・今は意思決定しない、という意思決定も選択肢に入れる
・意思決定の軸を明確にする
・軸をもとに定量/定性データを集める
・軸をもとに選択肢を評価する
・自分はこうしたいという"推し"を決めてたたき台にする
・ここまでの話をドキュメントにしている
・ここまでのプロセスに時間をかけない
・意見を聞く人を見定めてフィードバックをもらう
・最初に明確にした決め方で意思決定する
・意思決定できない場合は決め方と期日と意思決定軸を再定義する
・決定打にかける議論が続く時は自分はこうすべきと思う意見を出して対案を引き出す
・意思決定したことをドキュメントに残す
・意思決定したことを正解にするべくトライアンドエラーを高速でまわす
67: Trader@Live! 2014/05/05(月) 09:00:09.54 ID:yvxG4pM5.net
小さい子供が公園で遊んでいる
この子供が何をするかは予測不能だ
しかし鳩の群れに向かっていくのを見た瞬間、鳩が飛び立つのは予測できる
損をする人は子供の挙動に賭けているのだ、だから当たったりはずれたりする
子供が鳩の群れに向かうまで待つのだ、そして鳩が飛び立つのに賭ける
5年ぐらい前に公園でぼーっとしてる時に思った事
それ以来、勝てるようになった
2chの市況2板で、FXで資産が億を超えた人の書き込みらしい
「代案を出せ」は言葉の暴力である。なぜなら、(まともな)代案を出せない相手に言っているのがわかっているから。反撃ができない相手をボコボコにする、大人気のない行為である。それがわかっていても僕らはつい「代案出せ」を口にしてしまう。
理由は簡単。頭に来るからだ。ムカつくからだ。根底には「人の意見に反対するのならば、代わりとなるアイデアがあってしかるべきである」という他人に対する期待がある。その期待があるから、反対するだけなら子どもでもできる、という決めつけが生まれ、もし代案がないなら感情的な動機から反対しているだけなのでは? と疑いが生まれる。「同期社員同士の醜い争い」や「嫌いな相手を困らせたい」といったくだらない感情的な問題の帰結としての「反対」は存在する。まともな代案を出せない反対は、そういうものに見えてしまうのだ。
反対は違和感のあらわれ。そう捉えれば、自分の意見に対する反対表明についても、いちいち頭に来ない。ムカつかない。車の走行中に異音がしたら路肩に停車させて点検をするはずである。反対は異音なのだ。提案やアイデアに対して「反対!」が出たら「点検しろ!」のサインなのである。
しっかりとか、ちゃんととか、丁寧にとかで説明を終えるのを、私は「副詞に逃げる」と言って学生たちにはやめるように指示しています。その内容を具体的に説明しないとだめ。自分の頭の中には完成形が描かれているのでしょうが、説明を受ける側は何のことだかわからない。
教養とは「すぐに優劣をつけない力」だと思ってます。例えば「小説は良いが、漫画はダメ」ではなく「それぞれ良いところがある」と判断できるのが教養です。教養がないと白と黒の間にある「グレーゾーン」がわからなくなります。世の中のことは、たいていは「好みの問題」です。
交渉とは自分の事情を相手に叩きつけることではなく、相手に対しこちらの主張を受け入れた方が「トータルで」メリットがあると伝える作業である。単にそちらの事情やら希望やらだけ叩きつけられても「知らんがな」で終わってしまう。
その辺の「メリット」を提示できない場合、長時間拘束して相手の根負けを狙うとか、意味不明な脅迫をするとかに移行しちゃう人多い
■ 人の話が処理出来ない奴へのアドバイス
一時期、人の指示を全然処理できない40代を複数名、相手にしてた事がある。
その時の経験から、ちょっと気づいた事をアドバイスしてみるよ。
まず、自分の解釈を傍に置いて、最後まで読んでくれ。
いいか、読み終わるまで、自分の解釈は傍に置くんだぞ。
■ 結論
結論から言うと
・相手の話を出来る限り一字一句聞き取る練習をしろ
・その際、相手の言っていない事は絶対に書き取らない
・聞き取れなかった部分は、相手に質問する、録音を再生する、などして欠けた情報を埋める事
これを仕事の中で出来る限り愚直にやれ。最適なのは議事録を書くこと。
※半年経っても伸びないなら小学・中学の国語ドリルを小学三年生分から全部やって、スキルアップをブーストさせる事。
■ 判断した根拠
そう判断した根拠は、次の文章にある。
今日も仕事で自分の提案資料に対して上司に指摘をうけたが、よくわからなくて途中から思考停止してた。
話が理解できないというか、意図がわからない、何が求められてるのかわからないって感じ。
この一文に問題が現れている。
・話が「理解」出来ない、と言うけど、何で話を「理解」しないといけないの?
・そもそも、相手のメッセージを正しく聞けてる?
・話を「理解」出来なかった後に「思考停止」するってどう言うこと?話聞くのをやめたの?
ということ。
■ 話を聞く時の癖
ここから一つの癖が浮かび上がってくるんだよ。
あんたは、相手の話をそのまま聞けていない。
もっと正確に言うと、相手の話は耳に入っているんだけど、それを素材に、自分で考え、情報を加工してしまっている癖がある。
もっと具体的な話をしようか。
指示されたことについて、
・「自分の解釈を加えずに」メモを取ることはできてる?
・「相手が言っていない事を加えずに」要約することは出来てる?
はっきり言うけど、これが出来ない人、多いのよ。
相手が喋っている時に、相手の言葉に自分の思考回路が反応しちゃうの。そして、自分の世界に入っちゃうの。
その結果、相手の話をキャッチする代わりに、自分の思考回路で加工した情報が頭に残ってしまうのよ。
■ 話を聞き損なった結果
その情報で仕事してみたら、どうなるかな?
当然「お前は指示を理解してるのか?」と、言われることになるわけ。
だって、言われてない情報に、自分で加工しちゃってるんだから。
指示した側の立場になってみれば分かるよね。
・「お前何言われてもないことしてんのよ」
・「勝手にXXされたら、こちらの意図が狂うんだけど」
となる。
それをあんたは、「話し手の意図を理解する」事でカバーしようとしてきた。相手の意図が理解出来てればズレないだろう?って。
違うんだよ。
話し手の立場になって考えてみなよ。余計な忖度して勝手に動く奴に、細かい指示なんか怖くて出せなくない?
そして、細かい指示出せないような奴に、もっとレベルの高いお願いなんか、出来なくない?という事。
だから、今必要なのは、あんたが
・「言われたことだけ」を愚直に記録し
・「言われたことだけをベースに」要約する
事なんだよ。
恐らく現状対応するべき事は、指摘者の話の中に含まれていて、それをお前がキャッチできていない可能性が高い。
少なくとも、正しく情報が聞けていれば、あとは個々のトピックの理解レベルの問題になっていき、課題の各個撃破が出来るようになるはずなのだけど、この書き込みからは、その前段階でつまづいているようにしか見えないのだよね。
■ 癖への対処法
人は、相手の話を聞くと、自分の頭の中で、自分の考えが走りそうになるんだ。多分これは人間の仕組み。
でも、その動きを一旦抑えて、相手が何を話したかを正確に聞き取れるかどうかで、差がついてくる。
必ずしも内容に全て同意する必要なんかない。
ただ、相手が何を言ったのかを加工せずに、保持し、記録しろ。情報に欠落があれば、その点を直後に(当人でも、同席者でも)確認しろ。
大事な事は、相手が話した事を原則加工せずに受け取る事。
そして、可能な限り、相手が話した内容について、理解できるまで質問をして補完すればよい。
■ 国語のスキル
最近、ホストに国語ドリル解かせる動画がバズってるのは知ってる?
1:40ごろから観て欲しいのだけど、
基本的には読解から思考をして
思考した内容を口からはく なので
その一番最初の段階の読解をミスると
全てを間違えてしまう
これが全て。
家族とのコミュニケーションとか、友達と遊ぶレベルであれば表面化しないけど、仕事では結構残酷に表面化するんだよ。
今俺が言ってるトレーニングの中には、「相手の言っていない事は絶対に書き取らない」がある。
悪い癖がどうしても抜けない40代もいるのよ。
大抵は国語力が欠けていて、勝手に脳内で情報補完する癖がついてるわけ。
もし、改善スピードが上がらないのであれば、小学・中学の国語ドリルからやった方が良い、ということ。
(こう言った時に勝手に小学のドリルをスキップしないのも大事だからな。何故小学からやり直すのか、を知りもしないのに勝手に手順を変更しない事)
相手が言った事を正確にキャッチする訓練が、あんたには必要なんだ。
■ 話を聞く訓練
世の中では、コーチングとかカウンセリングをやろうって人は基本、相手の話を聞くトレーニングを教育過程の何処かでやる。いわゆる傾聴って奴だ。
ぶっちゃけスクールでは出来ない人はとても多いけど、一人前にやってけるようになった人は、みんなこれを身に付けてる。
自分もこのトレーニングをやって、それまで本当に自分が相手の話を聞けていなかった、と涙したね。
トレーニング後は、一気に仕事が回るようになって驚いたよ。上司と話をするのが簡単になったし、他部署、他企業といった他流試合もよりスムーズに回るようになった。
人の話を正しく聞けるって、本当に大きいからな。
なお、この話は余談で、この手のトレーニングを受けろ、という話ではない。
■ まとめ
ところで、僕がここまで書いてきた事、ちゃんと頭に残ってる?
ここまで書いてきた事を一字一句、メモに取るのも練習だけど、ちょっと情報量が多いんだよね。
そんな時には要約が必要となる。
そんな時には、相手の言った事や書いたことの情報量を減らして記録する必要がある。
余分な文章を切り捨てて情報量を減らす、という事だ。
大事な事は、
・意味を変える→絶対NG
という事。
意味が限界まで変わらないようにしつつ、情報量を圧縮する。この練習を仕事の中でやれ。
自分がただお呼ばれしてるだけの会議があったら、議事録を取れ。そして添削してもらえ。
添削時に議事録の中で表現の書き換えをしてくる奴は師匠には向いていない。だから、別の師匠を見つけて議事録のスキルアップのお願いをしろ。
(追記: 正しい表現に直すのは必要。だが、全然違う表現に直す癖がある奴に教えを乞うのはよくない、という事)
■ 最後に
という事で全てを書いた。
要は相手の話を正しく聞けるように、癖を直すためのトレーニングを指示通りに愚直に行え、という事だ。
自分の解釈を傍に置いて読む事はできたか?
それが今より出来るようになる事が、読解力向上への道だ。自分の解釈を捨てて、正確に情報を取る練習をしろ。
自己流ではもう伸びない。気持ちはわかるが、今はそういうステージにいないことを理解した方がいい。
まあ、ここまで言ってもなお、自己流に固執するなら、一生もがき苦しむんじゃない?毎回人の意見の読解に失敗して、全てを間違えるんだから。
それが嫌だからここに書き込んだんでしょ。
だから、頑張れ。
知見や理論としては一理ありそうだけど、元の質問みたいな「話を聞いてる最中に思考を放棄してしまう」という癖は、親や上長などから理不尽な詰めを食らい続けた人が陥るある種の解離状態である可能性が高いように思われる。
これは訓練というよりはカウンセリングやSSTなどで「治療」すべき問題ではないだろうか。
グラフの作成によって批判的思考力を高めるためには適切な指導が必要だと言われており、そのような指導をする教員の負担などが学校教育にグラフを導入する上での大きな課題でした。特に日本では教員が忙しすぎるため負担を増やすわけにいきません。学習指導要領に沿った通常の授業において、教員に余分な負担をかけずにグラフを導入する必要があります。そこで共同研究チームは、最近の学校教育でグループディスカッション(協調学習)が盛んに行われていることに着目し、二つの高校での実験によって下記の仮説[H]の検証を試みました。
仮説[H]:通常の授業においてグループディスカッションの内容を表すグラフを生徒が共同作成することは教員の負担を増やすことなく可能であり、それによって生徒の批判的思考力が向上する。
テキストよりもグラフの方が文書処理の効率が高く、グラフを作成すると批判的思考力が高まるという先行研究の成果は、大学生以上の大人に関する知見であり、高校生でも同じことが成立するかどうかは不明でした。しかし、実験によって仮説[H]が証明されれば、高校生でもグラフの作成が批判的思考力を高めることが明らかになります。また、高校生にとってもテキストよりグラフの方が作りやすいことが証明はされないものの、示唆されることになります。
マインドマップとかKJ法的なイメージだろうか
他責性が強い人間が組織にいると、チームの雰囲気がよどむし、経営者の気分も悪くなる。とにかく、一刻も早く辞めて貰うしかない。ちなみに、他責タイプの人間で成果を出せている人は、社会人経験20年以上にして、今までただの一人も見ていない。まあ、成果を出していたら、他責する必要はないからね。
頭で理解するのが遅いのではなくて、実は、目の動くスピードと視野幅、が問題なのです。
英語話者の読書家は速読ができます=それは一文字ずつを認識するのではなくて 新聞などの横幅↓くらいを同時に認識する方法です
日本語では 漢字と平仮名が有るので、漢字を流し見してるだけで意味がそれなりに分かりますが、アルファベットではそれができないので、たくさんの情報を必要とする人や沢山本を読む英語話者は必ず 速読の練習をしています(自然に子供の時からできる人もいますが、ちょっとした訓練で日本人でもできますから、もし興味があったらやってみてください。)
1 TIME や 英語新聞 Readers digest などの 一定幅で切れて下へ向かって読むタイプの原稿を用意します
2 読み始めて 最初は一字一字を認識するのが日本人です
3 速読でいちばん大事なのは 切れているこれらの記事の 横幅全体を同時に認識できる 視野(Eye span) を作ることです(そのために、これらの文献は縦に配置されているのです)
4 ぱっとみて 左から右まで全部の単語を一度に感じる(意味は取らなくていいです)練習をします。
5 4が出来るようになったら 縦に視線を移していくだけで読む練習をします
これは「何故論文は2段組で印刷されることが多いのか?」に対する回答なのではないか?
デジタル人材と言ったって、製造とデジタルにかかわる局面に限っても、カバーすべき知識範囲は非常に広い。だから、その全体を教えることなど不可能に近い。ただし幸いにも、日本の製造業に携わる人達は、今も概ね、優秀だ。そういう人たちにとって大事なのは、方法を学ぶことで、個別の知識を覚えることではない。
そこで全体の見取り図だけを示して、あとは受講者が自分の頭で考え、必要な知識の水源には、自分の力で到達できるようにすべきだと思った。だが、日本の教育の文脈の中で、こんなふうに考える人間は、どうやら少数派らしい。
では、多数派の人は、「学び」や「教え」を、どう捉えているのか。それは、大学の教養課程での授業を思い出してみれば分かる。学生は大教室に集められ、先生方の講義を聞かされる。とても一方的な、知識伝達である。
先生は最後に試験をして、理解度を評価する。そして採点し、成績簿で通知する。そしてこれが「教育」の姿だと思われている。
知識と言うのはある意味、結果である。考えると言う探求行為がたどり着いた結果である。大学の講義が一方的な知識の伝達に終始している事は、一番肝心な考えるというプロセスについては、教える気がないことを意味している。
それどころかもしかすると、大学の先生たちは、考えるというプロセスを言語化し、あるいはモデル化して、意識に全景化することをすら、怠ってきたのかもしれない。自分たちは教えられずとも、無意識に、上手にできている。それは自分達に素質があるからだ。だから教育とは、素質のある学生を、試験を通じて拾い出すことに他ならない、と。
インプット学習とは、知識情報の取得である。これに対して、アウトプット学習とは、自分が得た知識、情報材料にして、自分の頭で考え、自分で論理を組み立て、自分で言語化することを練習する過程だ。学生は、最後に、卒業制作なり、卒業論文なりを作ることを求められる。そこには特段の正解は無い。これがアウトプット学習である。
アウトプット学習には、自分の頭で考え、他者と議論すると言うプロセスが不可欠だ。それによって初めて、取得した知識、情報を、多少なりとも、自分の血肉にする事ができるのである。教育には、あるいは人財の育成には、インプット学習とアウトプット学習の組み合わせが必須である。そして順番は、この順序でしかできない。
「HIROEN」とは、タスクをブレイクダウンするときの視点に関するフレームワークです。
H Hear:聞く 誰かに聞いておくこと・確認したいこと
I Inform:知らせる 誰かに伝えなければいけないこと
R Request:頼む 誰かに頼まなければいけないこと
O Operate:作業 自分が行う作業
E Examin:調査・検討 調査や検討をしなければいけないこと
N Negotiate:交渉する 誰かと交渉しなければいけないこと
好き嫌いを言っていたらこの世では生きていけない。でも、些細ななことにしろ自分に実害をもたらす人は放っておけない。だんだんつけあがってくる。こういう人は強い意思で遠ざける。そうしなければ貴方の人生は泥足で荒されるだけになる。
チェスタトンが指摘したのは、改革を行うときの「二次的思考」の重要性です。チェスタトンは「道路に設けられたフェンス」という例を挙げて、「近代的な改革者ならば、『このフェンスが使われているのを見たことがない。だから撤去しても問題はない』と気軽に主張します。しかし、賢い改革者はそういった人に対して『このフェンスが使われたところを見たことがないというのは、撤去する理由にはなりません。あなたがこのフェンスが置かれた理由を理解したとき、撤去について検討しましょう』と応じるはずです」と著作の中で論じました。
「二次的思考」は何か解決策を考え出した後に、「その解決策が与える影響は何か」「その手段を採ったとき、その次に起こりうる問題はどうか」まで考え抜くという思考法です。
これについて、「フェンスは地面から生えてきたわけでもなく、狂った人々が建てたわけでもないため、フェンスを建てた人たちは『こうしたほうが良い』と思うだけの理由があったはず」とチェスタトンは説明します。過去にフェンスを建てた人の動機を理解しないと、いつか意図しない結果が生じるというのがチェスタトンの主張です。Farnam Streetはこのチェスタトンの主張について「フェンスが存在するのならば、そこには何かしらの理由がある」と解説し、この主張から得られる教訓を「そもそもフェンスが設置された理由を理解するまで、フェンスを撤去するな」と簡潔に要約しました。
指導力のあるリーダーになりたいなら、不屈の精神を持たなければならない。本当の意味での不屈の精神は、人びとを勇気づけて引きつける。自分に確信があることを人びとに伝えられる。
あなたが自分の主義・主張を信じるときにのみ、人びとはあなたを信じる。人びとは人物を信じてから、その人物のビジョンを信じるのだ。
不屈の精神という観点に立つと、この世には4種類の人間しかいない。
・失敗者…目標も不屈の精神も持たない者。
・臆病者…目標を達成できるかわからず、真剣に取り組もうとしない者。
・落伍者…目標に向かって出発するのだが、困難に直面して投げ出す者。
・成功者…目標を設定し、不屈の精神を持ってやり通す者。
優しさ・謙虚さ・思慮深さは、相手も同じ性質を持ってる場合だけ有効で、そうじゃない場合は「便利なやつ」と思われて都合のいいように利用されて終わる。人徳も環境が間違っていれば発揮されない。「良い人」が活きるのは「良い人」に囲まれてるとき。
そして、良貨が悪貨に駆逐されるように「良い人」で構成されたコミュニティは悪意に脆弱ですぐに崩壊する。
単純で素朴な「良い人」はそのような世界を生きることはできないから、「良い人」の数は減っていく。
とはいえ、それぞれがお互いを信用しないギスギスしたコミュニティは安全性が低すぎて、これまた長続きしない。
すると、必然的な帰結として「信用できる人間達だけで構成された居心地の良いコミュニティ」を作ろうという発想になる。
そして歴史は繰り返される。
「先延ばし(procrastination)」が心理学の概念として定義されていることを最近知ったんだけど、先延ばしは、課題に「いま」直面することを避けられるがゆえに「報酬」として機能して、思考や行動のパターンとして「学習」されてしまう、というのは大事なポイントと思う。私もそうなりがち。
自分ではやばいやばいとは思っているんだけど、心のどこかでは「これで課題に直面するのひとまず避けられる…」とホッとしてるんですよね。でも、(特に仕事では)永久に課題を先延ばしすることは無理だから、どこかで破綻してしまう…
「なんで挑戦しなきゃいけないの😩」と言う人にお届けしたい名言があります。それは携帯電話市場で14年間首位を独走した後にほんの4年間で株式時価総額の90%を失ったノキアCEOの言葉「何もミスはしていないのに、なぜか負けた」です。周りが成長している時の現状維持、それは相対的には衰退なのです。
素直に認めよう、我々は文字を読むのが得意なのではない。普通の人より耳が弱いんだ。機能性難聴に近いものがあると思うよ。聴力というか認識が難しいやつだから同じではないにしても。
「文章が得意」じゃなくて「動画が苦手」ってちゃんと認識した方が色々と生きやすいですよ
自分も聴覚が鈍いところがある。
意思決定プロセスを構成する 7 つのステップ
- ステップ 1: 決断する必要がある事柄を特定する
- ステップ 2: 関連情報を集める
- ステップ 3: 代替の解決策を特定する
- ステップ 4: エビデンスを分析する
- ステップ 5: 代替の選択肢を選ぶ
- ステップ 6: 行動に移す
- ステップ 7: 意思決定の内容とそのインパクト (良い点と悪い点) を見直す
「演繹法(演繹的思考)」とは?
すでにあるルールに当てはめて結論を出す思考法。
・演繹法に使えるルール-1:因果関係
・演繹法に使えるルール-2:基準
・演繹法に使えるルール-3:方針
・演繹法に使えるルール-4:価値観
[...]演繹法の頭の使い方は、
- すでにあるルールを元に=前提
- ルールに当てはめて物事を考え=推論
- 結論を出す=結論
という「前提→推論→結論」の関係で成り立っていることがわかる。
親族が借金苦で自殺した時債権者が葬式で香典だしながら「一応取り立てって体なんで1000円だけ払ってもらっていいすかね?」ってやるやつ
邪悪過ぎる知見だ
40代以上の人に話を聞くと、30代まではキャリアも人生も永遠に上り坂のように錯覚するから頑張れるけど、40歳すぎると人生折返したことを自覚する。引退や死がリアルに見えてくるからキャリアが永遠に続くことを前提にしたような頑張りが効かなくなると口を揃えて言う。価値観の転換が起きる。
40代で独立する人は多い。それは人生の有限性に気づくから。他人の人生を生きている時間なんてない、自分の人生を生きなければいけないと感じる。もちろん生活のためのお金は必要。ただ縦方向にお金や役職を増やしていくことに価値を感じる人がどんどん減っていく。
会社員で働くにせよ。お金よりも自分の興味や裁量を重視した動きになる。独立や起業ができる人はしていく。子供がいる人は子供の教育が一番に来る人も多い。そういう人は子供の教育や生活のために頑張るようになる。これも立派な選択だと思う。とにかく人生の有限性を感じるようになる。
最近感じる、仕事できない人の特徴
・自責:0
・素直じゃない
・日本語の読解力が低い
・要点を外すのが天才的
・時間がない、と言い訳
・話が長い&要点が不明確
・優先順位という概念がない
・些末な話を会議の冒頭で話す
・自分が無能だと気付いてない
・Aやれと指示するとBが出てくる
最近出会った仕事できない人の特徴
・主体性ゼロ
・顧客目線忘れてる
・何回も同じ事を聞く
・自分で決め切らない
・ゴールから逆算出来ない
・仕事の解像度メチャ粗い
・優先順位という概念がない
・タスクの目的を理解していない
・無駄な会議設定し皆の時間奪う
・会議本番で質問せず個別DMで質問
まぁ、陰でボロクソに言われるよね
嫌われる人の最大の特徴は「聞いてもいないのに、余計な一言を言うこと」です。こんなにコスパのいい嫌われ方はないです。
↑のフォーマットを更にコンパクトにしたもの。「説明」項目は思ったより煩雑になるので省略した。
構造は↓の通り。
- [主張-N]・・・
- [根拠-N]・・・
- [根拠-N]・・・
- [根拠-N]・・・
- [主張-N]・・・
- [根拠-N]・・・
- [根拠-N]・・・
- :
主張と根拠をシンプルに箇条書きにするフォーマット。多くの場合、これで十分だった。
まず、書きたいことを、箇条書きでぐわーっとメモ帳に書く
脈絡なく、思いついたことを、思いつくままに。
で、ひととおり箇条書きしたら、全体を見て「1」「2」と順番を振っていく。
書き出しによさそうなエピソードには「1」、そのエピソードから本論に入るつなぎとして使えそうな表現は「2」、みたいな感じで。
あとから「やっぱりこれは1のあとに入れたい」というものが出てきたら、「1.5」と書く。
そしてそのメモを片手に、パソコンでカタカタと打ち込んでいく。
殴り書きを読んでみると、似たような主張が続いていたり、ちょっと脱線して浮いているエピソードがあったり、例え話が連続して読みづらかったりするポイントがある。
それを、より洗練された文章にするために、並び替えていく。
似たような主張は一番しっくりくる場所に集めて、流れ的に「ん?」となる内容は思い切って消して、例え話はいいやつだけ残して順番をいじって……と、文章を組み立てたり解体したり。
話の流れがきれいになるように並び替え、わかりやすくなるように削っていくと、6000字くらいの殴り書きがだいたい5000字くらいまで減る。
並び替え作業で文章を整理して読み直すと、その記事で自分が伝えたいこと、しっくりくるゴールが、しぜんと見えてくる。
「こういうふうにまとめたら丸く収まるな」という着地点を最後に付け足せば、「記事」ができる。
丁寧な言葉を使って対応したら相手を格下だと判断して無礼な態度を取り出す人は本当にいて、弁護士でさえやられたりするので、これを避けるために初対面ででかい態度を取ることが最近ありました。職責を果たすために必要だからやむを得ずでかい態度を取る場合もあるというのが最近の気づき。
丁重に扱われると自分が格上になったように感じる輩は一定層いるのだ
経営15年やっている女性の先輩が、人にお願いがある時は「お願いがあるんですけど」じゃなくて「相談があるんですけど」っていうと協力してもらえる確率があがる、これでアタシは切り拓いてきた。といってたので取り入れたら、確実に親身になって聞いてもらえ度アップしたから、これはお宝ワードだな
すべてではないけど、「お願い」といわれると、時間や気持ちを、さかなければいけない、やることが増えるというイメージがよぎるらしいです。人は、「あてにされるのはイヤだけど、頼りにされるのは嬉しい。」みんな奥底に頼りにされたら、役に立ちたいという性質があるんだな、と大発見だったのです。
「お願い」は現代の日本社会では暗黙的な強制だったり行動の制限を連想させるから心理的な抵抗感がまぁまぁ大きい。
相談はまだそういうイメージが無く、なんとなく「決定権が自分にある」ように感じるので気分よく話を聞けるのだ。
契約書を読む時の裏技なのですが、甲を「オレ」、乙を「お前」と読み替えると、内容がすっと頭に入ってきます。丙がでてきた場合は「大五郎」で。
甲が乙に納品した成果物は乙の検収をもって丙に引き渡したものとする
↓
オレがお前に納品した成果物はお前の検収をもって大五郎に引き渡したものとする
知見だ
私自身、物事を分かりやすく伝えるスキルを身に着けるため、手あたり次第に、いくつかノウハウ本を読んだり、YouTube動画を観たりしてきました。本記事では、本や動画から得られたノウハウや、私が普段の仕事で発見した個人的に使っているテクニックをまとめてみました。
そういやSIerの現場で怒られが発生しそうなミーティングには、元力士とかの営業を連れていって睨みを利かすことで、怒られを最小限に抑えるという手法を見たことがあります
知見だ
「酔って眠ってる人の手をぬるま湯に浸すと高確率で漏らす」という、魅力的すぎる豆知識を得てしまった…
知見だ。
とはいえ、これはシャワーしながら小便する奴限定な気がする。
進捗がない
↓
面目なくて連絡できない
↓
すごい進捗を出してから連絡して、面目を保とうとする
↓
普通の進捗すら出てないんだ。できるわけがない
↓
すでに先方の連絡を無視しすぎておりとても連絡できない
↓
そして音信不通へ・・・
※田中自身の事例
あなたがこの状況になってしまい「進捗がない!怖くて連絡できない!どうしたらいいんだ!」とパニックになった時の正解もはっきり書いておきます。「進捗がありませんでした」と可能な限りはやく伝える事です。
それが一番マシな結果になります。がんばって。
自衛隊で初めて異動したとき、中隊長から「最初の半年は常に全力で働きなさい」と教わりました。信頼関係ができるまでに6か月は必要とのことでした。また、最初に信頼できる人と思われると、その印象が変わることはほとんどないとも言ってました。これは異動だけでなく、転職でも役に立った知識です。
第一印象は大切
どっかの親方みたいな社長だったかエンジニアだったかギャルだったかが「メンタル病む原因の9割が実力不足じゃね?」って言ってた気がするんやが、ワイもこれは一理どころか五理ぐらいある気がする。一定の能力があれば病む前に病む環境・原因をなんとかするか離れる選択をするやろしおろし。
その理論だと新人とかはどうしようもないのでは
勘違いしてる人多いと思うんですが、皆さん上司から使われてちゃダメですよ。上司は使ってなんぼ。目標達成の支援、仕事のやりづらさの排除、上司が持つ社内外人脈の継承、など上司をどう使って気持ちよく仕事を進めるか?上司を動かすためにどんな宿題を出すべきか?これを考えてる「部下」は伸びますね
陸上自衛隊にいるときにどんなに人柄が良い人でも「睡眠不足でご飯が食べれないと不機嫌になる」ということを学びました。自分の機嫌を良くするには「しっかりとご飯を食べる」そして「よく寝る」ことが大切だと思いました。誰かに優しくしたければ、まずは自分を優しくしてくださいね。
フィードバックが天才的に上手な上司が、「褒めるときはヒトを主語に、注意をするときはモノを主語にする」と言ってました。褒める時は「〇〇さんが頑張って仕事をしてくれた」と、名前を前面に出す一方、注意する時は「この資料に誤入力があるので修正が必要」と、資料を対象にする。凄く本質的な知識
経営を14年やってきて、これ本当に大切だなぁとおもうのは「売上をあげる」よりも「売らない人を決める」でした。お客様の満足度とか、クレームがほぼ無くなったりするだけじゃなくて、経営が安定するんですよね。とにかく目先の売上を上げるために、誰でもカモン状態なら長く経営するのはすごく難しい
「とにかく売る」「値下げしても売る」はずっと不安定。
零細〜中小企業が誰でもカモン・薄利多売戦略やっても企業の体力が保たないのだ
IPCC 報告書において、可能性とは、不確実性を定量的に表現する用語であり、観測又はモデルによる結果の統計的な解析や専門家の判断に基づき、下表の確率的な表現で、斜体で表記されます。可能性は、十分な確信度と定量的又は確率的な証拠がある場合に評価されます。
・99~100% → ほぼ確実
・95~100% → 可能性が極めて高い
・90~100% → 可能性が非常に高い
・66~100% → 可能性が高い
・50~100% → どちらかと言えば可能性が高い
・33~66% → どちらも同程度の可能性
・0~33% → 可能性が低い
・0~10% → 可能性が非常に低い
・0~5% → 可能性が極めて低い
・0~1% → ほぼあり得ない
嫌な事されても1回目は許せ。2回目で警告しろ。3回目でやり返せ。やられるたびにやり返していたらキリがないが、どっかのタイミングでやり返さないと弱者認定されてやられ続ける事になる。許すのは1-2回だけにしておけ。優しさだけじゃ生きていけない。世の中には優しさを弱さと勘違いするアホがいる。
昔大きめの会社から来た経営企画の人に言われた
「辞めさせたい人にパワハラとかリスクも大きいしやる必要ないです。定期考課で数千円単位のちょっとでいいので毎回減給させれば必ず辞めます」
って言葉が怖すぎて思い出すと今でも泣いちゃう
かなり前に東京地裁部総括による裁判官的に読みやすい準備書面のメモが出てきた
①まずは要件事実が前提なので、要件事実を全く無視した書面を読むのは苦痛。
②事件の流れが分かるように時系列をしっかりと認識した書面を書いてもらいたい。時間軸が行ったり来たりする書面は分からない。
③鳥の目(全体を俯瞰する目、マクロの目)と虫の目(特定部位に集中する目、ミクロの目)を両方持ってもらいたい。ただ、裁判官は鳥の目を重視しがちなので、ミクロの部分は全体の中でどう重要なのかを意識してもらいたい。
④手当たり次第主張している書面は、自信がないのかな?という推定をもつ。
枝葉末節よりも幹の部分を論じて欲しい。枝葉末節に妙にこだわる弁護士もいるが、裁判所としては苦痛。
⑤弁護士は代理人なので本人が熱くなっても冷静でいてもらいたい。たまに本人以上に熱くなっている弁護士がいるが、書面は抑え気味に記載した方が理解が進む。
⑥下級審判例と最高裁判例は全く違う。下級審は良い論理があったら参考にする程度。また、ちゃんと判決の原典に当たっていない準備書面が多く、実際に原典に当たってみると全然違う事案についての裁判例であることがままある。
⑦文献については、ポピュラーなもの(注釈民法等)はともかく、引用元の
表示とコピーを提出してもらいたい。
⑧口頭弁論期日及び弁論準備手続期日において、口頭で準備書面の内容を補足し、プレゼンテーションしてもらうことは大歓迎。別途プレゼン用の資料を交付してもらっても良い。裁判官としては、口頭主義を基本としているつもりとのことでした。
全ての裁判官がそうなのかは不明ですが、参考になります。あと、口頭での説明は歓迎されているんですね。ちょっと意外でした。これはこの裁判官の好みかもしれません。
1. 人の気持ちを勝手に想像しない
2. 愚痴ばかりの人とは関わらない
3. 飲み会は二次会・三次会まで付き合わない
4. 会話の沈黙を恐れない
5. 自分の弱みを隠そうとしない
6. 人と自分を比べながら付き合わない
7. 「イベント」を楽しみたいときは団体行動しない
8. 周囲に求められるキャラクターを演じない
9. 他人に変わってくれることを期待しない
10. 声が好きになれない人は基本的に合わないので無理に仲良くしない
声や笑い方が好きになれない人は申し訳ないが一緒にいるだけで不快指数が上昇するから仕方無い
マネジメントされる時によく「何がやりたいの?」「Willは?」と聞かれるんだが、いつも困る。特にないので、お困りのことお申し付けくださいと言いたくなるんだけど、最近、この質問は「Willで生きてる人」向けで、自分は「mustで生きてる人」だから合ってないという結論に至った。
Willで生きてる人は、自分の中から勝手にやりたい、なりたいが湧いてくるし、それに対する熱量もすごい。逆に義務は苦手。好きな仕事はめっちゃのめり込んですごいバリュー出すけど、頼まれ仕事ちゃんとやらないとか期限守れないとかはこのタイプ。
Mustで生きてる人間は「ねばならぬ」に対する熱量の方が強いので、頼まれ仕事を相手の期待に沿って出す方が得意。期限は守らねばならぬし、期待には答えねばならぬ。逆にやりたい事やっていいよ!と言われると、期日もないし、やってる事が価値あるのか不安になるからやりたくない。
というわけで、Will can mustのかわりに、私用にMust can cannot のフレームワークを提唱します 🙃
【4つの質問】
(1) 我々は何をやろうとしたのか?
作戦の内容・目的を振り返り、共通認識します。
(2) 実際には、何が起きたのか?
証言・記録を多角的に検証。事実判定のみ行います。
(3) なぜそうなったのか?
責任追及せず、原因究明に集中。地位にとらわれず平等に発言します。
(4) 次回なすべきことは何か?
失敗の原因を理解した上で、あくまでも自分たちができる範囲での対策を導き出します。
SEES分析
●【第1段階】状況認識(Situational awareness)
何が起こっているのか、何に直面しているのか
●【第2段階】事実説明(Explanation)
いま目にしているものをなぜ見ているのかという関係者の動機
●【第3段階】状況予測(Estimates)
事態が異なる状況のもとでどう進展するか
●【第4段階】戦略的警告(Strategic notice)
何がいずれ問題になりそうか
その通り、「何者かになりたい」「他人から認められたい」「特別な存在として扱われたい」といった承認欲求は要はグループへの所属欲求で、集団の構成員として求められる為には「集団にとって有益でユニークなスキルやタレント持ち」である事、すなわちコアリショナルバリュー(CV)を高める必要がある。
発達障害者の処世術
・人並みの幸せは諦める
・障害のことは人前では一切口にしない
・どちらに進んでも悪い方向にしか行かないのだから、悪い中でもマシなほうの選択肢を選ぶしかない
・親しげに近づいてくる奴は見下して優越感を感じようとする自己愛性人格障害者か、いいように利用したり搾取しようと企む性悪定型のどちらかしかいないと心得るべし
・沈黙は金以上なり
・飲み会や宴席にはなるべく参加しない。参加しても一切喋らない
・冗談やジョークを言わない
・口に出すのは挨拶と感謝と謝罪だけにすべし
・人前で趣味や遊びの話は絶対に口にしないこと
・雑学的な知識を人前では見せないこと
・自分の得意分野の話題になっても一切口を開かないこと
・はしゃがない。笑わない。
・「心を開け」「自分を出せ」「言いたい事があるなら言おうよ」といった言葉に騙されるな
・定型の言う事には必ず裏があると心得るべし
・定型=嘘つき、二枚舌ということを心得るべし
・職探しは給料の額面よりも休日の多さ、残業の少なさ、一人作業が多い仕事かどうかを基準に選ぶ
・なるべく大規模な職場を選ぶこと
・人間関係はトラブルしか生まない
・人付き合いやコミュニケーション、ビジネスのハウツー本は発達障害者にとっては何の参考にもならない
・発達障害者が「馬鹿になれ」を真に受けて実行すると怒りや恨みを買うか、さらにバカにされるかしかないことを心得るべし
・絶対に自分を出さないこと
・孤立や孤独は発達障害者の運命だと思って諦めること
・他人と会話がしたいならネットの掲示板だけに留めておくこと
人間は自由だからなにしてもいいしなにもしなくてもいい
それお前の趣味な
そんなにしたいならお前がすればいいのでは?
嫌だししたくない
どうでもいいしなんでもいい
[...]うまく反論するとはどういう意味なのか? ほとんどの読み手は単なる中傷と入念に論じられた反論の違いを区別できるが、私はその中間の段階に名前をつけることは役に立つと思っている。なので、これは反論ヒエラルキー(DH: Disagreement Hierarchy)への試みである。
その反論ヒエラルキーが↓。レベルが上がるほど上等になる。
・DH0:中傷
・DH1:人格攻撃
・DH2:論調に反応する
・DH3:反対する
・DH4:反論する
・DH5:論破する
・DH6:主張の中心点に反論する
反論レベル1:単なる罵倒
反論のなかでももっとも質の悪いもの。
ただ、もっとも頻繁に見られる反論でもある。
たとえば「この低脳が!!」と怒鳴る上司などがそうだ。
ただただ感情的に反応しているだけで、
何ら建設的な意見を言っていない。
このような反論は、完全に無視していいだろう。
少し表現力のある人であれば、
たとえば「あなたは少し考えが足りないのではないでしょうか?」
のようにもったいぶった表現をするかもしれない。
結局言っていることは同じで、単なる罵倒でしかない。
反論レベル2:人格攻撃
「彼は普段仕事ができないから、会議で言っていることも信用できない」
「彼は営業部だから自部門の利益を考えてそんなことを言うのだ」
というような反論は、人格攻撃であり反論としてはとても弱い。
主張の内容自体に反論すべきであって、彼が普段仕事で有能かどうかや、営業部かどうかは何も関係がない。
「彼は専門ではないのでこの件に関して発言する資格がない」というのも、ある種の人格攻撃だ。
専門知識がなくて間違ったことを言っているのであればその間違いを指摘してあげれば良いし、間違ってないことを言っているのであれば、 資格があるかどうかに関わらずその意見を聞くべきだろう。
反論レベル3:言い方批判
「そんなきつい言い方はないだろう」と、主張ではなくその表現方法に対して反論する人もいる。
罵倒や人格攻撃と同様、何の反論にもなっていないのだが。
彼らは言い方をやわらかくしたら、話を聞いてくれるのだろうか? たぶん罵倒か人格攻撃に反論を切り替えるだけではないだろうか。 要は言い方くらいしか批判が思いつかないのだ。
反論レベル4:単純否定
「そんなことはあり得ない」「話にならない」「常識だ」などと言うだけで、その理由を何ら示さない反論。
「これが良いデザイン?私は悪いと思う」のように、自分の感情だけで反論するのもこのケースにあたる。
デザインの一般的なルールに対して何がおかしいのかを指摘するべきなのに、自分の趣味で「悪い」と感想を述べているだけだ。
反論レベル5:反論の提示
レベル5以上でやっとまともに対応すべき「良い反論」にたどり着く。
反対の理由をしっかりと述べる。
そうすれば、話し手も再反論ができるから有益な議論になるのだ。
ただし、このレベルでは理由の信憑性が怪しいこともある。
「UFOはたしかに存在する、なぜなら私がこの目で見たし、友人達も見たことがあると言っている。オカルト雑誌でも特集が組まれている」といったように、曖昧で科学的でない理由でもいちおう反論にはなり得るからだ。
反論レベル6:主張の一部が間違っていることの説明
相手の言っていることを引用しながら、どこが間違っているのかを指摘する。
「いまあなたはダーウィンの発言を引用したが、そんなことをダーウィンが言ったという証拠はない」など、主張の間違っていることをたしかに指摘してはいるのだけれど、本題と関係のない重箱の隅をつつくような反論になってしまい、議論が迷走することもある。
反論レベル7:主張の本題が間違っていることの説明
完璧な反論のかたち。
相手の主張の核となる部分を指摘して、それに対して適切な理由を出して反論する。
「あなたの話の本題は〜だと思う。しかしそれは間違っている、なぜなら〜」という言い方になる。
Ankiというアプリが素晴らしいものらしい
あと1万回くらい言いますが「間違っている・悪だと思っていることに対し批判している時の態度や口調がその人の社会・他者に対する根本の態度」だと思っている。そこを見て人付き合いを判断し始めてからは、今のところ外れてない。
彼や彼女が「敵」に対して取る態度は、こちらと敵対した時に見せる態度であるということである。
そして、人間はとても簡単に敵対しやすい。
どうかなぁ?とは思うが。
(1)白か黒かの考え
:失敗したら人生そのものに意味がない、というような極端な考え方。
(例)受験に失敗し、人生に絶望して自殺してしまうなど
(2)一般化のしすぎ
:1度や2度の出来事だけで、「いつも~だ」「決して~ない」などと
一般化して考えてしまう。
(例)女性に告白してふられた→「今後私には決して彼女はできないだろう」と考えてしまう。
(3)心のフィルター
:自分に否定的なことだけを考えて悩んでしまう。
(例)自分に賛成する人が99人、反対する人が1人いたとしても、反対する1人の意見にだけ目を向けてしまい、必要以上に思い悩む。
(4)マイナス化思考
:「心のフィルター」の発展系。
否定的なことだけに目を向けてしまうばかりか、自分にとって良いことも割り引いて考えたり、否定的なことに変えてしまう。
(例)今月の営業成績がトップだった→「こんなのはまぐれだ。どうせ来月はもっと順位が下がる。」などと考えてしまう。
(5)結論の飛躍
:自分の勝手な思い込みや推測で、悲観的に考えてしまう。
「結論の飛躍」には2パターンあります。
a. 相手の心を深読みする
b. 未来の出来事を予測する
(例)職場の男性に「最近、化粧変えた?」と言われた→「自分には似合わない化粧という意味なのかな」などと深読みしてしまう。
(6)過大評価と過小評価
相手の力量や自分の失敗を過大に考えてしまう。
反対に、自分のやり遂げた成果などは過小評価してしまう。
(例)自分の過去の失敗は、みんな知っている。みんなが私のことを馬鹿な奴だと思っているに違いない。だから、もう私の人生はおしまいだ。(失敗の過大評価)
(7)感情の理由づけ
:自分の感情によって、事実が生み出されると考えてしまう。
(例)なんだか悪い予感がする。だからきっと悪いことが起きるに違いない。
(8)すべき思考
:「~する以外にない」「~するべきだ」と考えてしまうこと。
自分に対して“すべき思考”をすると非常なプレッシャーとなり、他人に対して使うと、怒りなどの感情が生まれる。
(例)私はこれだけ頑張ったんだから、上司はもっと評価するべきだ→たいていこのような気持ちは、満たされることは少ないので相手に対して「怒り」や「絶望」の気持ちが生まれる。
(9)レッテル貼り
:「一般化のしすぎ」の極端な形。自分や他人にネガティブなレッテルを貼ってしまうこと。
(例)「自分はダメ人間だ」「私は人付き合いが苦手だ」など
(10)全て自分の責任
:責任のないことで自分を責めること。
(例)彼とのデートの日。途中から大雨が降ってきました。→「私が雨女だから雨が降ってきたんだ。本当に彼に申し訳ない。」などと考えてしまう。
◆1:あなたの所属するグループのリーダーはグループの最高権威ですか?
カルト宗教は最高の知識を持っていると主張するカリスマ的なリーダーの存在から始まり、進化していくとスピンクス氏。同氏によると、カルトのリーダーは信奉者に自身の見解を信じさせ、命令に従わせることができるそうです。
◆2:リーダーは印象的な作り上げられた名前や称号を持っていますか?
ほとんどのカルト宗教の指導者は信者に「自身の地位が高いもの」と印象付けるために、作り上げた名前や称号を自身に冠します。そのため、多くのカルトの指導者は自身を「神の子」「預言者」「救世主」「教祖」「使徒」などと呼ぶそうです。
◆3:リーダーは常に正しい存在であるため、たとえ批判が真実であっても、あなたはリーダーを批判することを許されていませんか?
カルト宗教の指導者は帰属意識・権威・目的の見返りとして、批判的思考能力を奪うように信奉者を説得します。そのため、信奉者にとっては指導者が常に正しいものであり、証拠や論理が何を示唆するかは問題ではありません。つまり、カルドでは指導者の悪行が常に正当化されてしまいます。そしてカルトでは指導者への批判が常に禁じられています。
◆4:グループのメンバーはあなたがグループにとって批判的な内容の文章を読むことに否定的ですか?
カルト宗教は通常、メンバーに対して「承認された情報源」を通じてのみ自分たちの組織に関する情報を読めるようにしています。カルトは自身にとっての批判的思考を感染症と見なし、それを抑制するためにあらゆる努力を行います。カルトに批判的と疑われるメンバーは、外部の情報から隔離され、カルトの教義にのみ焦点を合わせることが奨励されます。そして、カルトに否定的なメンバーは迫害者と見なされ、「アンチ」や「背教者」といったラベルが付けられることがよくあるため、メンバーはグループに批判的なコンテンツの消費に消極的になります。
◆5:グループメンバーはグループを去るものについて「正当な理由はない」と言うでしょうか?
カルト宗教は自分たちを真実の究極の権威であるとみなしているため、信奉者が誠実さを損なわずにカルトを去ることはできないと考えています。そのため、カルト宗教はグループを抜けた人物を「裏切者」「悪魔付き」「堕落した人物」などとさげすむ傾向があります。
◆6:グループはグループ外の世界について疑念を持っていますか?
多くのカルト宗教は邪悪な外の世界からの唯一の避難所として、自らを位置づけます。そのため、カルトでは陰謀論や壊滅的な思考、迫害などがまん延します。また、カルトはより多くの有料会員を引き込むために、しばしば勧誘活動に勤しむケースがあります。そして、その勧誘活動は「悪の世界から人々を『救う』ため」と正当化されています。そして、カルトのメッセージを拒否する人々は非難され、「裏切者」や「悪魔付き」などと侮辱されます。
◆7:あなたの所属するグループは自身を正しい宗教団体/グループ/コミュニティであると信じていますか?それとも「正しい」教義を持つ唯一の人物であると信じていますか?
カルト宗教は常に自らを「正しい」存在であると認識しています。そのため、カルト宗教は正しい教義、正しい指導者を持った正しいグループであり、指導者は信奉者が従うべきルールを指示する「正しい」存在であると考えられます。
◆8:グループに規則はありますか?
カルト宗教は信奉者を支配します。カルトの指導者は規則を決め、信奉者が規則に従うことを望みます。この規則には信奉者が身につけてはいけないもの、住むことができない場所、一緒に食事することができない人、結婚できない人、従事してはいけない仕事、付き合うことができない人、受けられない教育などの禁止事項が記されています。
◆9:もしも所属するグループを脱退した場合、残されたメンバーが家族であっても感情的な隔たりができてしまう恐れがありますか?
カルト宗教はメンバーの脱退を快く思っていません。それは前述の通りカルトの脱退には「正当な理由がない」とみなしているためです。そのため、カルトから脱会したメンバーは否定的な存在として扱われることとなります。そして、カルトに残ったメンバーと脱退した人物の間には、たとえ家族であっても感情的な距離が生じることとなります。そのため、カルトメンバーはしばしば元メンバーを敬遠・排斥し、「汚れた者」「邪悪な者」「欺かれた者」「背教者」「悪魔付き」などと見なすようになります。
◆10:もしもあなたがグループを脱退した場合、グループに残った家族と「普通の家庭生活」が送れなくなりますか?
カルト宗教から家族の誰かが離脱した場合、規則によりカルトに残った家族と離脱した家族が「普通の家庭生活」を送ることは禁じられるケースがあります。
上記の10問の中で該当する問いが多ければ多いほど自身の所属するグループがカルトである可能性が高くなります。ただし、詳細な対処方法などが表示されるわけではないので、カルトから離れることを望む場合はスピンクス氏の著書などを参考にしてほしいというわけです。
つねに何が正常かを推測していて、なかなか「これでいい」との確信が持てない。
物事を最初から最後までやり遂げることが困難である。
本当のことを言った方が楽なときでも嘘をつく。
情け容赦なく自分に批判を下す。
楽しむことがなかなかできない。
変なところでまじめすぎる。
他人と親密な関係を持つことが大変難しい。
自分にコントロールできないと思われる変化に過剰反応する。
他人からの肯定や受容、承認を常に求める。
「自分は他人と違う」といつも考えている。
常に責任をとりすぎるか、責任をとらなさすぎるかのどちらかである。
あるものに過剰に忠実である。無価値なものとわかっていてもこだわり続ける。
衝動的である。「他の行動も可能である」と考えることなく、一つの選択肢に自分を閉じこめる。
「誰に対してもそれなりに丁寧な対応をする」
「雑な言葉は使わない」
「相手がどんな人であれ、自分の方が偉いという前提に立たない」
これだけで恥をかかずにすむ場面て結構あるからねえ…
と、私の職業や学歴を第三者に聞いた瞬間にブチ切れそうな顔で黙るオッサン見ながら思ったこと数回。
なお「敬語」の使用についてですが、使い慣れてない人も相当数いるのであまり凝った言い回しにすると逆に理解されなくなります。
「それなりに」丁寧、という感じにはなるかな。
内心は自信が無い人間は他人にマウントを取りに行くものだ
教養がないことの怖さって、「世の中には自分の知らない世界がある」ことが想像つかないから、ちょっとでも理解できないものに接触すると、「やだ、キモい!」って拒絶するしかなくなることで、だから安易にオタ批判とかしてくる人は、逆に「教養がないんだな」と思ってほっとくのが吉ですね。
自分が知らない物事を認めて受け止める度量のことを教養と言う的なお話
構造化とは意思決定を目的に、混沌とした情報を整理整頓すること
まず結論から述べると、「構造化とは、混沌とした情報の集合体に軸を与え、軸を組み合わせることで混沌とした情報を整理整頓すること」だと定義しています。
特に重要な点が、「軸を与え、軸を組み合わせる」という点です。構造化と聞くと、因数分解や、3Cのようないわゆるフレームワークを思い浮かべることが多いのですが、それもあくまで軸の一つだと考えています。
周囲を見渡してみて、「構造化力高い!」と思う人は、構造化の軸の引き出しが多く、またコンテキストに適した軸の選定も最適なので、状況に応じたスピーディな構造化が可能なイメージがあります。
ネット上などで行われている議論を観察・まとめる為のフォーマット
↑の4項目を横並びのマトリクスにして多様な意見をストックするとよい。
No 論点 意見 反論 所見
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